新たな事件 〜精霊と魔法使い〜

第81話 解読


 アルバス公爵家----


 クロエは私室の書棚から一冊の本を取り出し、窓際にある一人掛けソファに腰を下ろした。

 フィーリアと出会い、オークの木の下で話した御伽話【イリースライアとヒルドーの魔法使い】を、久々に読んでみようと思ったのだ。

 窓から見えるオークの木を眺めれば、不思議と心が落ち着く。今日はよく晴れているせいか、オークの木の葉が時折、光って見える。その様子が、まるで妖精が遊んでいるみたいだと思うと同時に、そう思った自身に小さく笑う。


「こんな幼い子のような事を考えるのは、久しぶりだわ」


 本をゆっくりと開くと、古い紙の独特な香りが広がる。その香りは、物語へ誘う魔法のようで、クロエはすっと本の世界へ入り込んでいった。


 昼を過ぎ、日が徐々に傾きはじめた外は、穏やかな風がオークの木を柔らかく揺らしていた。

 




 ダレンの家・二階リビング---


 目の前でエリックに吸い込まれていく様に消えていく料理を見ながら、フィーリアは頬杖をついて、小さく頬を膨らませていた。

 

 ダレンとエリックが帰ってきたのは、明け方を少し過ぎてからだった。エリックは帰ってから、そのまま寝てしまい、ダレンはシャワーを浴びてから再び出掛けてしまった。


 昼過ぎに目が覚めたエリックは、寝癖もそのままにリビングに来て「腹減った!!」と叫び、今に至る……。


「ねえ、リッキー」


 凄まじ勢いで食事をするエリックに声を掛けると、エリックは口の中の物を飲み込んで口元を拭き「なに?」と返事をし、水を飲む。何も答えずにいれば、エリックが水を飲みつつ視線を向ける。


「もう、犯人は捕まったんでしょう? 事件は解決したのよね?」


 一気に水を飲み干し、水差しからコップに注ぐ。そして短く息を吐くと、エリックは「まぁ、一応ね」と答えた。


「一応って? まだ解決していないってこと?」

「ディラン様の取調べが終わらない限りは、まだはっきりと解決、とは言えないよ」

「そうなの……」

「なんでそんなこと訊くんだ?」

「……何となく」


 ダレンの帰りがまだなのか、と聞きたい所をグッと我慢する中、再びパンを千切って食べ始めたエリックを見て「まだ食べるの?」と思わず口にする。


「見ているだけで、私までお腹いっぱいになってきた……」

「仕方ないだろ? 育ち盛りなんだから。ちゃんと食べないと、すぐ腹減るんだよ」

「育ち盛りっていうのは、十代の頃に使う言葉よ? それにそれ以上、育ってどうするのよ。じゅうぶん、背丈はあるじゃない」

「じゃあ、食べ盛り」

「言い方変えただけじゃない」

「んふ〜」

「笑って誤魔化さないで。太っても知らないから」

「その分、運動してるから大丈夫。それで?」

「なに?」

「一番聞きたいことがあるんだろ?」


 見透かされた言葉に、フィーリアは頬を染める。エリックのどこかニヤついた顔が腹立たしく感じながらも、口を尖らせ訊ねる。


「ダレンは、いつ帰って来るのかなぁって……」

「もう帰って来てるだろ? ダレンさんの帰って来た音で、オレも目が覚めたから」

「え!? そうなの?」

「今頃、寝てるんじゃないのか?」

「そっか……帰って来てたんだ……」


 心の奥が、ホッとして暖かくなる。良かったと思うと同時に、顔を見たかった気持ちが同居する。そんなフィーリアに、キッチンから顔を出したレイラが声を掛けてきた。


「ダレン様でしたら、今、三階の書庫に籠っていらっしゃいますよ?」

「え? そうなの?」

「はい。帰ってからすぐ。先程、三階でお会いして、後でお茶を持って来て欲しいと頼まれておりますから」


 それを聞き、フィーリアは勢いよく席を立つ。その瞳が、わかりやすく輝いており、エリックとレイラはこっそり笑った。恋する乙女の顔、そのものになっているのを、本人は気が付いていないのだ。


「お茶、私が持って行くわ!」

「はいはい、わかりました」

「持って行く時、階段に気を付けろよ?」

「ええ、分かっているわ。大丈夫よ!」


 明るい声で返事をすると、レイラに用意してもらったティーセットとスコーンをトレイに乗せ、フィーリアは三階の書庫へ向かった。

 ノックをすると、中から少し低めの落ち着いた声が響く。何だか久々に聞く声に、思わず口角が上がる。

 ゆっくりドアを開けて入れば、ダレンが二人掛けのテーブルの上で何かを書いていた。このテーブルは、ダレンがこの家で一人暮らしを始めた頃にリビングにあったものだ。何やら愛着があり捨てられず、書庫に運んだのだが、何かと役に立っている。


「ダレン、お茶を持って来たわ」


 顔を上げたダレンは二度瞬きをし「ああ、フィーリア。ありがとう」と応えると、テーブルの上を一部片付け、そこにトレイを乗せるように言った。疲れからか、少し窶れた様子に心配になり「大丈夫?」と声を掛けると、ダレンはどこか不思議そうに小首を傾げ「ん? ああ、大丈夫だ」と返した。


「何か、調べ物? 他国の言葉?」


 二脚あるうちの一脚に、他国の辞典が置いてある。今回の事件は、他の国が絡んでいるのかと、フィーリアはぼんやりと思った。フィーリアの視線の先を見て、ダレンは「ああ」頷く。


「ちょっと気になった物があってね。調べてみたが、特に意味は無かったようだ。どの本を見ても、何も引っ掛から無かったから。僕の思い過ごしだったようだ」

「……どんな文章なの?」

「ん? いや、文章にもなっていないが……」

「私が見てはダメ?」


 フィーリアの申し出に、ダレンは一瞬考えたが「ああ、良いよ」と頷いた。

 ダレンは自分が書いたメモ用紙をフィーリアに手渡した。


「特に意味はない、ただの文字が並んでいるだけだ」

「……」

「……フィーリア?」


 ダレンはフィーリアの顔を見て、背筋を伸ばす。フィーリアの顔は、信じられない物を見ているように、瞳が見開いていた。


「ダレン、これは……どこで知ったの?」

「どこでって……何か意味があるのか?」


 ダレンの問いにフィーリアは顔を上げた。その顔は、見たこともない深刻な表情で、僅かに手も震えている。


「フィーリア?」


 ダレンは立ち上がり、フィーリアの両肩に手を乗せる。


「大丈夫か?」

「この文章をもらったのは、ダレン?」

「いや、僕じゃないが……」

「じゃあ、誰からこの文章を知らされたの?」

「トバリ氏が……ああ、トバリ氏はクロエ嬢の恋人だが、彼から王立公園の庭師を紹介してもらうのに手紙を書いてもらったんだ。その手紙が、妙に気になって。これは、何か意味があるのか?」


 ダレンは表情を厳しくし、フィーリアを見つめる。


「その手紙、今ある?」

「ああ、ある」

「見せて!」


 フィーリアの勢いに一瞬驚いたが、ダレンはすぐに手紙をフィーリアに見せた。すると、フィーリアはヒュッと喉を鳴らした。


「フィーリア、これは何か意味があるのか? どこの国の言葉だ?」


 ダレンの言葉に、フィーリアは驚愕した表情のまま顔を上げ、呟くように言った。


「もう、今はない魔法大国ベルリバードの言葉よ」

「ベルリバード? 初めて聞く国の名だ。何と書いてあるんだ?」

「もうずっと昔に滅国しているの……これは……ねぇ、これを書いたのはクロエ様の恋人と言ったわね……」

「あ、ああ」

「ダレン、クロエ様が危ないわ!」


 フィーリアの言葉に、ダレンは大きく瞳を見開いた。





 ドアがノックされる音に、クロエは物語の世界から引き戻された。


「はい」と返事をしても、誰の声も聞こえない。クロエは椅子から立ち上がり本をテーブルに置くと、ドアへ向かった。

 日がだいぶ傾き、西日が部屋を照らしている。


「だれ? アンなの?」


 ドアを開けると、そこには思いがけない人物が立っていた。


「トバリ……貴方、どうしてここに……」


 驚きと嬉しさと戸惑いで、クロエは瞬きを繰り返し、愛おしい人を見上げる。


「クロエ、会いに来たんだ。会いたかったよ」

「え、待って、トバリ……貴方、どうやってここに」

「どうやってって。ちゃんと玄関から、案内してもらって来たんだよ? ほら、あそこにいる侍女さんにね」


 笑顔で答えるトバリが、身振りで示す方向へドアを開けてみれば、壁際にアンがお辞儀をして立っていた。それを見て、クロエは驚きながらもトバリに抱きついた。


「トバリ……!! 嬉しいわ! 会いに来てくれて!」

「クロエ……私も嬉しいよ。……部屋へ、入っても?」

「ええ、もちろんよ」


 クロエは頬を染めつつ、トバリを私室へ通した。


 ドアが閉まると同時に、壁際に立っていたアンが倒れる音にも気が付かずに……。

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