第46話 ダレンの気遣い
高級娼館---ルシアの部屋。
穏やかな表情で、ダレンの胸に顔を乗せているルシアの顎を優しく持ち上げ、自分に向かせる。
ダレンと目が合い、ふわりと微笑むルシアの唇に軽くキスを落とすと、その長く美しい太陽の光の様な髪を梳く様に撫でる。
「しばらく、此処には来れなくなるかも知れない」
ダレンがそう言うと、ルシアは「何故ですの?」と、どこか不安げに訊ねる。
「僕の家で、一人子供を預かる事になってね」
「子供……で、ございますか……?」
「ああ。ある程度、落ち着くまでは、少々時間が掛かると思う」
ダレンはベッドから出て、鞄の中から数本の小瓶を取り出した。
「疼く気配を感じたら、これを一本飲め。それで少なくとも一週間は持つ。安心しろ。ディラン経由で信頼出来る薬師に調合してもらっている。前にも飲んだ事があるだろう。アレを改良したらしい。より効果があると聞いた」
過去に、ルシアがダレンを怒らせ、ダレンが
暫く来なかった事があった。その時、使いの者が同じ薬瓶を持って来たことを、ルシアは思い出した。あの時も子供絡みだったと、ルシアは僅かに顔を曇らせる。
「ルシア?」
名を呼ばれ、ルシアはダレンから小瓶を受け取ると「わかりましたわ」と、僅かに翳りのある表情で頷く。ダレンは小さく息を吐き、ベッドに戻りルシアを引き寄せ抱きしめた。
「もう、随分と間隔も長くなって来た。そう心配しなくて大丈夫だ。それに、何ヶ月も来ないというわけではない。僕も、なるべく時間を見つけて来るから」
「でも……。その預かる子、というのは、ダレン様の護衛が常に必要、なのでは? 共に暮らすということは、そういう事だからなのでしょう?」
「……。それは君が気にする必要はない。薬を飲んでも疼く様な気配が消えなければ、僕に連絡しろ。良いな? 無理だけはするな」
いつもなら、どこか冷たさすら感じるダレンの表情に「心配」が見て取れたルシアは、小さく微笑み「はい」と頷いた。
「もし、他に気になる事があれば、スチュワートに言って僕に繋ぐよう頼め」
ダレンは、この娼館の店長で、いつも受付にいる男の名をいうと、ルシアは小さく頷く。
「ならば、ダレン様。お願いがございます」
「なんだ?」
ルシアはダレンの耳元にそっと囁く。
「それは、さっき……」
と、言いかけたダレンの唇が塞がれる。言葉の続きを攫うように、ルシアは自らダレンにキスをし、ゆっくりとベッドへ押し倒す。
深く長いそれにダレンは察し、静かに彼女の身体に手を這わせるのだった---。
♢♢♢
翌朝、二階のリビングへ向かうと、美味しそうな香りが部屋全体に漂っていた。
「ああ、おはよう、フィーリア」
ダレンがテーブルに食器を置きながら、爽やかな笑顔で声をかける。
フィーリアはムスッとした顔で「……おはよ」と小さく応えると、ダレンは訝し気な顔で見つめる。
「どうした? もしかして、寝起きが悪いのか?」
「……何でも無い!」
「……そうか?」
小首を傾げながらキッチンへ戻って行くダレンを横目に見て、ふんっと、小さく鼻を鳴らし席に着いた。
「おはようございます、ダレンさん。フィーリアもおはよう」
「皆さん、おはようございます」
エリックと一緒にウィリスが入って来た。二人は何やら楽し気に話しながら笑い合っている。フィーリアは、小さく息を吐いて視線を窓の外へ向けた。
今日の天気は晴天。フィーリアの心は曇り空。
自分の心模様と違う空を、恨めしそうに見つめる。
昨晩は、結局あまり眠れなかった。寝具が合わないとか、新しい環境だからとかでは無い。
ダレンが娼館へ行っているという事実は、フィーリア本人が思う以上に大きなショックだったようで、眠ろうとしても眠れなかったのだ。何度も寝返りを打ち、何度もため息を吐く。一回りも違う年齢差は、自分がどんなに成長した所で変わるわけも無い。
そんな事を考えていると、キッチンからダレンが料理を運ぶのを手伝ってくれと、声が掛けられた。
それぞれ立ち上がり、キッチンへと向かう。
「あ! やった! オレの好きな三日月パン!」
「三日月パン?」
エリックの喜びの声に、フィーリアは首を傾げる。
「あれ? フィーは知らない? 今、王都で流行っているパンだよ。形が三日月に見えるから、三日月パン。でも、これはダレンさんが作ったヤツで、店のより旨いんだ。コレを食べると店のは買えなくなる」
「それは言い過ぎだろ、エリック。店のも美味しいから、僕は真似して作ってみただけだよ」
興奮気味に言うエリックに、ダレンは笑いながら言った。
テーブルに着席し、女神に祈りを告げ、四人で食事を始める。
真ん中に半分切り込みが入った三日月パンには、ハムやタマゴディップ、ローストビーフにサラダ、ジャムやクリームなど、好きな物を間に挟んで食べるのだとエリックが説明すると、フィーリアとウィリスが迷いながらパンの間に挟んでいく。
「フィーリアは令嬢だから、アワーズ家ではこうした朝食を食べる事はしてこなかったろう。ここは男所帯なのもあって手掴みで食べる物もよく作る。最初は大口を開けて食べるなど、作法的に抵抗があるかも知れんが……まぁ、その辺は申し訳ないが慣れてくれ」
そうダレンが言えば「すぐ慣れるよ。旨さに作法は勝てない」と、よく分からない理屈をエリックが言う。
フィーリアは「わかったわ」と頷き、両手に持った三日月パンを見つめてから、口を開けた。
パクリと小さく齧れば、サクッとした食感ががたまらなく美味しい。鼻に抜けるバターの濃厚な香りと共に、口いっぱいに広がる香ばしさに、フィーリアは僅かに目を見開いた。
一口目では具材には到達しなかったが、二口目でタマゴが口の中で一緒になり、また食感が代わり美味しい。
笑みを浮かべて食べるフィーリアを、ダレンとエリックは目を見合わせ微笑み、各々食事を始めた。
「食べながら聞いてほしいんだが」
フィーリアが食後の紅茶を飲み始めた頃、まだ食べているエリックとウィリスに向かってダレンが言う。
「僕とエリックは毎朝、食事をしながらその日一日の予定を確認し合っているんだ。それを今後は二人にも共有していく。もし、僕らが調査で出掛けてしまった場合は、ウィリスに留守を頼む。もちろんフィーリアが出掛けたい時は、ウィリスが護衛で付くようにして欲しい。フィーリアは、一人で行動はしないと約束してくれ」
「わかったわ。約束する」
「あと、今日の昼頃に住み込みでフィーリアの身の回りと、この家の掃除を頼む使用人が来る。アワーズ伯爵家でフィーリアの侍女だったレイラだ。それと、午後二時頃に依頼人が来る事になっている。僕とエリックが対応するので、その間は応接室には近寄らない様に。以上。何か質問はあるかな?」
ダレンがフィーリアとウィリスの顔を交互に見ると、二人は一つ頷く。
「大丈夫よ」
「承知しました」
二人の返事を聞き、ダレンはにこりと口角を上げ「よろしい」と、満足そうに頷いた。
ダレンが朝食時に伝えた様に、アワーズ伯爵家から侍女のレイラがダレンの家へ派遣されて来た。
レイラに与えられた元ダレンの書斎は、ウィリスの部屋同様、決して広くは無かったが、新しいベッドや内装は「迎え入れてくれている」という気遣いが感じられるものだった。
きっとキャロルに聞いたのだろう。作りはどれもシンプルだが、レイラが好む色合いの壁紙やベッドカバー。レイラが落ち着ける部屋になっている。
部屋を見た瞬間、ダレンの優しい気遣いにレイラは甚く感動した。使用人の部屋まで気遣う主人など、そうそう居ないからだ。そして、レイラが喜ぶ姿を見て、フィーリアまでもが嬉しく感じたのだった。
「フィーリア様がダレン様をお慕いするお気持ちが、なんだか分かった気がします。ダレン様は人たらしでございますね」
と、レイラはほんのり涙を浮かべながら言った。レイラの言葉にフィーリアは、少し複雑な気持ちが生まれたが、それを上回るダレンへの想いが、胸の奥で暖かく広がるのであった。
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