第84話 残酷な美


 一階では、ダレンとフィーリアが執務室と思わしき部屋の前に来ていた。


「ここから、強い魔力を感じるわ」


 フィーリアの言葉にダレンは銃を構える。ゆっくりドアノブを回すが、開かない。

 万が一、魔法使い相手となったとして、銃が有効なのかは分からないが、何も無いよりマシだと思いながら撃鉄を起こす。


「ディランから貰った最新の銃を試すには、ちょうど良いかもな……」


 銃を構えつつ、未知の者と相対する事への緊張をほぐすように、独りごちる。


「フィーリア、僕の後ろにいろ。離れるなよ」

「ええ、わかっているわ」

「行くぞ」

「はい!」


 ダレンがドアを蹴り破り中へ入ると、執務机の前に座っているエドガーが目に入った。

 その姿を見て、ダレンは目を見張り、すかさずフィーリアを抱き寄せると、その顔を自分の胸に押し当て、エドガーの姿を見せない様にした。


「だ、ダレン? どうしたの?」

「少しの間、我慢しろ。見ない方がいい」


 エドガーは顔こそ綺麗なまま、目を閉じて寝ている様にも見える。だが、その身体は異様だった。

 全身を絵手紙にあった花が、絡み付いているのだ。


 四つ葉、ヨモギギク、そしてエドガーの父に来ていたという絵手紙の花であった、黒薔薇、トゲクサ、マツユキソウ。


 どれも季節はバラバラの植物だが、エドガーの全身に、スーツが見えなくなるほどに絡み付いている。

 そして更によく見れば、騙し絵のように植物で創られた鼠、蜘蛛、蝶、梟、そして蛇が、エドガーを囲んでいた。


「フィーリア、少しの間、自分で目を塞いでいてくれ」


 そう言うと、ダレンはフィーリアを放してエドガーの傍へ寄った。

 かろうじて出ている首元に手を当てながら、耳をエドガーの口元に近付け、呼吸音を確かめる。細く僅かに感じる生の音。


「良かった……まだ生きてる……」


 そう呟くと、ダレンはエドガーに絡み付いている植物を両手で毟りだそうとした。が……。


「……身体から、生えているのか……?」


 植物を引っ張り、初めて気が付いた。毟り取った箇所から、血が流れ出したのだ。


「一体、どうなっているんだ……」


 あまりの事にダレンが困惑していると、フィーリアが「ダレン」と声を掛けた。

 その声に振り向けば、フィーリアは目隠しを取ってこちらを見ている。


「フィーリア……」

「ダレン、私なら大丈夫。ダレン、エドガー様はまだ生きてる?」

「あ、ああ……」

「まだ脈があるなら、私、助けられるかも知れない」

「フィーリア! だか……!」


 フィーリアが魔法を使うことで起こり得る様々な事を、瞬時に想像しているのだろう。苦悩を滲ませるダレンに、フィーリアは心持ちゆっくりと、静かな声で言う。


「お願い、ダレン」


 ダレンはハッとした表情でフィーリアを見た。フィーリアの声には魔力はない。だが、気持ちが届くように、声に心を乗せる。ダレンが普段、無意識のうちに行っている人の心に響く話し方。それを、フィーリアは真似て続けた。


「その植物は、彼の生命を吸い取っているわ。今、助けられる命を助けなきゃ、私はきっと一生後悔する。彼は今、意識はないわ。私が魔法を使っても、見ているのはダレンだけよ」

「だが、もしトバリがまだ居たら! 他の魔法使いがいたら! 気付かれるだろ!」

「その時は、その時よ。お願い、ダレン。私にエドガー様を助けさせて」


 ダレンは奥歯を噛み締め、フィーリアを見つめる。その視線をエドガーに移す。ダレンとて、彼を助けたい気持ちはある。ほんの数秒。だが、とても長く感じた沈黙の後、覚悟を決めたのか、再びフィーリアに顔を向けた。


「頼む。僕にはどうする事も出来ない。彼を助けてやってくれ……」

「うん。ありがとう、ダレン」


 フィーリアはダレンの傍へ近寄り、草花の間から僅かに見えているエドガーの手に、恐る恐る触れる。

 目を瞑り、エドガーの【生命の炎】を探る。それは、すぐに見つかったが、余りにも頼りなく、今にも消え入りそうだった。本来ならば、煌々と赤い光を放つ筈の炎は青白く、蝋燭の火のようにゆらゆらと揺れている。

 フィーリアは、その炎の色を見て「助けられる」と確信した。


 過去、聖女候補だった頃。

 【生命の炎】について学んだのだ。


 人には【生命の炎】がある。その炎は、赤や橙黄色に輝いており、生命を全うし消えていく瞬間まで、その色は変わらない。しかし、無理矢理に消されそうな炎は、青白く見えるのだ。

 エドガーの【生命の炎】は今、青白い。故に、本来まだ消える筈がないという事を示していた。


 この炎を消してはならない。


 フィーリアは、強く願った。


(お願い。オークの木の精霊様。私に力をお貸しください。アルバス公爵家の人々を助けたいのです。この者が本来持つ【生命の炎】を、蘇させるため。どうか私に力をお貸しください)


 身体の奥底にある魔力の泉から、魔力が球体となって、ふわりと浮上する。

 フィーリアは慎重に、エドガーの手の中に魔力を送り込む。急激に送り込めば、魔力の流れの勢いで炎が消えてしまう可能性もある。炎が消えないように、そっと、そっと。

 

 フィーリアがエドガーの手を握ってから、間も無く。エドガーの身体から伸びていた花々がひとつ、ふたつと枯れ始め、それは金色の光の粒子となり、空気に溶けるように消えていった。

 エドガーの全身が本来の姿へと、綺麗な状態に戻るっていく。色を無くしていた肌が血の通った色へと変化する。触れていた手に温もりを感じ、フィーリアはゆっくりと両眼を開いた。


「もう大丈夫よ」

「あ、ああ……ありが、とう……」


 ダレンは目の前で起きた出来事に、茫然としていた。

 まるで夢でも見ているのかと思うほど、奇想天外な出来事が、いま、目の前で起きていたのだ。これは、五年前にフィーリアがダレンの頬の傷を消したのとは、訳が違う。これを現実として受け止めるには、なかなか難しいとさえ感じる程の出来事だ。

 そんなダレンを見上げ、フィーリアは少し困ったように微笑む。

 初めて見るものに驚くのは当然で、フィーリア自身も上手くいくか、正直、賭けみたいなものだった。聖女教育の中で、魔力の扱い方は学んでいたが、これだけ大掛かりなことをやるのは初めてだ。

 

「ダレン、次はどうする?」


 フィーリアの問い掛けに、ダレンはハッと意識を戻す。


「ああ……すまない。やはり、何度見ても驚くな……」

「……ううん。大丈夫」

「……エドガー殿は、まだ目を覚さないのか?」

「うん……もう少し掛かると思うわ」

「そうか……ならば、ソファに寝かせよう。椅子に座ったままよりも良いだろう」

 

 そういうなり、ダレンはソファの上に蔓延る植物を手で毟り取り、綺麗な状態にすると、エドガーを抱きかかえてソファに横たえた。



 その頃、二階にいるエリックは---


「何なんだ……これは一体……」


 クロエの部屋は壁中、木蔓に覆われ壁紙すら見えない。床も本来の絨毯の色すら分からない程、緑に覆われている。

 そして、肝心のクロエは……。


「これ……どうすれば良いんだよ……」


 思わず口を突いて出た困惑の言葉は、当然、誰からも返答はない。

 エリックは微かに震え、ただ茫然と


 ドレスかと見紛うほど美しく絡む蔦と花々に覆われたクロエは、人形の様に真っ白な血の気のない顔で目を瞑り、壁にいたのだ。


 それはまるで、幻想的な絵画のように美しく、残酷な姿だった---

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