第75話 キャビネットの中は


 ボヤ程度とはいえ、一階はそこそこ焼けていた。だが、道具が多く置いてあり、特に気になる点はありそうにない。手袋をはめ、手で口元を覆い、部屋の中へと進む。

 ひとまず、焼けていない箇所を靴の踵で床を所々叩きながら歩く。音に変化はないと分かると、二階へ上がって行った。


 二階には一部屋のみ。煙の匂いが充満しているが、燃えてはいない。床に縄が数本落ちているのを見ると、三人はここに縛られていたのだろうと気付く。


 部屋に入って真正面と左手側に大きな窓がある。左手側の窓際には大きなテーブルが一つ。椅子が対面に二脚あった。

 執務用に使用しているのか、テーブルの上には書類が散乱している様にも見えるが、どうやら種類別に分けられている様だ。事務は二人で処理をしているのか、筆記用具が二人分ある。

 ダレンはテーブルの上の書類にサッと目を通し、壁際にあるキャビネットに目をやる。その上には黒板があり、予定が書き込まれている。勤務表としても使っているのだろう、アゼル達の名前と共に、他二名の名前。このどちらかが、トバリの知り合いであろう。

 ダレンは黒板の下にあるキャビネットに手を掛けた。

 四段ある引き出しのうち、一番上だけ鍵穴がある。一段ずつ引いてみるが、どうやら一番上の鍵に連動しているらしく、どれも開かなかった。

 ひとまず部屋全体を見ようと振り返り、部屋の右側へ。時々、踵を打ち付け音を確認する。

 右手側にはダレンの身長と同じくらいの大きさの縦長の道具入れらしき物が二台ある。それぞれの扉に名前の札が付いている。

 開けてみると、作業着が入っていた。簡易クローゼットか、とダレンは中を確認する。特に気になるものは無く、もう一つを開けようとすると、鍵が掛けられていた。


「ふむ……」


 ダレンは人差し指を唇に当て、数秒考える。そして、スーツの内ポケットから革製のツールロールを出した。ロールを床に広げると小さな工具が数本入っている。その中から一本の工具を取り出し、鍵穴に差し込んだ。「二本いるな……」と独りごち、もう一本取り出す。

 手に伝わる感触を頼りに工具を動かせば、小さくカチャリと音がした。


 ダレンはゆっくり扉を開ける。


 ニヤリと笑みを浮かべ、すぐに扉を閉めて先程の野次馬の中にいた人物を思い出す。扉に付いている名前を指先でトントンと叩き、ほんの一瞬考える。


「キャビネットも見てみようか」と、ゆっくり後ろを振り向き、窓際のキャビネットを見つめる。


 工具を片手に、先程、開けなかった黒板の下にあるキャビネットの前に立つと。


「さて、キャビネットは、何を隠している?」


 コンコンと叩けば、無機質な音だけが響いた。



♢♢



 管理棟の調査を終え、ダレンは再び野次馬に視線を向けた。先程よりも人が増えていたが、ダレンが『怪しい』と感じた人物はもう居なかった。


 四阿で話をしているディランとクロエの元へ向かうと、クロエは先程よりも顔色がよく表情も落ち着いていた。それこそ、ディランのお陰か、とダレンは思った。


 ディランは、自然と人の心を解す術を持っている。それは天性のものであろう。子供の頃からディランの周りには人が多く、その誰もが笑顔で溢れていた。その姿を、ダレンはいつも遠くから眺めていた。その輪に入りたいと、心の隅で思いながら。その度、ダレンに気が付いたディランは、満面の笑みを浮かべてダレンを手招きする。そして、動きたくても、その場から動けないダレンを察し、ディランはいつでも駆け寄って手を差し伸べてくれた。

 

 四阿に近寄りながら、遠い昔の出来事を思い出す。

 普段は忘れているような記憶を、今回は事件を通してやたらと思い出す。全く関係ないこと。共通点など何一つ無いのに、何故だかそうさせる何かがあった。


(忘れろ。もう過ぎた話だ。今だけを見ろ)


 グッと手を握り締め四阿に向かえば、ディランが気が付いて、ニッと小さく口角を上げる。


「クロエ嬢、ご協力をありがとうございました」

「もう、よろしいのですか?」

「ええ。後日、またエドガー殿を含めお聞きする事がありますが、今日はもう大丈夫です。ダレン、待たせて悪かったな。クロエ嬢を頼む」


 まるでディランがダレンに協力を求め、クロエ嬢と話をしていたかのように言う。そういったさりげない言葉ひとつですら、自然と放つ。

 本来待たされていた相手が感じ取る印象を、柔らかく変える。


「いや、大丈夫だ。では、クロエ嬢、そろそろ行きましょう」

「ええ……。では、ディラン様、また後日」

「はい。お気を付けてお帰りください」


 ディランが穏やかな笑みを向け姿勢を正せば、クロエは丁寧に礼をし、ダレンを振り返った。


「では、参りましょう」とダレンが差し出した手を、クロエは素直に取る。


 二人が去っていく後ろ姿を見送って、ディランはサッと視線を周囲に走らせた。二人を追う素振りを見せる者が居ないか、または何処かから眺めている者が居ないかを。

 それらしき者が居ないと分かると、すぐに次の行動へと思考を切り替え、部下の元へ向かった。

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