第3話 依頼内容
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
キャロルは淹れたてのコーヒーをソーサーを付けて渡したが、ダレンは目を向ける事なくカップだけを持ってコーヒーを飲んだ。
(コイツは……)
キャロルはグッと文句を堪えて、残されたソーサーをテーブルの上に置くと、自分も椅子に腰掛けコーヒーを口に含む。香り豊かで深いコクがある味に、思わずホッと吐息が漏れる。
キャロルがコーヒーを自分で淹れる様になったのは、ダレンがこの家に暮らし始めてからだ。それまでは、キッチンに入った事すら無かったが、ダレンが自分で食事の支度をしているのを見て、何だか負けた気がしたのだ。
キャロルはコーヒーの美味しい淹れ方を学び、ダレンに初めて飲ませた時、「旨い」と言われて、心の中で歓喜の声を上げたほど嬉しかった。
コーヒーを飲みながら、その時の事を思い出して小さく笑う。
コーヒーの良い香りに、これにチョコレートを合わせて食べたら、絶対に美味しい筈だと思いながら、もう一口飲むと、ダレンが漸く顔を上げた。
静かに立ち上がり、キッチンへ向かい直ぐに戻って来た。その手にはチョコレートの箱を持っている。
「どうぞ、叔母様」
「どうも、ありがとうございますっ!」
キャロルはフンと鼻を鳴らしチョコレートを一粒口に入れる。
キャロルは「叔母様」と呼ばれるのが嫌いだ。たいして年齢の差があるわけでも無い者同士なのだから、当然とも言えよう。ダレンはニヤリと意地悪く口角を持ち上げ、自分もチョコレートを一粒摘み口に放り込むと、その箱をキャロルの前のテーブルへそっと置いた。
キャロルはチラリとダレンを見る。
ダレンは意地悪をしたかと思えば、何て事ない顔をしつつ、さりげない優しさを見せるのだ。
キャロルは小さく笑みを浮かべ、チョコレートをもう一粒摘む。実は、このチョコレート店のチョコレートは、キャロルのお気に入りなのだ。
「今日は、随分とご機嫌だな」
「……何故そう思うのよ」
今さっきまで誰かさんのお陰で、ちょっと気分が削がれてたけどね、と心の中で悪態を吐きつつ訊ねる。
「まぁ、強いて言えば、そのボンネットかな」
と、テーブルの上に置かれたキャロルが被ってきたボンネットにチラリと視線を送る。
これは、昨晩、夫からプレゼントされた物だ。ついでに言えば、今着ているデイドレスも。
普段は誕生日や記念日には無頓着な夫が、昨夜は結婚記念十周年だと覚えており、サプライズでプレゼントしてくれたのだ。
普段は、そんな気の利く夫では無い為、記念日である事も敢えて何も言わずにいたのに。
キャロルは嬉しくなって、早速、今日から着ている。
「結婚十周年だって、覚えててくれたのよ! あのアーサーが!」
「そりゃあ、おめでとう」
「心の籠ってないおめでとうを、ありがとう」
「いやぁ、心底めでたいと思っているさ」
「あら、それは失礼?」
キャロルが戯けて言えばダレンは鼻で笑った。
「それで? 依頼は何て?」
キャロルの問いにダレンは唸りながら手紙をよこす。読んでも良いという事だ。
キャロルは手に取り、ザッと目を通す。暫くしてから、難しい顔をダレンに向けた。
「王女様が出資している、あの教会で、って事よね?」
「そうだな」
「王族が関わって出資もしている、しかも当然、慰問にも行くというのに、こんな大それた事するかしら?」
「灯台下暗し、というからね。やる奴はやるだろう」
ダレンは軽く両手を上げ、ヒラヒラとさせる。
「これが本当に教会が関係しているとなると、王族も加担してると思われる可能性はあるな」
「なんて事を……」
「だからこそ、僕にこの話を持って来たんだろう」
ダレンの感情のこもっていない言葉が、余計に現実味を持たせる。
「どうする? 受けるの?」
キャロルはそう言うが、その顔は「受けるに決まってるわよね?」と言わんばかりに目を見開き、ダレンの顔を覗き込む。
ダレンは半目でキャロルを一瞥すると、本日三回目の溜息を吐いた。
「あの人は、なんで僕にこんな厄介な依頼ばかりするのかねぇ……」
「あの人だなんて……不敬よ」
キャロルが咎めれば、ダレンは口角を下げて軽く手を上げる。
「そりゃ、貴方が王女様の申し出を袖にしたからに決まってるでしょ」
「…………」
王女殿下の申し出。
それは、ダレンの爵位にも関係している。
ダレンが初めて王女殿下の依頼を受け、王族のスキャンダルを揉み消した際、高位の爵位を与えられそうになっていた。
理由は、単にダレンに恋した王女殿下が、職権濫用でダレンに高位の爵位を与え、王女殿下が臣下する方向で話が進みそうになっていたのだ。
つまり平たく言えば、王女殿下はダレンに結婚を申し込んで、それをダレンは「子爵以上の爵位は要らない」と言い、暗に断ったのだ。
王族が嫁入りするには、伯爵以上の爵位で無ければならない。ダレンは、それを回避する為、自分の年齢を盾に「若過ぎるから」と言えば、王女殿下の暴走に困り果てていた周りもそれに乗って、子爵に落ち着いたのだった。
ダレンは、その時の事を思い出しているのか、死んだ目をして
「ダレ〜ン? 大丈夫?」
キャロルがダレンの目の前で手のひらを振る。
ハッと、気を取り戻したダレンは、身震いを一つするとキャロルを半目で睨み付ける。
「余計な事を思い出させるな」
「なんでって言うから、答えただけですけども? それで? どうする? 断る?」
王女殿下の依頼は、最近、ダレンも気にしていた内容であった。
【子供の神隠し】
ここ半年、突如、子供が消える事件が増えていた。これまでにも子供が行方不明になる事件はあった。だが、ここ最近件数が以前よりも増えたのだ。
誘拐であれば、誘拐犯が金銭の要求をして来るものだが、それも無い。理由としては、恐らく消えた子供の多くが貴族の子供では無く、平民の子供に多いからだ。平民に金銭を要求しても、たかが知れている。下手すれば、口減しが出来て良かったと捜索しない親もいるくらいだ。
そうなると、子供はどこへ?
考えられる事としては、人身売買だ。
それを、王族が出資し、慰問にも訪れる教会で行われている様だと、王女殿下の依頼書に書いてあるのだ。
教会では、孤児達が修道女や修道士達と共に暮らしている場所も少なくない。
子供が養子に迎えられれば減るし、教会に置いて行かれる事もある。何十人単位で増減する事は無いが、それでも一年の内に数人が入れ替わる事はあり得る。
子供が居なくなっても、増えても。不自然では無い場所。
そこが拠点に、闇取引を行っているとしたら。
「闇取引の隠れ蓑には、適した場所とも言えるな」
「そうね。子供が犠牲になるなんて、最も許し難いわ。それも、神に仕える者が加担してるのよ?」
声は落ち着いているが、僅かに震えている。怒りが込められているのがダレンに伝わってくる。
キャロルは子供が好きだが、自身にはまだ授かっていない。自身でも孤児達の為に寄付やバザーなどの手伝いをしている。この仕事の報酬の殆どを寄付に使っていると言っても過言ではないだろう。だからこそ、子供が大人の勝手で誘拐され、知らない土地へ売り飛ばされる事への嫌悪感が強くある。
「子供が授かる事は、奇跡なのだから。どんな理由であれ、どの子も等しく幸せになる権利がある。ねぇ、ダレン。この依頼、王女様からでは無く、私からの依頼として受けてくれないかしら」
その言葉に、ダレンはキャロルを見つめた。
緑色の瞳が、真っ直ぐにダレンの瞳を捉える。
どこまでも真剣に。
ダレンはリクライニングチェアから立ち上がると、コーヒーを一気に煽りキャロルを見る。
「出かけるぞ」
その一言に、キャロルは花開く様に目を見開き、笑顔を見せた。
「そう来なくっちゃ!」
まるで少女の様に輝く笑顔を見せる叔母に、ダレンは再び思った。
(これで三十は……)
ボンネットを被って部屋の出入り口に立ったキャロルが振り向く。
「ちょっとダレンさん? いま、何か言いまして?」
時々、心を読まれる事が怖いなと思いながら、ダレンは「イイエ、ナニモ」と応え、出かける準備をしたのだった。
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