5 元号
目の前のボディコン姉さんとミツグくんカップルは、徐々に険悪な雰囲気が漂い、しばらくして店から立ち去っていった。
二人の心の声を聞いていた俺としては、さもありなん的な感想しかない。
まあいい、自分が犬だということはわかった。
この際一旦すべてを受け入れることにしよう。
とにかく今は、もっと情報を手に入れねば。
まず自分、白い幼犬は一体何の犬種なのだろう?
見渡す限り鏡や姿が映るようなものはないので、最初はまったくわからず難儀した。
よく犬がやっているように、くるくる回って尻尾を追うようなことも試してみたが、体が短すぎで自分の尻尾すら見えなかった。ただ目が回っただけだった。
だが答えはすぐに見つかった。
自分のケースの上側を見てみると、四角い厚紙のようなものが外側に向けて貼ってある。
その厚紙が少しだけ透けて、書いてある文字がうっすらと読めた。
ンアニラメポ。
いや違う、逆向きだ。ポメラニアンだ。
そうか、俺はポメラニアンか。
値段は、20万円弱。結構高いな。
ポメラニアンか……ええやん、ワイ好きやで。
可愛いし、いつも笑ってるように見えるし。
人間時代は妻に「あなたいつも不機嫌そうね」と言われていたこともあるし、自然に笑顔に見えるのは良いことかもしれない。
自分がポメラニアンなのは、むしろ喜ばしいことだね!
いや本当にいいのか?そもそも小型犬でいいのか?
実は大型犬の方がこれからの人生、いや犬生か、都合良いとかないかな?
まあこればっかりは選べたわけでもないし、犬ガチャだと思って受け入れよう。
ちなみに隣の茶色い犬は「プードル」と書いてある。
反対側の黒い犬は「シュナウザー」だった。
どっちもずいぶん省略されている気もするが、俺のことじゃないし、まいっか。
改めて周りを見渡す。
俺のいるケースの後ろは、壁一面が大きなガラスになっていた。
ガラスの外は暗く、もう夜なのか街灯が数ヶ所見える。
その外は歩道で、結構な人数が行き来している。
歩道の外は車道になっていて、結構な渋滞だ。
この人の多さから見て、少なくとも県庁所在地以上の都会だろう。
それにしても、ここが日本で良かった。
日本語通じるしね。
英語圏だったら英語学べるじゃんっていう考えもあるかもだけど、いやそもそも犬だし。英会話できなきゃ意味ないじゃん。
英語の件の犬も英語話したりするのかな?ぜんぜんわからん。
そうして窓の外を眺めていると、ふと気づいたことがあった。
ここ、見覚えがあるぞ。
何かヒントになるようなものはないか?
目を凝らしてみると、ガラスで斜めになっていて反射で少し見づらいが、目の前の道路は50メートルほど先で大きな交差点になっている。
交差している道路の上には高速道路の高架がかかっており、何やら文字が書いてある。
さらに目を凝らすが、犬の視力だからなのかガラスの屈折率が悪いのか、はっきり文字を読み取ることはできない。
でも、この風景は多分だけど、あれだ。
人間時代に勤めていた会社から1キロも離れていない繁華街だ。
その街とは、六本木。
たぶん目の前の渋滞している道路は外苑東通り。
交差している道路が六本木通りで、上にかかっているのが首都高速道路だ。
そう思ってよく見れば、交差点の奥の方にピンク色の店が見える。
あれはきっとアマンドだ。
説明しよう。
アマンドとは1964年、六本木交差点に六本木店をオープンさせた洋菓子と喫茶店のお店である。
待ち合わせスポットが少ない六本木において「アマンド前集合ね」というのが古くからの若者のキーワードとなっていた時代もある、いわゆる超有名店であり六本木のアイコンのひとつなのであーる。
ならばここは、俺も前を通ったことのあるペットショップかもね。
可愛い子犬をいっぱい扱っているけど、お値段は少し高めの設定だったような記憶がある。
仕事中に会社の先輩と前を通った時、なぜ値段が高いのか先輩に聞いたことがあったな。
「六本木のキャバ嬢が、客だかパパだかにおねだりして買ってくれるから、多少値段が高い方が逆に売れるんだよ、けっ」なんて根拠も何もない、偏見に満ちた発言を先輩はしていたっけか。
彼は確か犬嫌いでしかもモテなかったな、なんてどうでも良いことまで思い出す。
さて、この場所は六本木のペットショップだとわかった。
続いて店内に目線を動かす。
先ほどまでボディコン女性がいた方向の奥にも、何個かのガラスケースがある。
その中には、どれも可愛らしい幼犬がいる。
あれは柴犬かな?あっちはマルチーズっぽい。ほかにも数匹見える。
でも、個人的に気になることがひとつあった。
絶望的なほど、店内の飾り付けが垢抜けないというか、まったくイケてないのだ。はっきり言って内装がクソダサいのだ。
幼稚園や小学校のころ、折り紙を縦に4つぐらいの短冊状に切って、輪にして色違いの短冊どうしをノリでくっつけ、パーティの飾りにしたことって経験ない?
あれが、店内にこれでもかと飾ってあるのだ。
何だよここ、学童クラブかよ。いや、保育園かよ。
よくみると、犬種と値段が書いてあるポップもまったくイケてない。
柴犬のポップには「キュートさ爆発バッチグー!」
マルチーズのポップには「マルちゃんを抱っこしてちょんまげ!」
なんだか見てるこっちが恥ずかしくなる、かなり古い表現だらけなのだ。
おそるおそる自分のポップを見てみると。
「激マブ!赤ちゃんポメはいかが?」だそうだ。
どれもこれもイケてないを遥かに通り越し、イタ過ぎる死語の世界だ。
すべて説明しよう。
「バッチグー」とは1990年代に流行った言葉で「ばっちり」と「グッド」を足した言葉と言われている。意味は完璧とか、とっても良いとか、そんな感じである。
そして「〜してちょんまげ」とは「〜してちょうだい」の語尾をもじったダジャレで、これもバブル時代の流行語。とんねるずの木梨憲武さんがルーツと言わていて、当時のオヤジたちのおよそ80%が使っていたとされる言葉なのである。
さらに「激マブ」とは、1970年代に使われた「可愛い」の意味で「マブい」の最上級バージョンである。
例えば街を歩いている超美人の女の子を見て「あの娘、激マブじゃ〜ん!」などと男同士で話すときなどに使われた言葉なのである。
ちなみに原語は「まぶしい」で、実は江戸期から使われていた言葉だという説もあるのであーる。
とにかく、ダサい。
いやこの俺の表現こそがイケてないかもしれないけどな。
六本木でこのセンスは絶望的っしょ。
と、再び俺のケースの前に一組のカップルが現れた。
今度はイケメンと美女のカップルだ。
だが俺は、そのイケメンのファッションに今度は目を見開いた。
すごい肩パットが入った、紫色のダブルスーツだ。
そんなに鍛えているようには見えない細身の男性なのに、上半身のシルエットは逆三角形になっている。
しかも中のワイシャツの襟は3センチくらいしかなく、ネクタイは謎の光沢が入った細いものだ。
髪型はリーゼント風というか、カッチリ固められていて、左側だけスダレのようにおでこにかかっている。
一方、女性の方は髪型が特徴的だ。
いわゆる「トサカ前髪」と「すだれ前髪」のコンボ。
昔のアイドルとかモデルとかが必ずやっていた髪型だ。
あれって触ると、スプレーでガチガチに固められているんだよな。
そして服は、体にピッタリのボディコンスーツ。色こそ白だが、なんだか生地に若干ラメが入っているようだ。
これまた昔のアイドルみたいな格好だな。
簡単にいうと、カップル二人ともかなり時代錯誤なファッションなのだ。
まるで1990年頃からタイムスリップしてきたみたいな格好だ。
カップルはポメラニアン、つまり俺に興味がないらしく、柴犬の前に移動するとすぐに店を出て行った。
なんだあれ。さっきのピンクボディコンのお姉さんと同じ撮影とかあったのか?
その時、ふと店内にある音楽が流れ出す。
チャンチャン チャチャン チャンチャン チャンチャン……
蛍の光。たぶん閉店の合図だな。これは日本全国共通だよね。
店員二人は店のシャッターを閉めると、犬たちを一匹ずつ抱えてバックルームの檻に入れていく。
俺も女性の店員に抱かれ、檻に入れられた。
三段重ねの檻の三階部分だ。見晴らしは結構いい。
狭いけど、バックルームの方が室温も高く、寝るだけなら快適そうだ。
やがて男性の店員はレジから売り上げを持ってきて、金額を確認したのちに店の金庫に入れ、女性店員に軽く挨拶をして帰って行った。
すると女性店員は、深いため息をついた。一体どうした?
――あー、疲れた――
お姉さんの表情そのままの心の声だった。
だよね、お疲れさんっす。
バックルームにある掛け時計を見ると、時間は夜11時30分を回っていた。
おいおい、随分遅い時間まで開いているペットショップだな。
さすが六本木といったところか。
さらにお姉さんの心の声は続く。
――最近いいこと、ひとつもないな――
――もうすぐクリスマスなのに、恋人もいないし――
――なんだか世の中も暗いし――
次々と流れてくる、女性店員の思考。
結構マイナス思考の人っぽいな。お疲れモードだからかね。
だが次に送られてきた思考に、俺は少し驚きを覚える。
――陛下も、もう危なそうだもんね――
陛下って誰だっけ?
国王陛下?
いや違う、ここは日本だ。ということは、天皇陛下か。
え?そんなニュースってなんかあったっけ?
――天皇陛下がもし亡くなったら、昭和じゃなくなるんだよね――
……は?
今なんつった?
昭和から、だと?今は昭和の次の平成、さらにその次の令和だぞ。
何考えてんだ、この店員は。
と、その時。俺はバックルームに貼ってある月間カレンダーに、信じられない文字列を見つける。
昭和63年12月。
昭和63年ってことは、ええと……1988年?
そこで俺は、今までの疑問がすべて線を結んだように感じた。
ピンクのボディコン。
ミツグ君という古い言葉。
やたら古いセンスの店内の飾り付けに、ポップの文字列の文言。
令和では信じられない、男性のダブルスーツに肩パット。
俺が転生したこの場所は、日本で間違いない。
でも転生した時間は、令和ではなかった。
「昭和時代」だ。
転生のみならず、タイムスリップまでしている。
その時、隣の檻から声が聞こえた。
心の声ではない。はっきりとした、声だ。
「えー?昭和63年ってなに?転生して、タイムスリップしたってこと?」
見ると、茶色いトイプードルが目を丸くしてカレンダーを見つめていた。
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