19 別離

警備員に捕まってから、プーとは一言も話せていない。俺は警備員室の机に紐で繋がれさらにダンボールの中に入れられたが、プーはどうなったかわからない。遠くで「キャンキャン」というプーの鳴き声が聞こえたが、何と言っているかまでは聞き取れなかった。


捕まってから数時間は経っただろうか。

警備員室に聞き覚えのある男性の声が聞こえ、誰が来たのかと考えていると、ダンボールの上から犬飼店長の姿がヌッと現れた。


「ポメちゃん、ダメだよ逃げ出しちゃ〜。よくこんなとこまで来たね」


ペットショップに戻される、これは観念せざるを得ない。だがものは考えようだ。プーと一緒に第二の脱出計画を練り直せばいい。俺と彼女の能力をうまく使えば、たとえ南京錠で閉じ込められてもなんとかなる気がする。俺たちは元人間、俺たちの知恵を使えば不可能ではないだろう。


ペットショップに戻された俺は、指定席である窓際のケースに入れられた。

だがそのお隣さんはトイプードルとミニチュアシュナウザーではなくなっていた。「わたちってうつくちいわ」のシェトランドシープドッグの子犬が右隣、左隣は背筋をピンと伸ばしたフレンチブルだった。

プーと『魔王の使徒』はどこにいったのだろうか。


店の営業時間が始まっても、その二匹の姿はどこにも見当たらなかった。なんだか、少しだけ嫌な予感がする。

俺は犬飼店長の心を読もうと、必死に目力を強めた。すると。


――あのくるくるパーマ、どうせ売れなそうだから助かったよ――


くるくるパーマ、だと?それって、トイプードルの特徴、つまりプーのことか?何がどうなって助かったっていうんだ?俺はさらに犬飼店長に目力を強めてみたが、やり過ぎてまた貧血でぶっ倒れそうになったので一旦やめた。


11時になり、女性店員の猫田さんが出社してきた。犬飼店長は昨晩の事件の話し相手が欲しかったらしく、俺の欲しかった情報をすべて語ってくれた。


曰く、3匹の犬がなぜか夜のうちに店を脱走し、2匹はテレビ局で見つかって回収したが、ミニチュアシュナウザーは見つからなかったこと。

親会社にメチャメチャ怒られてしまったこと。そして次の会話は、俺がショックを受けるのに十分な内容だった。


「ポメラニアンの子犬は人気だからどうせ売れるし、そのまま店に置くことにしたよ」

「ですね、昨日も問い合わせ電話ありましたもんね」

「そう、今日午後にお客さんが見にくるって予約もあるし。でもさ、あのくるくるした汚い赤毛のプードルって、売れそうにないじゃない?だから系列店に引き取ってもらうことにしたんだ」

「あー、あの子ね。今どこにいるんですか?」

「あさイチで湘南店の店長さんが取りに来て持っていってもらった」


プーが、もうこの店にいない、だと……?


(このペットショップから、一緒に逃げ出さない?)


(そんな悲観的なことばっかり考えてたら、できることもできなくなっちゃいますよ)


(やめて! イヤ! 助けてポメ!!)


俺がこの時代で意識を取り戻してから、唯一の話し相手だった子犬。令和の同じ日に命を失い、この時代に転生してきた元人間の女子大生。明るくて頭の良い彼女は、湘南店という店に引き取られてしまったのだ。


何が、第二の脱出計画を練ればいい、だ。俺自身のバカさ加減に腹がたつし、それ以上に彼女に二度と会うことができないだろうという絶望感が胸を満たしていく。

俺がもうちょっとうまくやれていれば。俺の体が、もうすこし弱くなければ。そんな後悔ばかりが渦巻く。

俺はそのまま沈み込んでしまい、ドッグフードも喉を通らなかった。



どのくらい経ったのだろうか。

俺の目の前に、30代半ばくらいの若づくりなおじさんが立っていた。服装はギンガムチェックのジャケットにとっくりセーターを着ている。


説明しよう。

とっくりセーターは令和の世では「タートルネックのセーター」と呼ばれるのが常識である。だが昭和世代の人は今でも「とっくりセーター」と思わず言ってしまうことがあるのである。ちなみにとっくりは漢字で「徳利」と書き、日本酒を注ぐ入れ物のことで、その口の形に似ていることから使われた名称でなのである。

また、そういう古い言葉を使う世代の人は、洋服をかけるハンガーのことを「えもんかけ」と思わず言ってしまうことも多いそうである。


「いかがですが、佐藤様。こちら、血統書付きで、水戸のブリーダーさんの家でのびのび育てられた健康優良児のポメラニアンです。いま、店のイチオシなんですよ?」


犬飼店長が昭和の商人らしく揉み手をしながら「佐藤様」とよばれたとっくりセーター男に説明する。

俺は「佐藤様」の顔を見てみた。でも俺は今までずっと考えに沈んでいたため、きっと目つきがあまり良くないだろう。


「うわ、上目遣いの目で見てる!めちゃんこカワイイですね、この子!」

「でしょう?いかがですか、この子ならきっとお子様も喜ばれますよ?」


目つきが悪いのが逆に気に入られたらしい。俺はプーのことでショックを受けていて、自分の境遇がどうなるかまでこの時は考えが及んでいなかった、というのが正直なところだ。


「でも、お値段がね……」

「いえいえ佐藤様!いまはどこでも25万はくだりませんよ?うちは特別なルートだからこそ、19万8000円でご提供できるんです」

「うーん、まあ、ボーナスもあるしな……」

「そうです!あ、サービスも精一杯させていただきます。ワンちゃんはお値引きできないのですが、今ならワンちゃんのケージと首輪、それとお散歩用のリード紐も店内のものでしたらどれでもサービスいたします!」

「うーん……」

「それに佐藤様。来年からは消費税も始まっちゃいますから、あまり悩んでいると、消費税なんて余計な税金をお国に取られちゃいますよ?」


説明しよう。

平成世代の人には信じられないことだが、昭和63年当時は日本に消費税は存在しなかったのである。消費税が始まったのはその翌年、平成元年の4月からで、当時の首相である竹下登総理は消費税導入で国民から総スカンをくらい、退陣することになったのである。ちなみに竹下総理の孫がメンタリストではない方のDAIGOであることはTYA、ても名でる。


「そうだね、消費税か……うん、わかった。この子、ください!」

「ありがとうございます!」


――やった、年末ノルマ達成だ!――


犬飼店長は満面の笑みだ。こいつ、俺の値段でボリやがったな?多分仕入れは2〜3万じゃねえか?いや、原価の話をすると商売が成り立たなくなるから仕方ないけどさ。

俺はことの成り行きをボーッと眺めていたが、実は何の感慨も湧いていなかった。佐藤様がレノマのサイドバックから出した茶封筒から札束を出して数えているのを見て、この当時は現金払いが常識だったな、スイカやペイペイなんて影も形もなかったな、なんてどうでもいいことばかり考えていた。

とにかく、俺は「佐藤様」に飼われることになった。


プー、さようなら。短い間だったけど、何もしてやれなかったけど、君のことは一生忘れないよ。君の幸せを、俺はずっと祈ってる。


俺自身は?

ああ、今はもうどうでもいいや。なるようになれ、だ。


第一章 完



◇◇◇

第一章をご覧いただきありがとうございます。

第二章からは飼い犬としての生活、そこで仲間を集めていくお話になります。

ここまでで面白いと思っていただけましたら、★や❤︎、感想などいただけますと大変励みになります!

これからもよろしくお願いします。

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