第108話 精霊の魂
【
五年前、フィーリアが風の精霊に連れられて辿り着いた場所。
フィーリアの歩いた跡であろう、草が押し潰された小さな足跡を見つけ出した時に見かけた、不思議な虹。
それに対して名前を付けたのは、ダレンの気紛れであった。
ただ、何となく。
あの可愛らしい虹を眺めていたら、ふと名前が頭の中に浮かんだのだ。そして、その浮かんだ言葉を口にしただけだった。
雨が降っていたわけでは無い。よく晴れた日に、天然の炭酸ガスの影響で水面から弾けた水がミスト状になり、光が当たり角度によって見えただけだと、思っていた。いや、思おうとしていた。
しかし、どうやら違っていたようだと分かったダレンは、フィーリアがこの場所に辿り着いたのも、何となく納得出来た。
恐らく精霊同士にある、何からしらが反応しあったのでは無いか。
この国に、精霊は居ない。
フィーリアがこの国に来て感じ取った事だ。
しかし、実際にはアルバス公爵家に木の精霊が居た。そして、マリーの話の様子からしてガルバンズ要塞にも。しかし、彼女が降り立ったのは、その何処でも無い、気配が消えかけていた水の精霊の場所。
ダレンは、ふとある考えに行き着いた。
「ヨナス殿、この水の精霊は、いつから此処に? 以前、少なくとも五年前には、この湖には精霊は居なかったろ」
ダレンの問いに、ヨナスは僅かに目を見開く。先程、ほんの一瞬、口調が畏まっていたヨナスであったが、再び保管庫にいた時の様に気軽な口調で答えた。
「すごいね……。さすが探偵さん」
「茶化すな。答えろ」
「五年前。確かに五年前の秋までは、精霊様はいらっしゃらなかった。正しくは、お姿を消していた、なんだけど」
「どういう事だ?」
「六年前の春、何者かに精霊様が襲われたんだ。それから、姿を消していただけで居なかったわけじゃないんだ。ようは、深い眠りについていた。しかし、五年前の秋、精霊様が目覚めた気配を感じ取ったんだ。僕が定期的に魔力を流しに来ていた時には、何の反応も無かったのに。何者かの魔力に精霊様の【核】が反応した様だった」
「核、とは?」
「人間で言う所の【魂】とでも思ったらいい。何者かに襲われた時、精霊様は咄嗟に【核】を冬眠状態にしていた。【核】さえ奪われなければ、精霊様は再び復活できる。だけど、それを覚醒させるには、上質な魔力の供給と精霊様を信じる心が必要なんだ」
ヨナスがそう言うと、二人の会話が分かるのか、ずっと和かな笑みを浮かべフワフワと湖の上に浮かんで見えていた水の精霊が歌い出した。
「僕達の話がわかっているのか? というより、何故、僕は彼女の声が聞こえているんだ……」
「まぁ、全部が理解出来てる訳では無いと思うけど、半分近くは理解してらっしゃる。それと、何故、君が精霊様を感じ取れるか、だけど。声だけじゃない。姿が見えているのも、特別な事だよ。本来、魔力を持たない君には、見る事も聞くことも出来ない。今の君が精霊様の姿や声を感じ取れるのは、大きな魔力に触れた事で、一時的に分かるようになっているだけだよ」
「大きな魔力? それは先程、あの保管庫の魔法やヨナス殿と此処へ来た時の魔法の影響という事か?」
「いや、僕の魔力の影響は少ないだろうね。それよりも、もっと大きな魔力を浴びただろ? つい最近」
ヨナスの言葉に、ダレンはピンと来た。
十日前に起きたアルバス公爵家での出来事で、トバリとフィーリアの魔力を多いに見せられ、全身で感じ取ったことを。
あの時、ダレンもエリックも、初めて【魔法陣】というものを目の当たりにし、オークの木の光を目にした。
あれら全て、フィーリアの魔力の影響だったのだろうと、ヨナスの言葉でダレンは妙に納得をした。
なるほど、とひとつ頷くと、ダレンは水の精霊を見つめる。すると、彼女も穏やかな笑みを浮かべ、ダレンを見つめていた。
「彼女は何と?」
と、彼女の歌声の訳を訊ねれば、ヨナスは精霊を見つめながら答えた。
「五年前、風の精霊様が自分を起こしに来たと。その時、この土地に降り立った少女の魔力に触れ、目が覚めた、とおっしゃっている」
やはり、精霊同士で何かしらのやり取りがあるのだ。だからフィーリアは此処に連れて来られたのだろうと、ダレンは一人思う。そして。
「精霊に聞いて欲しい。六年前、一体誰に襲われたのか、と」
ヨナスは一瞬、躊躇して見せたが、すぐにひとつ頷き、水の精霊に訊ねた。
先程まで軽やかで明るかった音色は、若干、暗い音色に変わった。水の精霊が歌い終わると、ヨナスがダレンを見上げる。
「古代魔法を使う黒髪の男だったと。それと、水の精霊様からの依頼は、その男についての様だ」
「何故、僕に依頼を?」
ヨナスが再び歌を唄えば、水の精霊もそれに応えた。
「精霊様たちは、離れていても繋がっている。先日、アルバス公爵家で起きた木の精霊様の事件は、気配で感じ取っていた、と。その時、そこに居たのが、精霊様が目覚めるきっかけになった少女と、名前をくれた君が居たことを感じ取ったそうだ。木の精霊様の力を奪ったのは、水の精霊様の力を奪ったその男が関わっている。男を止めて欲しいと」
「ひとつ教えてくれ。アルバス公爵家の木の精霊は、力を失った様だが、貴女の様に【核】が眠っているだけか? それとも……」
言葉を続けようとしたが、それより先に水の精霊が何かを必死に伝えよう歌い出す。
「なんてこだ……!!」
精霊の歌が終わると、ヨナスが大きな衝撃を受けた様に顔を青ざめさせた。
「精霊は、なんと?」
浅い呼吸を繰り返すヨナスが、カクカクと身体を震わせ、ゆっくりとダレンを振り返る。
「……木の精霊様は、全ての力を失った。【核】も、最後の最後に使い果たした、と……。なんていう事だ……そんな深刻な状態だったとは……」
ヨナスは両手で自分の顔を覆い、小さく呻き声を上げる。
「大丈夫か?」
足元がふらついたヨナスに手を差し出し支えると、ヨナスは荒い呼吸を必死に整え、小さく礼を言う。
「まだ、質問があるのだが……大丈夫か?」
「ああ……。すまない、大丈夫だ」
俯いたまま頷くヨナスを支えたまま、ダレンは水の精霊に視線を向けた。
「彼女は……水の精霊は、どうやって蘇ったのか。ここに風の精霊と共に来た少女の魔力に触れたと言うが、その時には小さな虹の姿だった。最近、本来の姿に戻ったのであれば、少女以上の魔力に触れた、という事か?」
ダレンの唐突な問いにヨナスは青白い顔を持ち上げ、その視線をすぐに精霊へと向ける。震える声で唄えば、精霊は穏やかな歌声で応えた。
そして、ヨナスは驚いた様に目を見開きダレンを振り返る。
「君に……名前を与えられ、人間の信じる心に触れた。その時に、かなり目覚めてはいらしたようだ。だけど、この場所に、数ヶ月前から魔力を持った者が滞在していたと、おっしゃっている」
「していた、という事は、今はいないのか?」
「ああ。十日前、アルバス公爵家で大きな魔力が動いた時に、その者たちが消えたとおっしゃっている」
「彼らは、水の精霊に何をしたんだ? 共の姿に戻れるだけの、何かをしたのか?」
その問いに、ヨナスが歌わずとも精霊が歌い出した。
「一人、水を操る者が居た、とおっしゃっている。水の魔法が得意なのか……何度も水鏡を作り、誰かとやり取りをしていた様だ。その水鏡を作る過程で、上質な魔力が湖に流れ込んだ。それを【核】が吸収した事で、完全復活出来たのだと……」
「ヨナス殿は、その者達の存在は気が付いて居なかったのか?」
「君にそう言われると、何だか悔しいが……気が付かなかった。恐らく、相当な魔力を持った者達だ。認識阻害の魔法を使えるのかも知れない……」
そういうと、ヨナスは何かを考え込む様に黙り込んだ。
「ヨナス殿。あの保管庫で訊ねたことを、もう一度、貴方に訊ねる」
ダレンの言葉に、視線を持ち上げる。
「貴方は、本当にトバリ・ソーヤを知らないのか?」
その問いに、保管庫では変わる事の無かったヨナスの顔付きが、僅かに険しくなったのだった。
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