第67話 画家と探偵③


 ダレンはトバリの書いた字を見る。あの手紙の宛名と似た癖が見て取れる。だが、やはりあの手紙の文字は「書写」されたものだと分かった。何故なら、トバリには他にもがあったからだ。

 

 仕切り直しと言わんばかりに、ダレンがパンと一つ柏手を打つと、トバリはハッと顔を上げる。


「さて。では早速、お聞かせ下さい。貴方が今、私に話そうと躊躇していた事を」

「ええ……。今先程、私が話そうとしていたのは、私の恋人の事です」

「恋人」

「ええ……身分違いの恋ですが……」


 ダレンは黙ってトバリを見つめる。伏せ目がちに、どこか悲しげにも見える微笑みが、その恋を手放そうとしている様にも見えた。

 その表情に、ダレンはスッと目を細める。


 トバリの様子を見る限り、あの種のような執着が見えない。これが演技だというのなら、とんでもない詐欺師になれるだろう。そんな違和感がダレンの思考にピンを押す。


「恋人は……彼女は学生で。彼女とは、王立公園で出会いました。私がスケッチしているのを見ていると、魔法みたいで楽しいのだと言って……。いつからか、彼女と親しくなり。恋に落ちるのは、そう遠く無い未来にやってきました。交際を始める前から、彼女が高位の貴族であろうことは、気が付いていました。ですが……人の心は。身分なんて物は、いとも簡単に超えてしまう」


 ダメだと頭で分かっていても、心は違う、とトバリは自嘲気味に笑う。


「私達は公園で逢瀬を重ね、何度か私の暮らす街を見たいと……東の居留地にも行きましたが、私も金が無いもので……会うのは、もっぱら公園だけでした。他に気の利いた物をあげる事も、喫茶店へ行く事も出来ない私に、彼女は二人でいられるなら、それでも良いと、いつも楽しげにして……。彼女は卒業をしたら、私と結婚をしたいと夢見ていました。私が身分差を言い、難しい事を伝えても、彼女は首を横に振りました。彼女が大丈夫だというと、何故だかそう思える不思議な力があって……。そして私は、間違えたのです……」


 辛そうに顔を歪める。美しさも見て取れるその表情に「間違えたとは?」と、声を落としダレンは訊ねる。


「私は、離れるべきだった。なのに、彼女のその夢に寄り添ってみようかと思ってしまった……彼女と共に生きたいと、願ってしまったのです。そんな時でした……。彼女の周りに悲しい出来事が起こりました。彼女の父親が何者かに命を狙われたと言うのです。その前に彼女の祖父が亡くなられていることは知っていました。偶然としても不幸が続いた事に、一体、何が起きているのかと、不安がる彼女を慰め、その日は家の近くまで送ったのです」

「彼女には、誰かしらお付きの者は居なかった?」

「はい。公園へ来るときは、いつも一人でした」

「では、普段は、送らないのですか?」

「ええ……。普段は、帰って行きますから……」


 その言葉にダレンはそれ以上聞かず、察した。


「それで、送った後に何かがあったのですね?」

「ええ。次の日の朝、彼女は母親と一緒に領地へ父親の看病のために向かいました。その翌日の事でした。私の周りに不快な出来事が続いたのです。まず始めは、公園へ向かう途中でした。突然、馬車道を走っていた馬が暴れ、私に向かって来たのです。どうにか逃れたので、何事もなく済みました。そして、数日後。街中を歩いている最中に、植木鉢が上から降って来たのです。ギリギリの所で交わせましたが……。そこで、違和感を覚えました。偶然なのかも知れませんが、偶然じゃ無いかも知れない。そう思って、周りに気を付けてみようと思いました。すると、車に轢かれそうになったのです。その時に、足を怪我しました。幸い、骨に異常は無いと医者に言われましたが……。これはいよいよ、命を狙われているのかも知れないと思ったのです。しかし、その運転手は居眠り運転をしていたと分かり、たまたま危険が重なっただけだったのかと思うようにしました。しかし、翌日。私の部屋が何者かによって荒らされたのです」

「部屋を?……何か、盗まれましたか?」

「ええ。しかし、金銭的な物は何も無かったせいか、何を思ったのか私の日記を盗んで行ったようでした」

「日記……それ以外は?」

「警察と共に確認しましたが、日記以外は特に無くなった物は無いように」


 ダレンはふと、思考の海へ潜り込む。新しい記憶のため、比較的浅瀬を探る。

 エドガーとの会話を思い出す。手紙が来た期間は、この日記が盗まれるよりも前からだ。ならば、クロエ宛の手紙は?


 あれはいつ届いたと言っていた?


 突然、目を閉じて黙ったダレンにトバリは「オスカーさん?」と戸惑いつつ声を掛ける。

 ダレンはすぐに両目をあけた。


「トバリさん、ここ数週間の間に、恋人の方に手紙を送りましたか?」


 トバリは、真正面から覗き込む様に自分を見つめて来る美貌の男に視線を止める。


「手紙、ですか? いいえ……私は送っていません。過去も含め、一度も」

「なら、例えばこのアパートに蔓延っている木蔓の種を彼女に送ったりは、してませんね?」

「ええ……何も……ですが……。なぜ、木蔓の種と?」


 榛色の瞳が見開かれる。驚いた表情で問うその顔に、ダレンの中で、まだ漠然としていた答えが見え出して来た。


「木蔓に、彼女との思い出があるのですね?」


 ダレンの問いに、ぎこちなく頷く。


「はい……。彼女は、私と結婚をしたら、小さな家に暮らすのだと。小さな門から短い木蔓のアーチを潜り抜け、家に入るのだと。木蔓には【永遠の愛】という意味があって、私達がいつまでも幸せに暮らせる様にと願いをこめて……。いつか、一緒に種を植えようと話していました」

「その話、どこでしたのか覚えていますか?」


 先程までとは比べ物にならない張り詰めた目の前の探偵の表情に、トバリは唯ならぬ空気を感じ取った。

 ゆっくり深く頷くと、自分達がどこでその会話をしたのか、緊張した声で言う。


「この東の居留地内にある、行きつけの店です。ここのアパートの木蔓の種を集めて、買い取ってもらいに行った時です。彼女が、その店で話をしたので、亭主に揶揄われたのを覚えてます……」

「その店は、茶葉や香辛料、その他にも何でも売っている雑貨屋ではないですか?」


 その言葉にトバリは酷く驚き、身体をビクリと大きく動かすと「ええ、そうです」と頷いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る