106 やめてよ!なんで私にひれ伏すの?

 私とポメくんの前に立ちはだかったミニチュアシュナウザーを見て、ポメくんは小さな声を出した。


「くそ、こうなったら」


 ポメくん、ケンカするつもりなのかな……とちょっと心配になったけど、そのままポメくんは固まったまま。あれ、どうしたんだろう。なんだか震えているようも見えるけど……まさか、怖がってる? ケンカ、弱いのかなぁ?


「ポメ……どうしたの、大丈夫?」

「だだだ、だい、だいじょ、だいじょ」


 あれれ、完全にこれ怖がっちゃってるよ……歯をガチガチ震わせてる。ミニチュアシュナウザー、そんなに強そうには見えないけど。もしかしたらポメくん、ケンカとかしたことないのかな? マンガとかアニメとかしか見ない大人だったのかも……


「さ、終わりにしようか」


 シュナウザーはマンガでしか聞いたことのないようなセリフを言うと、大声で「ワンッ!ワンワンワンッ!」と吠え出した。すぐに複数の足音が聞こえてきたかと思うと、3人の警備員が私とポメを取り囲んだ。


「に、逃げろプーっ!」

「そんなこと言ったって!」


 そう言うとポメくんは「ウー、キャンキャン!」と可愛い声で吠えた。今はかなりヤバい状況なのに、吠え声と仕草が可愛すぎて、ぜんぜん怖くないよ!

 思った通り、ポメは警備員にガッチリと捕まえられちゃった。そして私も、別の警備員に首を捕まえられ、抱え上げられちゃった。


「やめて! イヤ! 助けてポメ!!」


 怖くて思わず叫んだけど、ポメくんは床に体を押し付けられている。あれじゃ、助けるどころか逃げ出すのも難しそう。

 そして私は、警備員にガッチリと抱き抱えられたまま、何かの紐で首を繋がれ、どこかの部屋に入れられた。


「ワンちゃん、お迎えが来るまでここで大人しくしてるんだよ?」


 警備員さん(よく見るとけっこうお爺ちゃんだ!)が優しく私に話し、首に巻かれた紐を部屋の片隅のテーブルに結びつけると、部屋を出ていった。こんな紐、噛み切ってやる! ってかじってみたら、細いけど丈夫なビニールロープだったので、子犬の私じゃあとてもじゃないけど噛み切ることはできなかった。


「ポメ! 助けて! どこにいるの?」


 ワンワン! と大きく叫んでみたけど、返事はなかった。残念だけどポメくんは遠くの部屋かどこかに閉じ込められたっぽい。


 ポメくんさえ近くにいたら、力を合わせて逃げ出せたかもしれないのに……

 しばらく吠えてみたけど、そのうち私は疲れてきちゃって床に伏せた。


 これから、どうなるんだろ……

 普通に考えると、ペットショップに戻されちゃうよね。そしたら今度は逃げ出さないように、がっしりした檻に入れられちゃうよね。うーん、今度は逃げ出せないかもね。


 でも! そう、私とポメくんは元は人間だ。今夜だっていろんなことがあったけど、なんとかペットショップから逃げ出すことができた。

 ポメくんと一緒にしっかり計画を練り直して実行すれば、うん。きっと不可能じゃない気がする!


 私、元々は結構お気楽な性格なんだ。お父さんはいないけど、大学では教授と不倫しちゃったりしたけど、うん、信じて頑張ればできないことはない気がするよ!


「よっし、がんばるぞーわたし!」


 受験勉強の時によく自分自身を鼓舞してた言葉を口にしてみると、なんだか力が湧いてくる気がした。


「……さま」


 その時だった。部屋のどこかから声が聞こえた。慌ててあたりを見渡してみる。よく見ると、この部屋は物置っぽい。掃除用具や段ボール箱、棚には書類が詰まったケースなどが置いてある。


 その書類棚の影になっている部分から、さっきの声が聞こえたような気がした。


「……だれか、いるの?」


 その犬は、ゆっくりと書類棚から姿を表した。こげ茶色の体毛の小型犬。もちろんそれは、さっきまで私たちと対峙していたミニチュアシュナウザーだった。


「……きみ、何でここにいるの?」


 コイツが吠えたせいで、私とポメくんは警備員に捕まってしまった。その前には、ポメくんの足を噛んでいたことも思い出した。

 つまり、この犬のせいで私たちは逃亡に失敗しちゃったんだ。そう思うと、すごく腹立たしくなってくる。


「ねえ、アンタのせいで捕まっちゃったんだよ? どうしてくれるのよっ!」


 つい大声になり、最後は怒鳴るレベルの声が出た。だがミニチュアシュナウザーは私の前までゆっくりと歩み寄ると、50センチくらい手前で「伏せ」の体勢をとった。しかも、頭まで下げている。


「ご不便をお掛けして大変申し訳ございません。ですがここはひとつ、店に戻るまでご容赦いただきたく存じます」


 まるですごい目上の人に言うような、ちゃんとした敬語だった。さっきポメくんと話していた時もこんな感じだったっけ? 違うよね。


「……なに言ってるの? だいたい、なんでアンタがここにいるのよ?」

「王気を辿り、なんとか御前まで参りました。ご不快な思いをお掛けして誠に申し訳ございません」


 まただ。この犬はまるで頭を床に擦り付けるように、そう、まるで私が怖くて怖くて仕方ないような態度で私に話しかけてくる。


「ちょっと、やめてよ! なんで私にひれ伏すの?」


 ミニチュアシュナウザーはほんの少しだけ顔を上げ、私の顔を見つめた。


「それはもちろん、魔王様の御前だからに他なりません。このカール、ペットショップで常にお側で魔王様の護衛をしておりましたが、迂闊にも油断しておりました。まさか魔王様がと手を組んで逃げ出そうとは」

「えっ……ちょ、ちょっと待ってよ」


 この犬が何を言ってるのか、情報が多すぎてよくわかんない。

 魔王様のごぜん、ってなに? 午前?

 この犬の名前、カールっていうの?

 あの犬って、ポメのことだよね?


 頭がぐるぐるしてきちゃった。この犬が「魔王様」と話すたびに、頭の中にチクリと痛みが走るような気がする。

 それになんだか、いや気のせいじゃなくて、このカールと自称する犬、私のことを「魔王様」だって言ってるよね……?


「あのね、キミが何言ってるのかさっぱりわかんないんだけど」


 私がそう言うと、ミニチュアシュナウザー(カールくん?)は顔を上げ、目をカッと見開いた。


「魔王様、もしかして、まだお目覚めになっておられない……?」

「は? 何言ってるのよ。私は見た通り、眠ってないわよ! それに魔王様なんて変な名前じゃないよ! 確かにまだ名前はないけどさ」

「……よもや、お目覚めがまだだったとは。これはカールの不覚でございました」


 そう言うと、カールは急にすっくと立ち上がった。


「魔王様、大変無礼な発言かもしれませんがご容赦ください。あなた様はまもなく、本当の魔王様に目覚められます。それがいつになるかはわかりませぬ。がしかし、それまで私が側におります故、ご安心ください。では続きは店で」


 カールはそれだけ言うと、向きを変えて本棚の陰に消えていった。ちょっと、私を置いていくの? たった今、そばにおります、みたいなこと言ってたのに。


 やがてドアがスーッと開き、カールは部屋から出ていった。アイツ、どうやってドアを開けたんだろう……でも、それは今、どうでもいいや。


 魔王様……アイツが言っていたその言葉。まるで私が「魔王」のような言い方。違う、私はそんなんじゃないって、自分自身がよく知ってる。


 元は人間、お母さんと仲良く暮らしてた普通の女の子。頑張って大学に入って、そこで教授と出会って。悲しい思いをいっぱいしたけど、そのせいで命を落としちゃったけど。


 なぜか生まれ変わって、トイプードルになっちゃったけど。ポメラニアンの同胞、ポメくんと仲良くなったけど。


 少なくとも私、「魔王」なんかじゃない。ぜったい、違う。


 はずなのに。でも……


 この時の私は、ただいたずらに混乱を繰り返すだけだったんだ。

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