第17話 人攫い
エリックは素早く辺りを見回し、公衆電話を見つけた。ポケットを探りダレンから渡されていた小銭を確認すると、自転車を走らせ電話のある場所へと急いだ。
震える指で番号を押す。
『もしもし、交換台です。繋ぎたい番号をどうぞ』
「8029まで! 急いで!」
『8029ですね。少々お待ちください』
「早くね!」
コール音が耳の奥に響く。エリックは焦る心を必死に押さえ、犯人の車を見つめる。まだ車は動いておらず、そこに居る。
「早く、早く……」と、心の声が漏れる。すると『もしもし』と低く少ししゃがれた男の声が聞こえた。
「もしもし! あの、ダレン・オスカー子爵様に急ぎの用だと!」
『エリック君かい?』
突然、知らぬ相手に自分の名前を呼ばれ、必要以上に驚く。
「そ、そうです! オレはエリックです」
『その場で少し待っててくれ。急いでダレン様を呼んでくる。その電話のダイヤルの上辺りに番号が書いてあるだろう? それを教えてくれ』
「3360です」
『3360だな。分かった。一旦、電話を切るぞ。そこで待っててくれ』
「はい。わかりました」
一旦、受話器を置くと、エリックは苛立ちにも似た焦りを落ち着かせたいのか、自転車のペダルを片足で逆回転させながら電話を待った。
たった数分が、果てしなく長く感じるのは初めての事だ。エリックはダレンに出会った、たった三日で、様々な「初めて」を経験している。なんて事だと思いつつも、新しい世界を見せつけられる事が、全く嫌では無かった。
電話を待ちつつ車を観察していると、黒髪の少女が不意にこちらを向いた。
「フィーリア……!」
間違いない。あの子だ。
【女神の愛し子】が、あの車に乗っている。
すると電話が鳴り、急いで受話器を取る。
「もしもし! ダレン様! フィーリアが……あの子が例の男女の車に乗っているんだ!」
『もしもし、エリック君、落ち着いて』
「え……」
耳に届いた声は、ダレンではなく、先程の男の声だった。
『申し訳ない、ダレン様は外出中だった。電話があった事は伝えておく』
「え……そんな……」
『いま、君は何処に居るんだい? もしかしたら、直ぐに戻られるかも知れないから、伝えておく。君はもう帰るんだ』
その言葉に、エリックは気力無く答え、教会の名前を伝えると、男は『絶対に無茶はしちゃダメだぞ?』と言い電話を切った。
車を見ると、ゆっくりと動き出す。
「そんな……どうしたら……」
心臓が痛い。泣きたくなるくらい、痛い。
手足が自分のものに感じられなくなるくらい、感覚が無い。寒くも無いのに、何故か身体が震える。
『くれぐれも、危険な行動はしない様に』
ダレンの声が聞こえてきた。
「ダレン様……。オレ、契約違反をします。だって……フィーリアが、あの車に乗っているんだ。分かっているのに、見過ごすなんて出来ないよ……!!」
走り出した車。エリックは自転車にしっかり乗り直すと、車を追ったのであった---。
***
キャロルがダレンの家に着いたのは、昼を少し過ぎた時間だった。
「良かった。まだエリックは来てなさそうね」
キャロルは誰に言うでもなく、そう言うと、ダレンの家の共同ドアの鍵を開けた。
すると、パサリと何かが落ちたのを見て、視線を下におろす。メモ用紙の様な物が折り畳んで落ちている。
キャロルはそれを取り上げ、表に書いてある文字を見た。
「ダレン宛だわ……」
何となく胸騒ぎを覚え、メモ用紙を広げる。
そこにはエリックから電話があった事が書いてあった。そして、エリックからの伝言として、女の子が車に乗っていたのを見た。とあり、その場所の教会名が書いてあった。
「大変……。あの子、もしかして車を追ったんじゃ……! ウィリス! 荷物を部屋に置いたら、すぐにエリックを迎えに行くわよ!」
キャロルは後ろで両手に荷物を抱えて待っていたウィリスを振り返る。ウィリスは、先程の名誉挽回をと思っているのか、力強く返事をすると、さっさとアパートに入り荷物を持って二階へ上がっていく。ドアを閉め、階段を上ろうと、足を一段目に乗せた時……。
「若奥様、部屋のドアを開けてください」
「早っ!」
二階から落ちてくる声に、キャロルは慌てて二階に上がり、鍵を開けたのだった。
***
タイヤ痕を辿り自転車を走らせるダレンは、空を見上げた。いつの間に、昼を過ぎたのか。太陽の位置が随分と傾いている。
「絶対捕まえてやるからな……。どうか間に合ってくれよ……!」
これ以上、日が傾けば、幾ら視力が良いダレンであってもタイヤ痕を見つけるのは困難になる。ペダルを踏む力が強くなる。
視線を鋭くし、少し先の地面に向け、スピードを上げた。
***
「あのぉ……」
運転手が若干戸惑った様子で、助手席に座るリーダー格の男に声を掛ける。
「なんだ?」
男は前を向いたまま返事をすると、「気のせいかとは、思うのですがね?」と運転手は言う。
「なんだ。急に怖くなって来たのか?」
嘲笑うように言う男に、運転手は「いえいえ、そうでは無くて」と慌てて返す。
「じゃあ、なんだ。勿体ぶってないで話せ」
「いえね、本当に気のせいなのか、たまたまかも知れませんが」
「イラつく話し方をするな。さっさと言え」
「すみません……。あの、何となくですが、後ろから自転車で誰か追いかけて来ているような……」
「はぁ?」
運転手の言葉に、リーダー格の男はバックミラーを覗き込む。死角になって見えないのか、今度は身体ごと後ろに振り返り窓の外を見ると、顔を真っ赤にさせ、必死の形相で自転車を漕いでいる少年が目に入って来た。
「はぁ!? 何なんだよ、あのガキは!」
男が素っ頓狂な声で驚くと、後部座席に居た兄妹と子供二人も振り向いた。
「てか何なんだ、今日は! 朝からツケられまくってるじゃねぇか!」
リーダー格の男が前を向き、車の中を強く蹴った。
「や、やめてください。壊れたらどうするんですか!」
「俺が蹴っただけで壊れる様な代物か? 運転手! 少し行った先で停めろ」
「え? あ、はい!」
リーダー格の男は再び後ろを振り向き、ニヤリと笑う。
「あんな一生懸命に着いて来てるんだ。可愛いじゃねぇか。可哀想だから、乗せてやろ」
「これ以上は定員オーバーですよ!」
「さっきから急にうるせぇなぁ? 運転手さんよぉ……。ガキの一人くらい大丈夫だろ?」
「…………」
運転手は何も答えず、男の指示通り車を停めた。
*
突然停車した車に、エリックはペダルを更に強く踏み込んだ。
チャンスは今しか無い、そう思ったエリックだったが、車の中から降りて来た一人の男が、仁王立ちしてエリックを真っ直ぐに見据えたのが分かった。
心臓がドクンと大きく跳ねる。
危険だと、身体の方が分かっているのに、心は行けという。
自分の中の矛盾に戸惑いながらも、エリックは男の前で自転車を停めた。
「オレの妹を、返してください」
浅黒い顔の男を見上げる。
「お前の妹? 何のことだ?」
男はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら問う。
「車に乗っている、黒髪の女の子です」
「お前とは似ても似つかないなぁ? 本当に妹か?」
「今すぐ返してください。でなければ。人攫いだと、叫びますよ」
エリックの脅しに、男は大口を開けて大笑いした。
「本気で言ってんのか?」
「本気です」
「面白れぇなぁ、お前。気に入ったよ」
「オレはアンタが嫌いです。妹を返せ!」
「あはははは!! そうかい。嫌いと言われたら、容赦出来ねぇなぁ。……」
「……ッ!!」
エリックの身体から力が一気に抜け、自転車のハンドルに覆い被さる様に倒れ込む。鳩尾が熱く痛む。
「おっと、危ねぇ。お前も連れて行ってやるよ。俺はお前に嫌われてるけど、俺は優しいからよぉ」
男はエリックを抱き抱えながら、耳元で囁いた。
僅かに残っていた意識の向こうに男の声がするのを最後に、エリックは意識を手放した。
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