第45話 ダレンの行く先
その日の夕食は、キャロルとアーサー、ウィリスを含めた、いつもの六人でダレンの手作り料理を堪能した。
キャロルは年々料理の腕前が上がっていくダレンに、この日は「料理については完敗だわ」と言ってダレンを喜ばせた。
キャロル達を見送り、ダレン達と共に片付けを終えたフィーリアは、自身に与えられた部屋へ戻ろうとした。
三階まで行って、ふと思い立ち踵を返すと二階へ向かう。リビングにダレンは居て、何やら出掛ける準備をしていた。
「ん? どうした?」
フィーリアに気が付いたダレンは、コートを羽織りながら訊く。
「ダレン、出掛けるの?」
「ああ、ちょっとな」
「すぐ帰る?」
「まぁ……どうかな。何だ? もしかして、もうホームシックか?」
笑いながら言うダレンは、フィーリアの前に立つと頭をポンポンと柔らかく撫でる。
その仕草はフィーリアが子供の頃と何も変わらない。ダレンにとっては、まだ自分は十歳の子供と変わりないのだと感じる瞬間でもあったが、それでもフィーリアは、ダレンに触れられると嬉しくなる。無意識に口角が上がってしまうのだ。
「今日は疲れたろ? ゆっくり風呂に入って休め」
「あの、ダレン……」
「じゃあ、僕は出掛けるから。戸締まりしておくけど、自分の部屋は自分でしっかりしておけ」
じゃあな、と言ってダレンが部屋を出て行った。
軽快に階段を降りて行くダレンを、何故だかとても寂しい気持ちで見送ったフィーリアは、ふと思い立ち、エリックの部屋へと向かった。
ノックを三回すると、中から「どうぞ」と返事が聞こえ、そっとドアを開ける。
「……リッキー」
顕微鏡で何かを覗いているエリックに声を掛ける。
エリックはどこか微妙な表情で顔を上げ、小声で「フィーまでリッキー呼びかよ……」と言ったが、フィーリアには聞こえていない。
フィーリアには、しっかりとキャロルの癖が移っている。それを見るたび、ダレンは血の繋がりなど関係ないのだと、エリックに言っていたが、エリックもその通りだなと感じていた。ただ、フィーリアのあだ名呼びは、その時その時で、コロコロ変わる。ちゃんとエリックと呼ぶ時もあれば、エリーやらリックやら。そして、今日は初のリッキー呼び。
「どうしたの?」と、再び顕微鏡を覗き込む。
「ダレンが出掛けたの。依頼の調査か何かかな」
「いやぁ? 今は何も依頼はないよ……。今日は何日だっけ……」
「二十日よ」
「ああ……じゃあ娼か……あーーーーーーーいじょ! 紹介所に行ったかなぁ!?」
エリックはガバリと勢いよく顔を上げ、慌てた様子で言い直す。
「……紹介所って? なに、それ。初めて聞く場所だけど?」
フィーリアは目を細め、じっとエリックを見つめる。
「リッキー……いま、娼館って聞こえた気がするんだけど」
「いや! 言ってない! 言ってないよぉ? あー! どこだろうなぁ? ダレンさん!」
「紹介所、なんでしょ?」
「そ、そう! 紹介所!」
「何を紹介してくれるのかしら? 色っぽい女性でも紹介してくれるの?」
眉を八の字にして、明後日の方へ視線を向けるエリックは、どんどんと声が小さくなる。
「いやぁ……どうかなぁ? 僕、よく知らないなぁ」
「エリック」
普段は歌う様な軽やかで綺麗な声のフィーリアが、低く重たい声を出す。
エリックは思わず椅子から立ち上がり「はいっ!」と返事をする。
フィーリアはエリックの前までゆっくりと歩みを進める。それに合わせるように、エリックは後ろへ後退る。
「エリック。貴方、いつから自分のことを【僕】と言うようになったのかしら?」
「えぇ……そこぉ……?」
「エリックっ!!」
「はいっ!」
壁に追い詰められたエリックは、これ以上は退がれないのにも関わらず、背中をベッタリと壁に押し付ける。
「ダレンは何処へ行ったの?」
「……しょ……です」
「なに!?」
「あーー!! もう! 分かった! 言う! 言うよ! ダレンさん、ごめん!! 娼館だよ!」
エリックが大声で天井に顔を向けて言う。
「……かん……」
「……ふぃ、フィーリア?」
俯きふるふると震えるフィーリアを、心配気に見つめるエリック。
その肩に手を乗せようとしたが、フィーリアが勢いよく顔を上げたので、急いで引っ込めた。フィーリアは、大きな目を吊り上げて、顔を真っ赤にしている。
「私が来た、その日に! 娼館ですって!?」
「ふぃ、フィーリアさん?」
「エリック!」
鋭く呼ばれ、ピシッと背筋を伸ばすと「はいっ!」反射的に返事をする。
「貴方も、行った事あるの!?」
「え?」
「エリックも、ダレンと娼館へ行った事があるのかって、聞いてるの!」
「フィーリア、落ち着いて! そんな大声出すとウィリスが驚くよ?」
ウィリスは今、一階にある元々通いの使用人が使っていた控室を使っている。ウィリスの様なら大柄な男には若干狭い部屋であるが、新しい寝具など揃えた事で、ウィリスは満面の笑顔を浮かべた。
『軍で野営をして砂利の上で寝る事に比べたら、この部屋の狭さなど微塵も気になりませんよ。寧ろ、新しい寝具を揃えて頂き、心から感謝します』と言っていた。
エリックは、その時のやり取りを思い出す。
ダレンは以前から貴族然、といったものが感じられない所がある。
老若男女はもちろん、階級も問わず、誰に対しても同じ態度だ。
普通なら、使用人を同じ食事の席に座らせる事はあり得ない。だが、ダレンは最初からウィリスを同じ食卓に座らせて、共に語らい合った。
それはあまりにも自然で、当たり前の様に行うからこそ、エリックはダレンを益々尊敬していた。
その尊敬する人を、いま、裏切ってしまっている気がするのは何故だろうかと、エリックは複雑な気持ちでいた。
目の前のフィーリアを、情け無い顔で見下ろす。
「エリック! 答えなさい!」
「はいっ! あります! すいません!」
何故、謝らなくてはいけないのか。エリック自身わかっていなかったが、フィーリアの迫力に負けて、気が付けば口が勝手に謝っていた。
「……ていね……」
「……え? なに……?」
「最っ低ぇね! って言ったのよ!」
「えっ」
「別に? 二人とも独身だし? 私の知る限り、特定の恋人もいなさそうだし? そういう大人な事しても、おかしくない年齢ですし? 別に、勝手にしたら良いと思うわよ?」
フィーリアは、ふん、と鼻を鳴らし横を向く。
「けど! 私が来た、その日に行くこと無いじゃない?! そうでしょ! エリック!」
「はいっ! いや! えっ!? オレ?!」
激怒しているフィーリアに混乱しているエリックは、何故自分が怒られているのか困惑する。
「もういいっ! 寝ます! おやすみ!」
「えっ!? えぇぇぇ??」
勢いよく閉まるドアに、エリックは脱力し、その場にしゃがみ込んだのだった……。
フィーリアは自分に与えられた部屋へ入ると、電気も付けずにベッドに力無く倒れ込む。目の前に、熊のぬいぐるみが見える。その熊を持つと、窓に投げ付けようとし、すぐに止める。
「ダレンの、バカ……」
熊のぬいぐるみをギュッと抱きしめると、枕元に顔を埋めたのだった。
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