第11話 契約書
「君は素晴らしい観察眼を持っているな。お陰で色々と絞れてきたよ」
嬉々とした声で言うダレンを、エリックはポカンと口を開けて見上げる。
「君には、詳しく話をしても良いと僕は判断した。今から話す内容は、元々君に話すつもりは無かったんだ。だが、僕は君の力を借りたい。だからこそ、この部屋での話しはここだけの話として欲しい。出来るか?」
エリックの瞳がキリッと引き締まった。
「はい。約束します」
「よし。では、今から契約書を交わす。読み書きが出来ると聞いたが、大丈夫だな?」
「はい。ある程度、難しい本でも読むことが可能です」
「素晴らしい」
ダレンは執務机の引き出しから上質紙を一枚取り出すと、机の上のペンを手に取った。机の上に乗せていた本の上に紙を置き、筆圧を気にする事もなくスラスラと何かを書いていく。
「よし。内容を読んで納得したら、ここに君のサインを書いてくれ」
「はい……」
重要書類など初めて見るエリックは、緊張した面持ちで紙とペンを受け取る。
ゴクリと生唾を飲み込み、紙に書かれた内容を読み始める。
*********************
『 契約書
この度、私、子爵ダレン・オスカーは、カリッサ教会に住まう少年エリックと共に、第三王女依頼の【子供の神隠し】の事件を解決するため、以下のように契約を交わす。
一、この度の事件に関する全ての情報は、ダレン・オスカーと、助手である伯爵家キャロル・アワーズ若夫人以外には他言無用とする。
一、エリックの命に危険が伴うと判断した場合、即契約を解除する。その代わり、その身の安全が確保出来るまで、ダレン・オスカーにより避難場所を提供する。
一、報酬である『食事』は、エリックが求める限りいつでも提供を行う。その他、調査に必要と判断した場合、食事以外の備品をダレン・オスカーが用意する。
一、全ての情報ないしは出来事は、事件解決後も口外しないこと。万が一、他に漏れた場合には、双方不利益になると思われる罰則を設ける。(罰則については、要相談)
ダレン・オスカー 』
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エリックは、ちゃんと間違いなく読めているのか、「え!?」「えっ!!」と声を出し、何度も読み直していた。
納得したのか、若干、疲れ切った様子にも見えるが、エリックが放心状態でダレンを見上げる。
「ん? どうした? 分からない単語があったか?」
「……あ、いえ。ちゃんと読めました……はい」
「納得いかない箇所が有れば言ってくれ」
「いえ……。あの、ただ……」
「ただ?」
ダレンが腕を組んで小首を傾げる。
「……色々、衝撃が強すぎて……何から聞いたらいいのか……」
「例えば、どの辺り?」
「例えばって……全部です」
「……全部……」
よく分かっていないのか、ダレンが瞬きを繰り返している。エリックは、自分の心臓があり得ない動きをしているのを、必死に押さえ込み声を出した。
「まず……王女様の依頼って……」
「ああ、今回の依頼はこの国の第三王女だ」
すごく真面目な顔で頷くダレンに、エリックは呆けた顔を向ける。
「……住む世界が違いすぎる……」
エリックは口の中で呟く。
「それから?」と、次を促すダレンに、エリックは気を取り直し咳払いを一つすると、言葉を続ける。
「ダレン様は、爵位をお持ちだったんですね……」
「ああ、子爵だが名ばかりの爵位だよ。僕の仕事は上流階級の人間が相手だからね。爵位がある方が色々便利なんだ」
何て事なくサラリと答えるダレンを、今度は呆れた様に見つめる。
「確かに、アワーズ伯爵家の若奥様と一緒だった時点で貴族の方であるとは思っていましたが……」
「まだ爵位を譲渡されていない、気楽な貴族の息子と思っていたか?」
愉快そうに笑いながら言うダレンに、「いえ! そんな事は思って無いです」と否定した。
「あの……ダレン様?」
「なんだ?」
「なんで、オレを指名したんですか……? オレ、貴族でも何でもない、孤児ですよ? まだ自立もしていない……。そんな子供に、こんな重要な事をなんで……」
エリックは自分で言っていて、だんだんと気持ちが沈んで来た。
なんで。その答えによっては、自分はとても傷つくだろうと、先回りの思考に不安が襲う。
「何故、か。そうだな」
ダレンはテーブルに着くと、ゆっくりと静かに話し出した。その声は、とても穏やかで。耳に心地良い声音で、冷え冷えとしたエリックの心の奥が、和らいでいく気がした。
「昨日、教会で君を見た時、君は周り良く観て、その先を想像して先回りが出来ると感じた。院長から君の話を聞いた時、君がとても優しく勤勉であると分かった。僕は、君の観察眼と先見が出来る才能を、少しの間、貸して欲しいと思ったんだ。本来なら僕が張り込むなりして確認するべき所だが、僕はもう一つ、疑わしい教会の調査をしなくてはいけなくてね。助手のキャロルは、伯爵家の若奥様だし。張込みなんてさせられないからね。なら、あの教会に住む君の目を信じて、手伝いを依頼したいと思った。実際、さっき君の観察眼を存分に理解して、僕の選択は間違っていなかったと思ったよ。この先の話は、君が僕と正式な契約を交わすのであれば、話をするけど?」
昨日のたった数時間。
いまの、この食事の時間。
たった、それだけで。
自分を信頼して契約書を作成したダレンに、エリックは泣きそうになった。
こんな風に誰から自分を評価される事など、一度もなかった。院長や修道女達も褒めてはくれる。だが、ここまで具体的な言葉で評価された事は、生まれて初めてのこと。
胸の奥が熱くなるのを感じながら、エリックは、もう一つ気になる事を口にした。
「この契約書は……殆ど、オレに有利になる。身の安全の確保とか、必要な備品を揃えるとか。もう既に沢山の事をしてもらっている……」
「……全部がエリックに有利では無いだろ。最後の罰則規定だって、これから考える事ではあるが、とんでもなく厳しい物になり得る。君に責任が取れるかも分からない罰則を、僕が言うかも知れない」
ダレンは脅しの言葉を続けるが、その顔はとても優しくエリックを見つめている。
エリックはその瞳を、信じたくなった。いや、今さっきまでも信じていた。なんなら、教会で初めて挨拶した時から、何故かこの人は信頼出来ると、そう思った。
エリックはペンを握ると、ダレンのサインの横に自分の名前を綴った。
丁寧に。ダレンのサインの様に美しい字では無いが、精一杯の気持ちを乗せて書いた。
それを見たダレンは、サインを書き終えたエリックの頭を優しく撫でた。見た目通り、猫の毛の様に柔らかな癖毛が指に絡む。
エリックは顔を上げ、ニッコリと微笑むと「宜しくお願いします」と掠れた声で伝えた。
「こちらこそ。よろしく、エリック」
二人は立ち上がると、固く握手を交わした。どちらも、とても清々しい笑顔で。
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