第二章 ポメラニアン暮らしと魔王の影

20 佐藤家にて、ついに命名

 といった経緯で、吾輩は佐藤家にやってきたのである。いや、一人称を吾輩はやめとこう。俺、でいいや。

 それと、俺がワンニャン王国六本木店から家に来るまでの経緯も簡単に話しておこう。


 俺は店員の猫田さんの手によって新聞紙を詰めた段ボールに入れられ、ケージなどの付属品を持った犬飼店長と一緒に佐藤様に持ち運ばれていた。店から数分の駐車場には、紺色の「六本木のカローラ」が停めてあった。

 おお、懐かしい。BMWのこれは……320じゃないか。いいクルマだ。


 説明しよう。

「六本木のカローラ」とはバブル時代、BMWの小さい排気量の車につけられた蔑称で、当時毎年売り上げ一位を誇っていた大衆車であるトヨタのカローラのごとく、六本木ではどこでも見かける車という意味で使われていた言葉である。

 とはいえ外車なので当時も決して安い値段だったわけではなく、みんなが見栄を競い合ったバブル時代だからこそのネーミングだったのである。


 佐藤様、そこそこのお金持ちかも、と思い。俺の心はちょっとだけ晴れた気がした。お金持ちの家なら幸せな暮らしが送れそうだ。うん、ボクは幸せなペット、かわいい子犬のポメラニアン。魔王?なにそれ美味しいの?

 はっきりいってちょっと投げやりな気分でもあった。


 六本木のカローラの後部座席にシートベルトでダンボールが固定されたが、ダンボールの上部は空いていて、箱の中からでも六本木の狭い空が窓から見える。


「それでは、ポメちゃんと幸せにお暮らしください。ありがとうございます!」

「どうもでした」


 これで、犬飼店長ともお別れだ。車は小気味良いエンジン音を上げて出発する。どこに行くんだろう。あんまりマンションとか好きじゃないけど、選べる立場でもないしな。できれば土地勘があるところがいいな。


 俺は人間時代というか令和の世では世田谷区の端、川崎市との堺となる多摩川の近くに住んでいた。今回はどんなところに住むことになるのかな。俺は箱の中から見える風景で判断しようと思ったが、何せ空しか見えない。

 と思っていたのだが、突如見覚えのあるビルの先端が見えてビックリした。


 あれは……東京都庁、しかも、建設中だと?


 説明しよう。

 新宿にある特徴的な東京都庁の完成は1990年12月。当時は「新都庁」と呼ばれており、新宿の新たなランドマークとして新宿近辺の人々をワクワクささせていた存在だったのである。

 ちなみに当時は日本一の超高層ビルであり、バブル時代であったことからバベルの塔にちなみ「バブルの塔」とも呼ばれていたという説もあるのである。



 ああ、懐かしい。俺も昔、建設途中の新都庁を見にいったことがあったっけ。あの当時の彼女は、はっきり言ってそんなに可愛くなかったよな。押し切られたんだよな……なんてどうでもいいエピソードを思い出す。


 とにかく、六本木から新宿を通過していることがわかった。

 ならば、もし23区なら西側の区だろう。俺が住んでいた世田谷区、杉並区、練馬区、または都下の調布とか多摩とか八王子とか、そんなところか。

 新宿を過ぎた後はしばらく特徴的なビルが見えない。多分通っている道は甲州街道、国道20号線だ。学生時代に友達と飲んでいて終電を逃し、新宿から当時住んでいた府中市まで酔っ払って歩いたっけな、なんてエピソードも思い出す。


 なんだろう、やたら昔のことばかり思い出すな。

 昭和世代の端くれである俺にとって、この時代は「いい時代」だったってことなんだろうか。いや、決してそんないい時代だったってわけでもないんだろうが、過ぎた時代を懐かしんで思い出すのはどの世代にも共通することなんだろうか。

 そんなことを考えているうち、いつしか俺は眠りにおちていたらしい。


 急に箱が大きく揺れて、俺はびっくりして思わず「キャン!」と鳴いた。見ると、箱が持ち上げられていて「佐藤様」の顔が見える。どうやら、家に到着したらしい。


 えっと、ここは……アパート、か?2階建ての家が立ち並ぶ一角に俺は運ばれているようだ。敷地の外には大きな竹林があり、都会のど真ん中というわけではなさそうだ。

 それにしても、アパートか。一軒家じゃないんだ……ちょっと残念。と思ったが、意外に室内は綺麗だった。アパートだけどメゾネットタイプの2階建てで、作りは一軒家とそんなに変わらないようにも見える。うん、まず合格点かも。


「ママー、開けてちょうだい!」


 佐藤様が奥さん(マザコンでなければ、多分)を大声で読んだ。

 すぐにドアが開けられ、丸顔でニコニコした女性が俺のそばに寄ってくる。


「うわー!!超カワイイじゃない!」


 佐藤様はマザコンではなかったようだ。多分奥様、が俺をすぐに抱きしめた。あらま、肉感的でとっても豊かなお胸をしていらっしゃる奥様だこと。

 そして別の顔がひとつ、俺の目の前にいた。おかっぱの男の子だ。男の子が俺の背中を撫でると「うわっ、毛ふわふわ!やわらかい!」と言ってくれた。

 ちょっとちょっと、なんでそんなに乱暴に背中撫でるの?痛いってば!

 仕方ないか、小学生くらいだもんな。犬を飼うのが初めてなんだろう。ここは元大人として寛大な心で許してやろう。


 ◇◇◇


 その後、俺はこの家のお姉ちゃんにも撫でくりまわされ、ケージに入れられてしばらく愛でられた。

 寝たふりをした後に今までの経緯を思い起こし、そこで覚悟を決めた。


 プーのことは心残りだ。俺がしっかりしていれば、プーを助けることができたかもしれない。だがそれも今となっては取り返しのつかない過去だ。

 今はプーが湘南で幸せな家族に迎えられることを祈ろう。残念だが、ポメラニアンの子犬である俺にはもうどうすることもできないんだ。


 俺は、俺なりに幸せに暮らそう。

 幸いにも佐藤家は仲の良さそうな4人家族で、裕福とは言えないまでもごく一般的な家庭のようだ。

 ここで俺は新たな人生、いや犬生を送るのだ。



 そして翌日。

 朝ごはんを食べた後、4人家族は俺のケージの前に再び並んで俺の一挙手一投足を見ていた。

 仕方ない、サービスサービス。

 俺はゆっくりと立ち上がり、上目遣いで中学生くらいのお姉ちゃんをみて、小さく「ワン!」と吠えた。実にあざとい。だが効果はばつぐんだ。


「か〜わ〜い〜!」


 みんなの顔がデレデレになった。ふふ、俺様の可愛さにメロメロのようだぜ。

 そして今度は佐藤様、いやパパさんとでも呼ぼうか。パパさんが宣言した。


「実はパパ、この子の名前を決めました!」


 ママさんも頷いているから、どうやら夫婦で相談は済んでいるらしい。お姉ちゃんとおかっぱの男の子が満面の笑顔になった。


「わかった!ふわふわだから、フワちゃんでしょ?」


 男の子が言う。あれ?昨日もそう言ってなかったっけ?


「ふーくん、パパそのフワちゃんって名前、なぜか気に入らないんだよね」


 男の子は「ふーくん」というのか。風太郎とか、そんな感じかね。


「じゃ、リリーだ!」


 お姉ちゃん、昨日もその名前言ってたよね。よっぽど先代のリリーが好きだったんだね。


「フワちゃんでもリリーでもポチでもありません。発表します。ドゥルルルル……」


 パパさんの一人ドラムロールが始まった。


「ジャン!この子の名前は……」


 家族全員が、息を呑んでいた。


「毛がもふもふしているから、モフちゃんに決定しました〜!」


 お姉ちゃんもふーくんも一発で気に入ったらしく、満面の笑みで俺に手を差し伸べた。


「モフちゃん!はじめまして。お姉ちゃんだよ!」

「モフ!あとで散歩行こうね!」


 俺の新しい名前は「モフ」。

 パパさんは胸のポケットから一枚の紙を出し、ケージの端に貼り付けた。そこに筆ペンで書かれたらしき「佐藤毛布」という名があった。


 毛布……?ああ、モフのことか。正式名称はそう書くのか。

 佐藤毛布って地方のふとん屋さんみたいな名前だなと一瞬思ったが、どちらにしても俺に拒否権はない。

 まあいい。俺の名前がついに決まった瞬間だった。


 吾輩はポメラニアンである。名前は「モフ」だ。

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