第49話 手紙
「オスカー子爵殿」
居住まいを正し、ダレンに真っ直ぐと視線を向けるエドガーに、ダレンはサッと片手を上げた。
「エドガー殿、今ここにいる私は子爵としてではなく、探偵として貴方と向き合っています。どうぞ、私の事もオスカーとお呼び頂いて結構です」
「そうか……では、オスカー殿。事の始まりは、祖父が亡くなった一年前に遡る。長くなるが、良いだろうか」
「もちろん。包み隠さず、覚えている限りの全てをお話し下さい」
「分かった」
エドガーは、その瞳を閉じて深呼吸をすると、再びダレンを真っ直ぐに見据えた。
「オスカー殿の言う通り。我が家は昨年、祖父が亡くなった。その時、私たち兄妹は老衰のものだと思っていたし、そう伝えられていたんだ。だが、ある時……。あれは祖父が亡くなってから半年後だったか」
エドガーが確認する様に妹のクロエに顔を向ける。クロエは「ええ、そうです」と小さく同意するのを確認し、再び話を始める。
「祖父が亡くなる前に、何通かの手紙が届いた事を知ったのだ」
「それは、どの様にして知ったのです」
「父にも、同様の手紙が届いた事がきっかけだ。その手紙を見て、父は酷く怯えていた」
「エドガー殿は、それを見ましたか?」
「いや。現物は見ていない……。だが、話は聞いた」
「どの様な内容でしたか?」
その問いに、エドガーは足下に置いてあった大きな鞄の中から手紙が収まる程度の大きさの箱を取り出した。
「この中にあるのは、ここ数ヶ月に私に届いた手紙だ。父に届いた手紙と、ほぼ同じ内容だよ」
「拝見しても?」
「ああ、見てくれ」
ダレンはスーツのポケットから手袋を取り出しはめると、エドガーから小箱を受け取り、そっと蓋を開けテーブルに置く。
中には四通の封筒が入っているのが見えた。
そのうち、一番上にあるものではなく、一番下の手紙をダレンは手に取って開いた。
「一番下が、初めて来た物ですね?」
「ああ、そうだ」
「来た順ですか?」
「ああ。重ねていったから、一番上が新しい物になる」
ダレンはひとつ頷き、手紙を観察する。隣に座るエリックが、ノートを片手にダレンの手元を覗き込む。
ダレンはまず、封筒を観察した。
「紙は……これは最新の抄紙機で作られた紙だ。滑りが良く……引っ掛かりも少ない。近年、作られる様になったパルプ素材だ。とても高価な紙。文字は最小限……恐らく、筆跡から辿られるのを恐れているのだろうが……。角ばった文字。とても神経質で注意深い性格の人物だ」
両面を何度も裏返し見てから、封を開ける。中には二つ折りにされた一枚の紙。それを取り出し、ダレンはサッと鼻の前で仰ぐ。
「ほのかに煙草の匂い……。エドガー殿は煙草をお吸いになりますか?」
「いや、私は吸わないが」
「……これは、紙巻き煙草だろう。葉巻ほど濃い匂いでもなく、パイプの様に甘い香りもない」
手紙を開き、中を見る。
「これは……ねずみ?」
その紙には、鼠の絵が描かれていた。文字もなく、ただ、鼠が一匹。とても丁寧に描かれた物だった。ルーペで絵の細部を見ると、次の手紙を開けた。
次の手紙も、その次の手紙も。全て絵がひとつ描いてあるだけだった。
鼠に始まり、四つ葉、蝶と蜘蛛の巣、ヨモギギク、フクロウ。
そして、最後の一通だけは、それまでと厚みが違う。そして、宛名がエドガーではなく、それだけクロエ宛になっていた。
ダレンはそっと封を開け、中を覗き込む。封筒の中に入っているものは、白い布の塊。触れると柔らかな布で、何かを包んでいるようだ。その包みをそっと取り出し、慎重に開く。
「これは……」
白い布に包まれたものは、小さな黒い粒が複数個。
「何かの種、でしょうか?」
隣で覗き込んでいるエリックが言う。
「恐らく、そうだろう」
そう言うと、再度ルーペを取り出し種らしきものを観察する。すると、顔を上げて小首を傾げる。
「これだけ匂いが違うな……」
「匂い?」
エドガーが眉を寄せ訊ねる。それまでエドガーに目を向ける事なく手紙を開けて観察をしていたダレンが、エドガーに視線を向けた。
「ええ。先程までの紙には、煙草の匂いがほのかにしました。ですが、この布からは違う匂いがする。これは男性が使う香水……? いや、香水にしてはスパイシーだ。何の匂いだ……。エドガー殿は、香水をお使いになりますか?」
ダレンの様子を見ていたエドガーが、ふいに自分に向けられた問いに、僅かに驚きつつ頷く。
「え、ええ……」
「今日も?」
「……いつもの癖で……」
「ちょっと失礼」
ダレンは徐に席を立つと、身を乗り出しエドガーの側によりスッと顔を近づける。
目の前に突然降って来た美貌に、エドガーは瞬時に顔を赤らめ視線を逸らす。
ダレンはエドガーの首元の香りを一瞬嗅いだだけで、すぐに離れた。
「これは、貴方の香水の匂いとは違います。貴方の使っているのはウッディな香りだが、これはどこか異国の様なスパイシーな香りがする。エリック、ちょっと嗅いでみろ」
「はい」
ダレンがエリックの鼻の前に布を持っていく。
「……どうだ? どこかで嗅いだことがある気がするんだが……。この香りに記憶があるか?」
エリックは目を細め、記憶を辿ろうとしている。黙ったままのエリックから、エドガーに視線を向ける。
「エドガー殿は、この香りに記憶は?」と、種を包み手渡す。
エドガーは布の匂いを嗅ぎ、隣に座り終始黙っていたクロエにも嗅がせる。クロエは瞬きもせずじっと匂いを嗅ぎ「知らないわ」と小さく言った。
エドガーも再度匂いを嗅ぎ、分からないとでも言うかの様に首を横に小さく振る。
「記憶にない香りだ」
「そうですか……」
「ダレンさん」
それまで黙って考えていたエリックが声を掛ける。
「この匂い、多分香水ではなくて、香辛料だと思います」
「香辛料?」
「はい。ダレンさんと一緒に東部地方の料理を出す地区へ行った時の」
エリックの言葉に、僅かに目を開き「ああ」と頷く。
「あの地区で入った雑貨やら茶葉やら何でも置いている。他の店と違って独特な匂いがした店がありましたよね? 覚えてませんか?」
その言葉に、ダレンはハッと気が付いて「ああ、思い出した!」と声を高くした。
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