80 もう一人の転生者

 後からチャトランに聞いたところによると、俺はそのまま動物病院に運ばれ、緊急手術。折れた肋骨は3本、うち一本が肺に刺さり、かなり危険な状態だったらしい。


 その間、俺は進化した状態の「サモエド」の体のまま。進化の秘宝は完全に飲み込んでいないため、1ヶ月程度で元のポメラニアンに戻るらしいけど。


 目が覚めると、そこは動物病院の透明な檻の中だった。外では動物医らしきメガネの人物と、俺の飼い主である佐藤家のパパさんが会話をしているのが見える。


「お? ワンちゃんが目を覚ましたようです、佐藤さん」


 動物医が俺の目覚めに気付いて話す。パパさんはこちらを見ると、安心したような表情を浮かべ、続いて笑顔を見せた。

 ああ、安心する。このパパさんを見ると、俺はなぜか心が安らぐんだ。相変わらず、心はまったく読めないけど。


「先生、しばらくモフのそばで話しかけていてもいいですか?」

「構いませんよ。ワンちゃんも安心するでしょう。どうぞごゆっくり」


 ――でもあのワンちゃん、クマに襲われたのにあの程度の怪我で済んで、不幸中の幸いだったなぁ――


 動物医の心の声が聞こえる。

 そうだった! あの球磨嵐くまあらし、一体どうなったんだろう? どうやら俺は助かったみたいだけど……


 動物医が部屋から出ていくと、パパさんはゆっくりと俺の檻の前に近づき、話しかけてきた。


「モフ、痛いか? 悪いけど、あと3日ほどは病院にいないとダメなんだってさ」


 そうだろうな、と俺は思った。俺の胴体は全身グルグルと包帯で巻かれているし、少し体を動かしただけで、胴体全体に大きな痛みを感じる。まだ傷が治ったわけではないのだ。


「でな。退院後だけど……すぐに家に連れて帰るわけにはいかないんだ。な、わかるだろ?」


 何のことだ、と一瞬わからなかったが、少し考えて腑に落ちた。


 小さいポメラニアンだったはずの俺が、今は大型犬のサモエドになっている。こんな姿で帰ったら、青葉ママも友梨奈ちゃんも風太くんもみんなビックリするどころか、最悪、俺だとわからないかもしれないのだ。


 いや、待てよ。

 ならば、なぜ佐藤のパパさんは、あの新二子橋のたもとで、俺のこの姿を見た瞬間に「モフ、もう大丈夫だ」なんて言ったんだろう?


「……モフ、いろいろ言いたいこともあるだろうけど、今はとにかく療養に専念してくれ。そのうち、お前とはいろいろ話をしないとな」


 やっぱり、パパさんには何か秘密があるんだ。そう俺は確信したのだが……

 それより、強烈な眠気が襲ってきて、だんだん目を開けられなくなってきた。


「モフ、ゆっくり休むんだ。しばらくは何も起こらないはずだからね」


 やっぱりパパさんの言葉は、俺に安心を与えてくれる。

 わかった、悪いけど、今日は先に眠らせてもらうね……


 ◇◇◇


 次に目を覚ました時、俺はどこかの家にある檻の中にいた。

 どこだ、ここ? なんだか見覚えがあるけど。少なくとも俺の家、佐藤家ではないことはわかるんだけど……


「目、覚めた。モフ」


 カタコトの言葉、しかも聞き覚えのある言葉が部屋の向こうから聞こえた。

 トコトコと小さな足音がしたかと思うと、隣の部屋から黒白の小さなチワワが姿を現した。その犬も、俺と同様、全身を包帯でグルグル巻きにされていた。


「くーちゃん! 良かった、無事だったんだな」

「俺、丈夫。お前、大けが」

「なんだよぉ、見た目はそんなに変わらないじゃんかよ!」


 不意に、ジワリと涙が浮かんできた。あの激闘の中で、黒煙の攻撃で土にめり込んでしまったくーちゃん。あのとき俺は、くーちゃんはもう助からないかも、なんて思っていたのだ。


「ワシも無事じゃよ、勇者モフよ」

「僕もだワン!」

「お前も、もう大丈夫そうだな」


 隣の部屋から、ウシガエルのウシダ師匠、ゴールデンレトリバーのタロウ、ボルゾイのアレキサンドルが次々と姿を現す。みんな揃って体に包帯を巻かれていた。なんだか戦場の病院みたいになっているぞ、ここ。


「皆さん、ご無事だったんですね」

「ああ。お主の飼い主である佐藤さんのおかげじゃよ」


 ウシダ師匠が答える。


「それにしても、ここは?」


 俺がそう尋ねたとき、隣の部屋から見覚えのある老夫婦が姿を現した。


「あらあら! 今日はくーちゃんのお友達、いっぱいだねぇ」

「みんな怪我だらけだなぁ。まあ、ゆっくりしていってな」


 くーちゃんの飼い主である老夫婦だ。ということは、ここはくーちゃんの家か。通りで見覚えがあると思った。


 老夫婦が立ち去った後、俺はみんなからあの戦いの顛末を聞いた。くーちゃんとウシダは気絶していたが、アレキサンドルは一部始終を見ていたのだ。


 俺が球磨嵐に咥えられ、絶体絶命だった時。

 一人の男が麻酔銃を持って現れた。それはもちろん、佐藤家のパパさんだった。パパさんは狙いを定めて球磨嵐に麻酔弾を打ち、ヤツはくわえていた俺を離したあと、しばらくゆらゆらと揺れ、その後地面に倒れ伏したという。


 なぜパパさんが麻酔銃なんか持っていたのだろう? 俺はアレキサンドルに聞いてみたが、それは彼もわからないという。


 球磨嵐は駆けつけた警察の一団によってあみが掛けられ、檻を載せたトラックに積まれ、どこかに運ばれていった。


「あ、そういえば、黒煙はどうなったんですか?」


 アレキサンドルは首を振りながら答えた。


「ヤツは、助からなかった。牙だけでなく、首の骨も折れていたようだ」


 魔王の四天王、凶暴なチベット犬の黒煙は、死んだ。死因は、俺の攻撃で。

 なぜだろう。ホッとする反面、俺が直接手を下してしまったことに罪悪感のような、怖いような感覚が襲ってくる。


 魔王の四天王だと名乗った黒煙。だが今の時点で彼らがしたことと言えば、俺の仲間の動物を傷つけたことだけだ。

 それはもちろん許し難いのだが「魔王」といって恐れ慄くほどのことではない。極端な話だが、人間にはいまのところ何の被害もないのだ。


 だから、俺は自らの手で1匹の動物を死に至らしめてしまったことに罪悪感を感じている、と思う。


 黙っている俺の側にウシダ師匠が近づき、俺の足を「ポン」と叩く。


「気にするな、モフ。お主が奴を倒さなければ、この辺りの動物がどうなったかわかっておろう。それに、奴らの脅威はそれだけではない」

「……どういうことですか?」

「魔王軍の狙いは、ワシら動物だけではない、ということだ」


 動物だけではない……それは、人間にも脅威が及ぶということなのだろうか。

 俺がそう尋ねようとした時、部屋にもう1匹、いや1羽の動物が入ってきた。


「そうだチュン! モフの怪我が治ったら、すぐに横浜に来てほしいチュンよ!」

「お前、チュン太じゃねぇか! 少しは連絡寄こせよ!」

「すまないチュン。連絡できないワケがあったチュンよ。とにかく怪我が治ったら、佐藤パパさんと一緒に横浜に来てほしいって賢者様が言ってたチュン!」


 旅に出ていたという賢者ソースは、意外に近く、横浜にいるらしい。でもなんでパパさんと一緒に行かなくてはならないんだ?


「サバトラが、あと2匹の魔王四天王の正体を掴んだチュン。それに、魔王も今はあの辺りにいるらしいんだチュンよ」


 魔王が、横浜に……?

 未だその正体すらわからない『魔王』。魔王は一体、何を狙い、何をしていて、何者なのか。


「モフよ。お主にひとつ、伝えておかねばならぬことがある」


 ウシダが神妙な顔で俺の顔を見る。


「魔王は、日本の政権の転覆を狙っておる。賢者ソース殿は、今回の旅でその証拠をつかんだとワシに伝えてきた」


 日本の、政権を転覆だと? 正体もしれない魔王の狙いが、人間だと?


「我らは、それをなんとしても阻止せねばならぬ。そのため、元から我らの仲間だったある人間に、正式に協力を依頼した」


 ごくり。ついに俺たち動物軍の中に、人間が加わるのか。しかもその人物は、たぶん……


「それはお主の飼い主、佐藤栄三氏だ。彼は、お主と同じ時代からの転生者で、我ら動物の言葉を聞き、話すことができる人間なのだ」


 パパさんが、俺と同じ転生者……だと?


「モフ、今こそすべてをお前に打ち明ける時が来たようだね」


 突然部屋に現れたのは、俺のマスター。

 今日初めてフルネームを知り、転生者であることを知った、佐藤家のパパこと佐藤栄三さんだった。


 第4章 完

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