第51話 愛と憎しみ


「まず、この絵は全て同一人物が描いたものです。ペンの筆圧、そして流れる癖が同じだ。次に、絵の意味。動物も花も、どちらも幸運や幸福などを意味していて、何かしらのモチーフになっている物も多くあります。例えば、お爺様に届いた雪中花せっちゅうかは、神秘という意味がある。鼠なんかは繁栄を意味しますし、蝶は幸運を意味します。そしてお父様に来たと言われる蛇は、誕生や再生と言った意味を持ちます。そして花。お父様の方の花を先に読み解けば、黒薔薇は永遠の愛や、滅びる事の無い愛、などど言われていますし、トゲクサには気品や高貴、マツユキソウには希望という意味がある。そして、エドガー殿に送られた手紙」


 ダレンは、鼠を飛ばして蝶の絵を指差した。


「お父様の絵に描いてあったかは分かりませんが、蝶には幸運や魔除けなどの意味を持ちます。この絵をよく見てください。蝶に重ねる様に蜘蛛の巣が描かれている」


 エドガーとクロエは顔を寄せ絵を覗き込む。釣られる様にエリックも覗き込む。


「確かに、よく見ると細い線がありますね……」


 エリックが呟く様にいうと、二人も黙って頷いた。


「蜘蛛の巣にも、良い意味があります。夢をキャッチする、などとも表現されていますから、幸運を捕まえた、とも読める。そして、こちら」


 花の絵を飛ばし、フクロウの絵を指差す。


「フクロウには、知性や賢さの意味を持つ。そして、花。まず、四つ葉には、愛情や幸運を意味し、このヨモギギクは不死といった意味がある。最後に、この種については調べなくてはならないが、恐らく同じ様な意味を持つ物だろう」

「どれも、恐怖を持つ様な意味では無い、と?」

「表向きは」

「表向き?」

「ええ、この絵のモチーフは、見事にどれもこれも全て真逆の意味を持っています。今回の件には、その逆の意味が使われていると思われます」

「逆の意味……」


 ある程度の予測はしているのだろう、僅かに震える声で呟くエドガーに、ダレンは小さく頷き、静かに答えた。


「まず、注目すべきは、全ての絵は黒インクで描かれている事です。これが、他の色であったり、色が付いていれば『良い意味』と解釈出来る可能性はあったかも知れません。だが、これは、どれも『幸せ』や『幸運』を指すには、どこか不気味さがあります。それは、黒インクのみで描かれているからです。そして、黒に変わる事で意味合いが変わる物がある。例えば、雪中花には『滅亡』、四つ葉には『復讐』という意味がある。ヨモギギクも然り、ある国では『宣戦布告』といわれている。そして、お父様に届いたという花は、もっと露骨な意味合いがある」

「露骨、とは?」


 困惑顔で訊ねるエドガーに、ダレンは「死を連想させるものです」と応えた。それにクロエは大きく身体を震わせ、両手で顔を覆った。


「まず、黒薔薇は『憎しみ』、トゲクサは『報復』。そして、マツユキソウは『あなたの死を望む』」


 エリックがゴクリと唾を飲み込んだ気配を感じた。

 ダレンはエドガーとクロエを観察する。

 二人はただひたすらに怯えている。エドガーはクロエの手前、妹を心配するように背中を撫でているが、その唇は青い。震えを抑えるかの様に、小刻みに震える脚に力が入っているのが分かる。


「他の絵の意味は……」

「……クロエ嬢は、これ以上、話を聴くのは辛いのでは?」


 ダレンはクロエに視線を向ける。クロエは、カタカタと震え、その瞳には涙が浮かんで見える。


「……エリック、フィーリアを呼んできてくれ」

「はい」


 エリックが部屋を出ていき、暫くするとフィーリアを連れて部屋へ戻って来た。

 フィーリアは若干、困惑した様子ではあるが、落ち着いている。


「フィーリア、リビングで彼女の話し相手になってもらえないか? 冷蔵庫にチョコレート菓子が入っている。エリック、いいよな?」


 急に話を振られたエリックが、慌てて「もちろんです!」と応える。

 何故、ダレンがエリックに許可を得たか。それは、ダレンがエリックのリクエストで作ったチョコレート菓子だからだ。ダレンはひとつ顎を引くと、クロエに向いた。


「クロエ嬢、彼女はアワーズ伯爵家のフィーリアです。フィーリア、こちらはアルバス公爵家のクロエ嬢だ」


 ダレンが手短に紹介をすると、フィーリアは即座に淑女の礼をとって挨拶をした。

 お互いが挨拶を終えると、エリックは「では、お茶の準備だけして来ます」と言って、フィーリアとクロエと共に部屋を出ようとした。


「エリック。すまないが、レイラにしばらくリビングに近寄らない様に伝えておいてくれ。依頼人の事はなるべく人に知られたく無い」

「ウィリスさんには」

「彼は近寄らないだろうが。まぁ、念のため伝えてくれ」

「畏まりました」


 エリックはひとつ頷き、部屋を出て行った。


「オスカー殿」

「はい」

「この絵を見て、貴方はどう思ったのか、率直な意見を教えてくれないか」


 エドガーは、すっかり表情が無くなった顔で訊ねる。ダレンは、暫しエドガーの顔を見つめる。

 強い覚悟を持って此処へ来たことは、最初から分かっている。最初こそ、ダレンを信じて良いのか、否か。来てすぐは、ダレンを試す様に心を開かなかった。だから、ダレンはダレンのやり方で、彼の心をこじ開けた。先程まで、恐怖に濡れた瞳が、今は無表情の中にも強い意志を感じる。

 それを見たダレンは、一番最初に感じた率直な感想を伝える事にした。


「とても強い愛情が、憎悪に変わった様に感じました。愛は憎しみと背中合わせです。親、子、そして孫にあたる貴方がたにまで渡る執着から考えて、相当な憎悪であると感じます」

「絵から、そう感じたのか?」

「そうです。先程も申し上げた通り、この絵は単体でそれぞれを見れば、どれも良い意味のモチーフです。だが、これらが偶然にも二重の意味を持つモチーフであると気が付いた時、その様に感じました」

「そうか……。他の絵の意味を……。その、反対の……悪い方の意味を、教えてくれないだろうか……」

「ええ。もちろん」


 エドガーは覚悟をするかの様にふぅと息を吐きだし、エリックが淹れてくれた茶を一口飲む。その手は、まだ震えている。

 口に含んだ茶は、もう温かさはなく、まるでエドガーの心の奥の様に冷えてしまっていた。

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