39 ウシダ師匠の実力

 雨がしとしと降り注いでいる。

 平成元年2月24日、昭和天皇の「大喪たいそうれい」の日、東京は雨だった。

 俺の毛もしっとりと濡れている。気温も低いが、ずっと走り続けているから寒さは感じない。


 5分ほど走り、多摩川の土手を登る。雨で寒いためか、人通りは全くない。そのままサイクリングロードを下流に少し下ると、そこは戦場だった。

 いや正確には、圧倒的な負け戦の現場だった。


 何匹かの猫や犬が傷を負い、呻き声をあげて横たわっている。

 一方、50匹はいたというアライグマの姿は5匹程度しか見えない。

 俺は急いで横たわりながら自らの傷を舐めている野良犬に話を聞いてみる。


「状況は? ウシダ師匠はどうなった?」

「ああ勇者様。ウシダ師匠と本隊は川べりに下がりつつ戦闘を続けているようです」

「わかった。すまん」


 中には重症の動物もいる。けど今は申し訳ないが、ウシダ師匠と本隊の方に行かなくては。

 葦が茂る草むらの中、動物たちだけが通れる道を辿り、川縁に向かう。すると動物たちの戦いの音が聞こえてきた。


 葦を抜けると、そこは激戦の真っ只中だった。だがどう見ても我が軍の方が部が悪そうだ。

 その中でも川のすぐそばで、10匹ほどのアライグマが群がっている場所がある。きっとウシダはあそこだ。


 俺が駆けつけると、思った通りウシダ師匠が1匹で多数のアライグマ相手に戦っている。


 1匹のアライグマが走り込み、ウシダを前足で引っ掻こうとする。だが足が届く寸前、ウシダは大きくジャンプをしてそれをかわす。落下地点で待ち受けていた2匹のアライグマの上に着地し、居力なジャンプ力を生み出す後ろ足でアライグマの頭にキックを食らわせる。


 すごい。さすが多摩川第18地区の主と呼ばれるだけはある戦闘力だ。

 師匠に蹴られたアライグマは多摩川の流れに落とされ、すぐに流されていく。

 本来泳げるアライグマが気絶するほどのキック力ということだ。


「ウシダ師匠! 加勢しましょうか?」

「おお、モフか。良い良い、この程度のアライグマなんぞ、ワシの敵ではない」


 なんと頼もしいお言葉。まあ俺が参加したところで、多摩川に流されるのはポメラニアンということになりかねないしな。


 1匹、また1匹と川に蹴り飛ばされていくアライグマは、他の動物たちの奮闘もあり、のこりは20匹程度になっていた。

 いける、このままいけば、勝てる。


 だが、そんな簡単に成り行きは運ばないのが、世の常というもの。


「テメェがこの辺りの主、ウシダか? なんだ、きったねえ顔だなぁ」


 周囲に響く太い濁声と、猛烈な悪臭をまとったソイツは、葦の影から悠然とその姿を現した。

 それは周囲のアライグマとは全く違う大きさ、尻尾を入れると体長1メートルはあろうかという巨大なアライグマだった。


「お主がアライグマのボスか。名を名乗れ!」

「ハッ! テメェは川崎のぬしからワシの噂を聞いておろう。ワシは、魔王ガスカル」


 思わず、体がブルリと震えた。『魔王』、確かにあの巨大アライグマはそう自称した。

 まさかこんなにも早く、魔王の姿を目にすることがあるなんて。でも、あんな巨大なアライグマ、しかも魔王に、ウシダ師匠は勝てるのだろうか。


「魔王ガスカル、とな。ガスカルという名は川崎の主から聞いておるが、それが魔王だとは初耳じゃ」

「ハッ!」


 周囲に悪臭を撒き散らしながら、魔王ガスカルは悠然とウシガエルに近づく。


「ワシの強さはすでに魔王を超えておるわい!」


 その言葉をきっかけに、両者は互いに駆け出した。

 ウシダはこれまで以上の跳躍を見せ、ガスカルの後方に着地するなり、さらにジャンプしてガスカルの背中を蹴り付けようとした。


 だがその動きはガスカルの想定内だったらしい。くるりと振り向いたガスカルは、跳躍してくるウシダの前足を鋭い爪で切り裂く。


「ぐうっ!」

「師匠っ、助太刀します!」


 ウシダが地面に投げ出されるなり、1匹の野良犬がガスカルに迫り、その喉元を噛みちぎろうとする。


「ガッハァ!」


 だがその動きもガスカルは読んでいたらしい。野良犬の牙はガスカルにかわされ、逆に背中側の首に噛みつかれた。


 ギャン!首筋から血を流し、地面をのたうち回る野良犬。ダメだ、流石に戦いにかけては魔王と名乗るだけある。一介の野良犬では太刀打ちできない。


「さてウシダよ、トドメを刺してやろう」


 ガスカルはウシダが転がっていた場所をギラリと睨んだ。だが、そこにウシダの姿はない。


「どこだっ?」


 俺はウシダの動きをすべて見ていた。ウシダは前足を切り裂かれ、地面に転がった。だがすぐに跳ね起き、近くにあった灌木に登ると、そこから勢いを付けて魔王ガスカル目掛け跳躍したのだ。


 その着地地点は、ピンポイントでガスカルの頭だ。

 着地する瞬間、ウシダは両足でガスカルの頭を蹴った。


「グウっ」と大きな声を出し、魔王ガスカルは地面に転がる。

 やった、師匠のキックが見事に決まった! これで……


「とまあ、こんなところか。随分と軽いケリだなぁ、ウシダよ」


 何事もなかったかのように立ち上がる魔王ガスカル。

 ヤバい、これは絶体絶命だ。

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