第1部 甥と叔母の事件簿

第1話 ダレン・オスカーという男



 センター街から少し離れた住宅街。

 そこそこ金持ちでないと住めない土地柄であるため治安も良く、昼間であっても基本的には静かである。


 その静寂を楽しむ男が一人。


 アパートの一室。

 男は自室のリクライニングチェアに身体を預け、その目を閉じ、自身の思考の海へ潜り込んでいた。


 アパートの下に車が止まった。些か乱暴にドアが閉まる音。

 この国で車は、まだ出来たばかりの新しい乗り物だ。普通の貴族や平民は、いまだに馬車が主流であり、車なんぞ高級な代物に乗るのは、上流階級の人間、ないしは金持ちの商人くらいしかいない。

 この国の車の種類は二種あり、ドアや屋根が無いもの、そしてドアや屋根が付いたもの。

 通常、ドアや屋根が無い車が多く、ドアや屋根が付いた物は、ほんの数台しか出回っていない高級車だ。走っているとすれば、それは【貸出車かしだしくるま】と呼ばれており、国が管理する車が殆んどだ。馬車と違い、運賃は些か高い。それもあって、貸出車も上流階級の人間が乗ることが多いのだ。

 下に止まった車はドアがあるタイプだ。

 男の来客であるとすれば、男が知る限りこんな乗り物に乗って来るのは、一人しか居ない。


 男は小さく溜息を吐く。そして、ゆっくり椅子から立ち上がり窓際に近寄ると、レースのカーテンを指先でそっと捲った。

 男が僅かに下へと視線を向ければ、停まっているのは、やはり数少ない高級車だ。車の運転席側に乗り込む男の姿。そして、車から降りたと思われる女の姿。女の動きに視線を合わせれば、男の住むアパートの共同ドアが見える。

 共同ドアの前に、大きなボンネットを被った品の良い服装の女が立った。そして、ドアに設置されているドアベルが鳴ったのは、窓の外を見ていた男の部屋だった。

 男は部屋から出て軽やかに階段を降りると、玄関へ向かいドアを開ける。


「ダレン、依頼が来たわよ」


 女はドアを開けた男に向かってニッと笑みを浮かべ、挨拶も無しに一通の手紙を差し出す。チラリと見えた封蝋に、男は僅かに顔を顰める。

 ダレンと呼ばれた男は片眉を器用に持ち上げ、その手紙をその場で開いた。差出人の名は明記されていないが、封蝋の印と便箋からフワリと香る香水の匂いに、男は「やっぱり」と心の中で呟く。名前が明記されてなくても、依頼主が誰なのか直ぐに分かったからだ。


(また厄介な依頼だな……)


 女は共同ドアを閉め、二階へと上がって行く。その足を途中で止めると、男を振り返る。


「ダレン。考えるなら、上で」


 男は顔だけ女に向けると、女は無言で人差し指を上に向けてクイクイと指し、上に上がれと示す。

 男はこの数分間の内に二度目の溜息を小さく吐き出し、気怠そうに二階へと向かった。



***



 部屋に入ると、女はボンネットを脱いでテーブルの上にそっと置いた。

 艶のある栗色の髪がフワリと揺れる。

 クルリと振り向いた顔は、意味深にニッコリと笑みを浮かべている。が、その笑みは、通常の男ならあっという間に恋に落ちるだろう。ぷっくりとした愛らしい唇に、少し垂れ目のグリーンの瞳は、幼くさえ見える。シミひとつない白い美肌は、まるで陶器人形ビスクドールの様だ。


(これでもうすぐ三十だなんて、誰も信じないだろうな)


「ダレン! いま、失礼なこと考えなかった?」


 女は男が一瞬考えただけの事を、瞬時に勘づき指摘する。


 先程から「ダレン」と呼ばれている、この男。


 ダレン・オスカー。二十二歳。

 元々は侯爵家の次男だが、王家のある出来事スキャンダルを内々に解決させた事により、一年前に子爵という爵位を得ている。が、訳あって表向きは父親の持っていた爵位を襲爵された事になっている。もっと上の爵位を与えられそうになったが、爵位そのものに興味があるわけでは無いダレンは「子爵以上は、私の様な若造には身に余るもの」と丁重に断り、今がある。

 しかし、領地があるわけではない名ばかりの子爵だ。それもあってか、本来ならばアパートなんぞに住む様な立場では無いにも関わらず、本人は全くもって気にしていない。そもそも、貴族社会は以前に比べ、僅かではあるが、勢力の衰えが見え始めている。何年後かは思い付かないが、それでもそう遠くない未来には、中産階級が大きくなるであろうと、ダレンは思っている。そうなれば、いつか爵位等は消えてなくなるだろう。だからこそ、ダレンは爵位に拘りが無い。それでも、の為には必要な物であることも、よく分かっている。


 そんなダレンだが、世の女性は放ってはおかない。若くして爵位を持ち、中性的な美しさを持つ眉目秀麗なダレンは、社交界でも有名だ。淡い色の金髪に深い海の様な碧い瞳。背も高く手脚の長いスッキリとした体型。殆ど表に顔を出す事が無い為、「幻の貴公子」と呼ばれている。


 爵位と同時に屋敷も得たが、そこには半年しか住まなかった。釣書が何通も届き、仕舞いには押し掛けて来る令嬢までも居た。それが嫌で、ダレンは屋敷から出て、ひっそりと一人暮らしをしている。


 結婚など望んでいない。

 誰にも邪魔されず、好きな事を好きにやって生きていけるなら、それで良いとさえ思っているのだ。

 因みに。今のところ、どの令嬢にもダレンが暮らすアパートは知られていない。


 一方。

 「依頼書」を持って来た女。

 キャロル・アワーズ。二十八歳。

 元侯爵家の四女で、今はアワーズ伯爵家の若奥様だ。ダレンとは七歳差だが、実はダレンの父親と歳の離れた兄妹で、彼等はの関係だ。

 

 ダレンの兄と歳が近い事もあり、子供の頃から三人で遊ぶ事が多かった。その遊びは少々な物ではあったが、それが今のダレンの仕事へと繋がっている。キャロルは、その助手だ。



 二人の仕事は、この国ではまだ珍しい【探偵】で、ある。



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