第44話 フィーリアの部屋


***



 翌日。


「オスカー子爵様、不束な娘ではございますが、どうぞ末長く宜しくお願い致します」


 フィーリアが美しい姿勢で淑女の礼をする。


「おい……。何の真似だ? 何故、嫁入りみたいな挨拶なんだ。キャロルも! キャロルが仕込んだな!? 何、一緒になって礼をしている!」

 

 キャロルは顔を上げて姿勢を戻すと「だって、ほぼ嫁入りみたなモノだから」と訳の分からない事を言い出した。


「まだ未婚の娘が、男所帯の家に一人で行く……。もう、これって嫁入りじゃない? 嫁入りよね? 世間体では、もう嫁になったとしか思わないわよね?」

「……何を血迷った事を言っているんだ……。僕は同居を許可しただけで、嫁に向かい入れるとは言ってない!」

「もぉ、ダレンったらぁ。照れちゃってぇ」

「照れてない!」


 何となく頭が痛くなってきたダレンは、片手を額に置いて、深いため息を吐く。

 そんなダレンにキャロルはグッと近づき、耳元でとんでもない発言をした。


「ダレンなら、ちょっとくらいしても良いわよ?」


 その言葉に、ギョッとした顔をし「お前は馬鹿か!」と、普段のダレンならば言わない言葉で怒鳴った。

 そしてすぐに小声でキャロルに説教を始める。


「それが娘を持つ親の台詞か! ふざけるにしても、限度がある! フィーリアを大切に思うなら、二度とそんなふざけた冗談を言うな! わかったか!!」

「……リアは、ダレンなら受け入れ……いえ、ごめんなさい。何でもないです。もう二度と言いません」


 ダレンが今まで見た事も無いような鬼の形相になっているのを見て、キャロルは即座に謝った。


「二度目は無いと思え」


 地を這うような低い声に、キャロルは姿勢を正す。


「はいっ! 約束します!」

「……分かればいい」


 そんな二人のやり取りは、幸いにもエリックとフィーリアには聞こえていなかった様で、二人は荷物を部屋へ運ぼうとしていた。

 ダレンはキャロルをギッと睨み付けてから、二人を手伝った。


 フィーリアの部屋は四階の客室という名の荷物置きになっていた部屋だ。


「まさか伯爵令嬢を荷物置きに行かせるとはねぇ」などとキャロルが文句を言ったが、フィーリア本人は何とも思っていなさそうだった。


「トイレと風呂は三階を使ってくれ。当面、三階のトイレと風呂場はフィーリア専用とするから。それから、三階の僕の書斎は、君の侍女の部屋になる。レイラといったかな?」


 階段を上りながらダレンが説明をすると、フィーリアは「え!? レイラが!?」と驚きの声を上げる。

 フィーリアが伯爵家に来てから、ずっとフィーリア付きだった侍女に来てもらう事にしたのだ。


「通いでは無いという事?」

「ああ、その方が君も安心出来るだろ? その代わり、元々いた僕の実家の通いの使用人が来なくなるから、彼女にはこの家の掃除なども頼む。そのつもりで」


 通いだとばかり思っていたからこそ、フィーリアは嬉しそうに「ええ!」と明るい声で返事をする。


「でも、ダレンの書斎は? 無くなってしまって大丈夫なの?」

「リビングに即席で場所を作ったから大丈夫だ」

「ダレン……! ありがとう! 嬉しいわ!」

「どういたしまして。さすがに、僕やエリックでは、女の子の事となると、分からない事も多いからな」


 ダレンは笑いながらいった。

 


 

「さぁ、ここが今日から君の部屋だ」


 ダレンによってドアが開けられる。その部屋を見て、フィーリアの大きな瞳が見開かれた。


「すごい……素敵……」


 屋根裏部屋と聞いて、天井が低いだろうと予想していたフィーリアだったが、そんな事は杞憂だった。

 天井はじゅうぶんに余裕があり、窓際が少し斜めになっているが出窓になっている。それがまたお洒落だった。

 小さいながら執務机もあり、ドレッサーも書棚もある。

 カーテンは木の葉と姫林檎の絵が描かれていて、壁紙は淡い緑色をベースに黄色の小花が描かれている。ベッドのカバーもそれらに合わせて小さな花柄で、全体的に淡い色合いだ。可愛らしいが不思議と落ち着くその部屋は、フィーリアの心をガッチリと掴んだ。感動しつつ部屋を見回していたフィーリアの視線が、ふと止まる。


「あ……」


 小さく声を上げベッドへ近づく。

 フィーリアは振り向いてダレンを見た。フィーリアの瞳には、涙が浮かんで見て取れる。


「気に入ってもらえたかな?」と訊くダレンにフィーリアは「ええ……もちろん」と掠れた声で応える。


「ありがとう、ダレン……」

「礼ならエリックにも。彼が壁紙を変えたり、君が好きそうな家具を選んで運んだんだ」

「エリック、ありがとう」

「どういたしまして。フィーの瞳をイメージして全体的に緑と黄色に揃えてみたんだ。どうかな?」

「すごく素敵。本当にありがとう……」


 優しく微笑んで見守るダレンとエリックに、フィーリアは涙を見せまいと、顔を逸らした。正面を向くと、ベッドの上にどうしたって視線がいく。

 ベッドの枕元には、茶色の熊のぬいぐるみが座っている。その首には、ダレンの瞳と同じ色の青いリボンが付いていた。


 それは五年前、エリックの誕生日プレゼントを買いに入った店で、フィーリアが見ていたぬいぐるみだった。

 あの時、フィーリアはぬいぐるみを「欲しい」と言えなかった。

 ぬいぐるみは、子供っぽいから。早く大人になってダレンに並びたいと思ったから。

 あの時、買ってもらった髪飾りは、もちろん気に入ってた。今でも大切にしており、今日も髪に着けているくらいお気に入りだ。だが、まさか五年後に、あのぬいぐるみが自分の手元にやって来るとは、思いもしなかった。

 フィーリアは、ダレンの優しさに嬉しくなった。

 本当は、この家に来て欲しくないと思っているだろうと、この二週間ずっと不安に思っていた。

 けれど、部屋を見て「迎えてくれている」と感じ、ぬいぐるみを見て「ここに居てもいいんだよ」と言われている気がした。


「隣の客室は、キャロルとアーサーが泊まれる様にしてある。いつでも来い」


 ダレンがそう言うと、キャロルは「本当!?」と歓喜の声を上げて隣の部屋へ向かった。みんなも隣へ向かったのか、声が遠くなる。隣の部屋からキャロルが喜ぶ声が聞こえてくる中、フィーリアはひとり、新しい自分の部屋を愛おしそうに眺めた。


 そして。


 熊のぬいぐるみを胸に抱くと、そっと微笑み、誰にも聞こえない声で囁いた。


「やっぱり、ダレンは……。私にとっての魔法使いだわ」


 そう言って、一粒だけ。ポトリと暖かな涙を落としたのだった。

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