第61話 クロエとの約束


 ダレンの家へ帰る車中。


 フィーリアは深刻な表情で車窓の外を眺めていた。だが、その瞳に風景は映ってはいない。

 あのオークの木の下で聞いたクロエの告白を思い出し、その光景を瞳の奥に映していた。





 クロエの恋人が犯人かも知れない。

 それを聞かされたフィーリアの心臓は、激しく鼓動を打った。隣に座るクロエの手を取って立ち上がったフィーリアは、すぐにエリックに報せましょうと言ってサロンへ戻ろうとした。

 だが、クロエは立ち上がらず、フィーリアの手を強く握った。


「フィーリアさん、待って」

「クロエ様! すぐにエリックとエドガー様にお伝えしなくては!」

「お願い、もう少しだけ。私達二人だけの秘密にして欲しいの」


 懇願する様に眉を下げフィーリアを見上げるクロエを、困惑しつつ見つめる。


「フィーリアさん、お願い。私の話を、聞いてくださらない?」


 お願い、と言われ、フィーリアはゆっくりと座り直した。その顔は、不安の色に染まっているが、彼女の話を聞こうと思った。


「今回の依頼について、貴女はオスカー様達から何か聞いてる?」

「……いいえ。依頼の内容は、なにも……」

「そう……。今回の依頼には、ある絵が関係しているの。と、言っても。その絵を見たのは、私も昨日が初めてだったのだけど……」


 どこか悲し気に微笑むクロエの手を、フィーリアは両手で包み込む。それに勇気を与えられたのか、クロエはゆっくり語り出した。


「始まりは、祖父へ届いた絵手紙だったそうだけど、その絵は父も兄も見ていないそうなの。だけど、その絵手紙が届いてから、祖父が亡くなり、父も毒殺されそうになった……。最初は、嫌がらせだと思っていた父も、自分が標的になって、兄にもその手紙が届く様になって……それからよ。父が酷く怯える様になったの。話を聞こうにも、とても聞ける状態では無かったわ。兄は、一旦は静観しようとしていたけど、父が日に日におかしくなる様子に、どうにかしなくてはと思う様になった。そんな時よ。私宛に手紙が届いて、これはいよいよ私の命も危険な状態だと。それで、従兄弟でもある王太子に相談をしたの。そして紹介して頂いたのが、オスカー様よ。兄は最初こそ、探偵なんかに相談なんてと言っていたけど、王族のスキャンダルを内々に解決したと聞き、相談をする決意をしたの」


 柔らかな風が通り過ぎる。

 フィーリアは、ハッとした。

 それはまるで、クロエの背中を優しく撫で、勇気付ける吹き方だったのだ。フィーリアと共に、クロエを励まそうとしているのか。


 精霊や妖精は、人間を嫌う。


 フィーリアと共に居るから、クロエを励まそうとしているのか。そう思ったが、すぐに違うと気が付いた。


(オークの木が、この家の人々を愛しているんだわ)


 きっと、ずっと代々大切にされて来たのだろう。口では「御伽話」と言っているが、心の底では、本当の事だと信じているのだろう。

 その心が、ちゃんとこの庭に息付いているのだ。だからこそ、フィーリアと共に励まそうとしてくれている。それが伝わったのか、先程まで泣き出しそうな顔だったクロエの表情は、キリッと引き締まったものに変わった。


「父と兄に届いた手紙。その手紙は、絵が描いてあるだけの物で、言葉なかったの。その絵がね、私の恋人の……。彼の絵に、酷似していたのよ……。彼は、絵描きを目指していて……王立公園で出会って。彼が噴水の絵を描いているのを見て、私から声を掛けたの。とても穏やかで、恥ずかしがり屋で……でも、とても紳士的で。魔法みたいに真っ白な画用紙に描かれていく絵を見ているのが、私は好きだった」


 彼を思い出し、ふと目元を優しく緩ませたが、すぐに鋭さが戻る。


「私と彼が出会ったのは、偶然では無かったのかも知れない。きっと、仕組まれた事だったのよ。彼が何を思って、何の目的で、私を……。いえ、アルバス公爵家を貶めようとしているのか。私には、知る権利があるわ」


 その言葉に、フィーリアは直ぐクロエが何をしようとしているのか気が付いた。


「いけませんわ! クロエ様!」

「私が、囮になる。そうすれば、この事件は解決出来るわ」

「危険過ぎます! どうかダレン達に任せてください!」

「オスカー様達に捕まったら、彼は何も語らない。私が引き出すわ……引き出さなきゃいけないの……。その権利が、私にはある。そう思わない? フィーリアさん……」


 一筋の涙が頬を流れる。


 フィーリアは何も答えられず、クロエの両手を握り締めるだけで精一杯だった。




「フィーリア様、到着しましたよ」


 ウィリスがドアを開けて声を掛けてきた。

 フィーリアは「え?」と間の抜けた声を上げ、辺りを見まわした。

 考え込んでいたせいか、到着した事に全く気が付いて居なかった。


「フィーリア様?」

「ああ、ええ。ごめんなさい。降りるわ」


 車を降り、ウィリスが玄関のドアを開ける。「ありがとう」と礼を言い、そのまま二階のリビングへ向かう。

 

 クロエの告白を、ダレンに伝えるべきか否か。


 クロエに秘密に、とお願いされたが、帰りにエリックに伝えた方がいいかとも考えていた。だが、エリックは公爵家に宿泊するというし、クロエの顔がチラつき、結局、フィーリア自身の心が決まらず、話す事は出来なかった。

 だが、フィーリアとしては、やはりダレンだけでも伝えるべきでは無いかという思いは、やはりある。それでも、クロエが信頼して話してくれた事を簡単に話して良いものかと、何度もそこへ戻るのだ。自身の中で板挟みになる思考に、頭を抱えたくなる。


 リビングへ入り「ただいま」と声を掛ける。すると、キッチンからレイラが顔を出し「おかえりなさいませ、フィーリア様」と笑顔を見せた。


「ダレンは?」

「まだお帰りでは無いです。遅くなるとは言っておりました。夕食の支度をする様にと伝えられておりますので、いま準備をしておりまし……た……フィーリア様?」


 レイラが言葉を止め、不思議そうにフィーリアを見つめる。


「また、夜遅くなると。そうですか。ああ、そうですかっ! この大変な時に! まぁ、お仕事ですからねっ! 仕方ない事ですわねっ!」

「フィ、フィーリア様!?」


 これで三日連続、こんな大事な依頼がありながら! と怒りを含む声と共にリビングから出て行くフィーリアの後ろ姿を、レイラは呆けた顔で見送ったのであった。

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