第66話 画家と探偵②


 雰囲気が一変したダレンに気が付き、トバリも居住まいを正す。


「どんな人物だったか、覚えていますか? 顔や風貌など」

「……顔は、よく見ていないのです。相手の方は帽子を目深に被っていたのです。顔を見られたくないのかと思って、不躾になるのであまりジロジロとは見ませんでした。身なりは……かなり上等な服だったと記憶しています」


 顔を見せたがらない、その理由は何かを考える。単なる店の包装紙の為の絵であれば、商人だろうから隠す必要はない。ならば、他に使うとした場合。例えば、殺人に使う為ならどうか。見られていなければ、後の調査で逃れられる。服装だけでは、簡単には辿り着けない。

 ダレンが考えていると、トバリは何か思いついた様に自分の鞄を漁り出した。


「あ、少しだけ待ってください。完全に一致と言うわけには行きませんが、雰囲気だけでよければ……」


 そういうと、紙に一人の人物を描き出した。サラサラと迷いなく動くペン先。あっという間に、上半身だけの一人の人物が紙の上に描かれていった。

 目深に被った帽子にスーツ姿。痩せすぎず太ってもいない、普通の体型の男だ、と分かる以外には何の情報もない絵だ。唯一、分かるとすれば、僅かに顎が張っている事くらいだった。

 ダレンはその絵を見ながら「身長はどのくらいでしたか?」と訊ねる。


「背丈は、私と変わらないくらいです。貴方より、低いですよ」と、トバリは立ち上がろうとしたが、ダレンが片手を上げてそれを止める。


「立たなくて大丈夫です。どうぞそのままで。報酬は、どの様に受け取ったのですか?」

「現物と交換で、小切手を。先に伝えていた金額より倍以上多く書かれていたので、間違えていると伝えたら『それだけの価値があるから』と言われました」

「依頼主は絵を見ていないのに?」

「ええ、私もそれが気になったのですが、急いでいると言って去ってしまい、それ以上は引き止められず……。私自身もふと、アゼルやジョーに少しは良い服や食事をさせられると思い、考え直し……。そのまま受け取りました」

「なるほど……。若いか年配か、印象は? 声や手など」

「そうですね……ああ、思い出した。手は随分とゴツゴツしていて、大きかった気がします……声は……年配という感じはしなかった気がします。……すみません、よく覚えていなくて……」

「いえ。人間は声の記憶を先に忘れて行くものでから、お気になさらず。その時の印象で良いんです。それで、それ以来、教会で見かけた事は?」

「私が行く日には、見かけた事はないです」


 躊躇なく高額を支払えるだけの相手。

 身分を隠したい人物だとしたら。


 ダレンは暫く黙って考えた。

 案外、使者ではなく本人だった可能性もあり得ると思ったが、もう一年以上前の出来事を、教会を出入りしている警察や修道士達が覚えているとは思えなかった。ここから辿るのは難しい。

 ならば、と、ダレンは紹介したとされる知人を探る事にした。


「紹介した貴方の知り合いの方は、どんな方ですか?」

「王立公園で、庭師をしている男です」

「その庭師の方にお会いしたいのですが、紹介頂けますか?」


 ダレンの申し出に、トバリは眉を寄せ小首を傾げた。


「とても気難しい人なので、紹介するよりも私が同席した方が話が早いと思います」

「だが、貴方は今、命を狙われているのですよね? だからここに身を隠しているのでは?」

「あの子達は、そんな事を言ったのですね……」


 他所様に余計なことをと、困ったように微笑むトバリを、ダレンは怪訝そうに見つめる。


「貴方は今、足を怪我している様ですが」


 ダレンの指摘に、トバリは僅かに目を見張る。彼は胡座をかいた状態だが、ズボンを履いており、怪我している箇所はパッと見て分かるものではなかった。


「何故、怪我をしていると?」

「座り方です。右足を怪我されているのでは? 足を組むと痛むのでしょう。それに、玄関に鍵を掛けに行った時や、先程立ち上がろうとした時です。パッと見た感じは普通にしていますが、恐らく無意識に怪我した足に負担を掛けず守る様にしていると感じたので。違いましたか?」


 問えば、トバリは首を横に振る。


「いえ、先日、怪我を……。確かに……貴方が言った様に、恐らく私は、命を狙われています」

「恐らく?」


 小さく息を吐き、仕方ないと観念したのか、トバリは静かに答えた。


「ここ最近、奇妙な偶然が続いているのです」

「奇妙な偶然……」

「ええ」

「例えば、どんなものか……お聞きしても? もしかしたら、貴方を助ける手伝いが出来るかも知れません」


 ダレンの言葉にトバリの顔には困惑が見て取れた。迷っているのか、瞳が揺れる。数秒、見つめ合い、先に目を伏せたのはトバリだった。

 ふぅと、息をひとつ吐き出す。

 

「……私自身に危険が続いたのは最近でしたが、今思えば、始まりはもっと前だったかも知れません。その始まりからお話ししても?」

「ええ、もちろん。重要な何かかも知れませんので、気になる事は全てお聞かせ願えれば」


 トバリは「わかりました」と頷き、ゆっくりと丁寧に記憶を辿り、話を始めた。


「はっきりした日付までは覚えていませんが、最初は夏の終わり……半年程前だったと思います。私の部屋の玄関先に小鳥の死骸がありました。きっと、猫が狩りをしたのだろうかと思いながら、小鳥を土に還しました。それから暫くして、今度は鼠の死骸があったのです。また猫が来たのかと思いました」

「……猫を助けたことが、あるとか……?」


 ダレンは思わず迷信めいた事を口にした。その問に、トバリはふふと笑いながら「そういう童話がありましたね」と言い、首をゆるゆると左右に振る。


「そういった記憶は無いですね……だからこそ、少し不思議に思っていました。ですが、それから暫くは何も無かったのです。ですが……」


 笑が消え、表情を無くしたトバリは目を伏せ黙ってしまった。その口元は、何かを言おうとして僅かに口を開きかけ、すぐに閉じた。

 ダレンはトバリが何かを言い淀んでいる事に気が付いた。


「トバリさん、これは提案ですが」


 ふと、視線がダレンに向けられる。


「私と契約しませんか?」


 想像もしなかった言葉に、トバリは数回瞬き目を見開く。


「契約?」

「ええ。貴方がいま、私に話そうとしている事は、一切口外しません。その代わり、貴方が今、知ることを隠さずに全てお話し頂きたい」


 突然の申し出に、酷く困惑した顔で見つめるトバリに、ダレンはニヤリと口角を上げ、悪戯を思い付いた様に言った。


「報酬は、そうですね。いつか貴方が有名になって、高値で売れる絵を描いて頂きたい」


 その言葉にトバリは大きく目を見開き、そしてすぐに、ふわりと笑った。


「貴方は変わった人だ」

「そうでしょうか? 僕は至って真面目ですが」

「ふふふ。貴方が悪い人には、思えません……そうですね……」


 トバリは一瞬動きを止め、自分の手を見つめた。そして、その顔を上げた時には意思の強い瞳をダレンに向けた。


「貴方と契約をしましょう。貴方が知りたい事で、私が知る限りのことは、全て嘘なくお話ししましょう」


 二人は、トバリのスケッチ用の紙に契約書を即席で作成し、互いのサインを書いた。

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