第76話 再会




「旦那……。乗った時から焦っているのは気が付いておりましたが、この馬車はバギーで二人乗りなもんで……。お嬢さんまで乗せられませんぜ?」

「……。長い時間、拘束してすまなかった。……これは気持ちだ。受け取ってくれ」


 ダレンが金をいくらか手渡すと、御者は「これは、これは」と、厳つい顔を崩し笑みを浮かべた。


「また、ご贔屓に」


 そう言い残し、馬車は去って行った。

 ダレンはすぐに別の馬車を捕まえた。本当なら貸出し車を捕まえたかったが、先程の事でクロエが車に持ったであろう恐怖心を、再びぶり返してもいけないと感じたのだ。せっかくディランと話し、少し落ち着いたのだ。そのまま落ち着いて帰らせたかった。

 

 馬車に乗り込み向かった先は、アワーズ伯爵家だった。ダレンの家より警備面で安心出来る事もあり、アーサーにトバリを伯爵家で保護してもらうよう、伝えていた。

 クロエをトバリに会わせた後、アルバス公爵家へ送ろうと考えていた。

 

「あの、オスカー様……」

「はい、どうされましたか?」

 

 対面に座ったクロエに視線を向ける。クロエは、膝の上に揃えた自分の手を見つめ、「あの……」と何かを言いかけては口を閉じを繰り返し、言い淀んでいる。

 

「トバリ殿のことについて、エドガー殿が知っているか、ですか?」


 そう問えば、クロエは不安の色を持って顔を上げダレンを見つめる。

 ダレンは目を細め「大丈夫ですよ」と静かに答えた。


「トバリ殿については、まだエドガー殿には伝えておりません。そのため、今から行く場所もアルバス公爵家ではなく、私の叔母と……そう、フィーリアの実家であるアワーズ伯爵家です。トバリ殿は今、そこにおります。先に、彼に会ってから、アルバス公爵家へ帰りましょう」

「……何故、そこまでして下さるのですか……?」

「え?」


 クロエの瞳には、今にも溢れそうな涙が縁に止まっている。


「トバリは……トバリのことは、本当に愛しているのです。だからこそ、今回、とても不安でした……」


 静かに語り始めたクロエの言葉に、耳を傾ける。


「今回の絵手紙の絵は、彼が描いたものだと、すぐに分かりました……。けど、兄に言えなかった……。私は直接、トバリの口から聞きたかったのです……。けれど、彼では無かった。彼は、利用されただけで。彼じゃ、無かった……」


 ポタリと溢れた雫は、クロエの膝の上で揃えている手に甲に落ちた。

 一度落ちれば、それは止まることなく、ハラハラと落ちていく。ダレンは黙ってハンカチを差し出すと、クロエは俯いたまま僅かに微笑み、それを受け取った。


「トバリとは、結婚を夢みていました。彼は平民ですから……反対される事は、分かっています。だから、卒業したら駆け落ちしようと考えていました……。でも、もし今回の件で、彼が犯人だったら、私はどうするつもりだったのかと、考えました」

「……今回、貴女が一人で公園へ向かったのは、そのまま彼と逃げようと、考えたんですね?」


 ダレンの落ち着いた低い声が、耳の奥で響く。その声はあまりにも優しく、責める事のない声で。その優しさがクロエには辛く、嗚咽を漏らし、頷いた。

 

「大丈夫です。彼の絵は、依頼されて描いたものでした。今回、彼は巻き込まれただけです。ただ、犯人はまだ捕まった訳ではない。油断は禁物です」


 勢いよく顔を上げたクロエの瞳は、大きく見開かれている。


「犯人は、あのアゴーという男では無いのですか!?」


 信じられないと言わんばかりに、驚きと恐怖の入り混じる顔でダレンを見つめる。

 ダレンは、ゆっくりひとつ頷く。


「アルバス公爵家を狙っている犯人は、彼ではなく、別の人間です」


 なんてこと……と囁いたクロエの声は、あまりにも小さく、馬車の音で掻き消される。


 先程まで少し持ち直していた顔色が、見る見るうちに青白くなっていく。せっかく心を持ち直していたクロエの気持ちを、再び悪くしてしまった自分に、ダレンは心の中で小さく溜息をついた。


 今、いう時では無かった、と。

 

 今回は、どうも自分の思考を狂わせる。それは何故なのか。ダレンは、本当は気が付いていた。


 引き金となったのは、アゼル達の家の火事が原因だ。


 今回の事件と何の関係もない、自分の中で最奥へしまい込んでいた記憶が、繋がりを持たせようとするのだ。まるで、誰かに無理矢理そうさせられているのでは。とまで、感じるくらいに。

 その度に、何度も『これは無関係だ』と、自身の心に言い聞かせていた。


 ダレンが黙り込んでから暫くして、馬車が停まった。


「到着しました」と、御者にドアを開けられるまで、ダレンは気が付かず「ああ、すまない」と返事をし先に馬車を降りる。次いで、クロエが馬車を降りるのを手伝い、アワーズ家の正面玄関へと向かう。

 馬車の到着に気が付いたのか、キャロルがドアの前で待っていた。


「キャロル様……」

「クロエ様、お久しぶりでございます」


 キャロルの優しい笑みを見て、クロエは僅かに表情を和らげた。


「クロエ様の大切なお方が、お待ちでございますよ。さぁ、どうぞ。ご案内致しますわ」

 

 差し出された手を取り、クロエは弱々しく礼を言う。

 サロンの前に来ると、ダレンとキャロルは、クロエだけサロンへ入るように促した。


 サロンに通されたクロエは足を止めて、窓際に立ち、庭を眺めている黒髪の男を見つめた。


「トバリ……」


 泣きそうな震える声に、トバリは振り向く。


「クロエ……」


 二人は互いを求めるように、手を伸ばし駆け寄る。トバリはクロエを掻き抱き、その細い首に顔を埋めた。


「無事で良かった……」

「トバリ……トバリ……」

「もう大丈夫だ。私はここに居るよ」

「ええ……うぅ……」


 嗚咽を堪えながら涙を流すクロエの頬に、トバリはキスをしながら、何度も大丈夫だと伝えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る