第74話 管理棟


 クロエが絞り出した声で「オスカー様」と囁く。だが、その声は誰にも聞こえず、弱々しく消えた。


 ダレンはアゴーの襟首を掴み車か引き摺り出し腕を捻り上げ、車のボンネットにその身体を押し付ける。


「動くな。シナ・アゴー。トバリ・ソーヤの殺人未遂及び放火の疑い、並びにアルバス公爵家クロエ嬢への脅迫罪及び暴行罪により捕える」

「な、何を!!」


 振り向こうとしたアゴーの腕を更に持ち上げ押さえ付けると、アゴーが足払いを仕掛けてきた。

 ダレンは素早くそれを交わし、アゴーの太腿に向け銃を放つ。敢えて中心をずらしたそれは、内腿を掠め、タイヤを射抜いた。万が一の事があっても、これで車は動かせない。

 至近距離から放たれたそれに、叫び声が銃声と共に公園に響き渡る。


 ダレンの足元に崩れ倒れ込んだアゴーを冷たい瞳で見下ろし、その胸ぐらを掴む。


「中心をずらしたのは僕の優しさだ。次は骨を砕く。質問に答えろ。アルバス公爵へ脅迫の手紙を送ったのは、お前か?」


 耳元に低く響く声に、アゴーは目を剥き出しながら首を横に振る。


「クロエ嬢には?」


 小刻みに縦に首を振る。


「トバリの日記を盗んだのは、お前か?」

「……」


 ゆっくり首を縦に振る。


「ダレン!」


 背中に当たった声に耳を澄ます。ディランが駆け寄って来くると分かっても、ダレンの手は緩まない。

 ディランは素早く状況確認をし、ダレンの手から男を離す。


「ご苦労。コイツはこっちで預かる。ダレンはクロエ嬢を頼む」

「ああ、わかった。コイツは頼む。あ、ディラン」

「なんだ?」

「子供達は?」

「ちゃんと救出したよ。コイツが公園の管理棟に閉じ込めて放火していた」

「そうか。ありがとう」

「どういたしまして。じゃあ、また後でな」

「あ、ディラン。そいつの足、撃ったから見ておいて。でも、ちゃんと歩けるように中心は外しているから。だ」


 ダレンの一言に「え?」と、アゴーの足元に視線を向ける。内腿から擦り傷程度にしては、そこそこの量の血が流れているのを見て「あららぁ」と呟く。そして、アゴーに「ご愁傷様」と口では言いながらも、容赦なく立ち上がらせ、些か乱暴に引き摺って去って行った。


 ダレンはクロエに視線を向ける。腰が抜けたのか、車の中で仰向け状態のまま呆然とした顔をしていた。


「クロエ嬢、もう大丈夫です。遅くなり、すみませんでした。トバリ殿も無事です」

「トバリが……良かった……」


 先程まで、喉が締まり声が出なかったが、トバリが無事だと知った途端、声が出た。


「彼の元に案内致します。立てますか?」


 差し出されたダレンの手を見つめる。クロエは頷きながらその手を取った。


「ありがとう……」


 消え入りそうな声に、ダレンは柔らかく微笑んだ。その笑みが余りにも優しげで、クロエは一瞬目を見張り、視線を逸らした。逸らした先にあるダレンの手はとても温かく、クロエは不思議と震えが落ち着く気がしたのだった。





 腰が抜けて歩けないクロエを抱え、歩き出したダレンの足がふと止まる。

 止まったのは、公園内の庭師用の管理棟近くだった。


 ダレンが乗って来た馬車を停めている場所まで向かう途中、噴水の前を通るには今のクロエには酷だと思い、少し遠回りではあるが管理棟のある方向から向かおうとしていた。

 遠目からディランの姿が見え、そういえば管理棟が放火されていたと言っていたと思い出す。

 管理棟の周りは既に関係者以外入れないように紐が張られている。紐の奥には早朝散歩の人集りが出来始めており、その中にダレンの視線はあった。


「オスカー様……?」


 不意に止まったダレンに、クロエは横抱きにされたまま不安げに見上げる。


「クロエ嬢、帰る前に一旦、色々覚えているうちに調査をさせていただきのですが、大丈夫ですか?」


 突然の申し出に、クロエは不安そう眉を寄せ僅かに俯く。


「不安がらなくても大丈夫です。私の兄が調書を作るために、簡単な質問をさせて頂くだけです」

「わかりましたわ……。オスカー様、もう下ろしていただいて、大丈夫かと思いますわ……」


 その申し出に、ダレンはそっとクロエを下ろす。まだ僅かに震える彼女の肩を支える。


「大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」


 返事を聞き一つ頷くと、ダレンはすぐにディランを呼ぶ。

 小走りで近寄ってきたディランに「クロエ嬢の聴き取りを頼む」といい、すぐに耳元に寄る。


「野次馬の中に怪しい人物がいる。関係者と言われても誰も入れないでくれ。僕は少し管理棟を見て来る。その間、クロエ嬢を頼みたい」


 ディランはダレンの言葉を聞きつつ、さりげなく立ち位置を変え野次馬に視線を走らせる。ダレン程ではないが、ディランも特殊部隊の隊長なだけあって、怪しげな人物を見分けるに長けている。ダレンがいう怪しい人物を視界の端に捉えると「了解」と呟く。


 そして、すぐさまクロエに向き合った。


「クロエ・アルバス公爵令嬢、お久しぶりです」

「お久しぶりですわ、ディラン様……。近衛の貴方が、何故ここに?」

があり、この調査に協力しております。恐れ入りますが、私と共にあちらでお話を伺え願いますか?」

「ええ……ディラン様……よろしくお願い致しますわ」

「では、こちらへ」

 

 まるでダンスの誘いでもするのかという風に軽く膝を折り手を差し出せば、クロエは素直にその手を取る。ディランは事件現場には似つかわしく無い爽やかな笑みを浮かべ、近くにある四阿に連れて行った。

 その姿を、野次馬の中の一人が目で追っている事を、ダレンは見逃さなかった。その瞳が、憎しみに澱んでいる事も。

 ダレンは、ほんの一瞬、小さく笑みを浮かべ直ぐに真顔になる。そのまま澄まし顔で管理棟へと近寄って行った。


 管理棟の前で警備に立つ男は、ダレンの見覚えのない若い男だった。


「中に入れるか? 少し調査をしたい」

「すみませんが、一般の方はお入り頂けません」

「いや、僕は……」

「ああ、いや! バート! その方は良いんだ!」


 ダレンの背後から急いで走って声を掛けてくる男が一人。ディランの部下の一人で特殊部隊の副隊長を務めているロジャーがバートと呼んだ男に耳打ちをする。すると、慌てたように敬礼をし「失礼致しました!」と勢いよく謝った。


「いや、大丈夫だ。ロジャーさん、入っても?」

「ええ、どうぞ。新人が失礼しました」

「いや、全く気にしてない。寧ろ、そのくらいの警戒心が丁度いい。良い新人だよ。バートくん、頑張って」


 表情を柔らげ言えば、バートは頬を染め「ありがとうございます」と瞳を輝かせダレンを見送った。その様子を隣で見ていたロジャーが呆れた声で言う。


「……お前、あの人に惚れんなよ?」

「え……?! 惚れませんよ! 何言ってるんですか!」

「どうだかなぁ……目ぇ、キラッキラしてるぞ?」

「ちょっ!! 揶揄わないでくださいよ!」


 外の賑やかな声を背中で聞きながら、ダレンは管理棟へ足を踏み入れた。

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