第70話 娼館
白を基調とした部屋。真ん中にあるベッドの上には、トバリがひとり寝ていた。
ソファから起き上がったダレンは、窓際に向かい、指先で少しカーテンを退かす。まだ空は暗いが、朝が近いのか星が少なくみえた。カーテンを元に戻すと、シャワーを浴びにそっと部屋を出た。
昨夜、アゼル達の暮らすアパートでトバリと対面している最中、火事に遭ったのだ。
アパートは蔦に覆われている事もあり、あっという間に全体に火が燃え広がり、全焼した。
何とかギリギリ逃げ出せたのは、アゼル達の部屋が一階にあったおかげだ。
火事の原因は不明。消化隊が火消しを行なった後に警察が調べていたが、辺りが暗過ぎて翌朝に調査するとなり、火元などもその場では分からなかった。
「あの子達は、どこだろうか」
逃げ出してすぐにトバリが口にしたのは、アゼル達の身の心配だった。ダレンに担がれた状態でトバリが辺りを見回すと、遠くの方から三人が駆け寄って来た。
「トバリさん!」
「良かった。お前達、無事だったんだね……」
「馬鹿やろう! それはオレ達の台詞だよ! トバリさん、無事で良かった……」
涙を浮かべ安心したようにアゼルはトバリに抱き付いた。
「オッサン、トバリさんを助けてくれて、ありがとうな」
ジョーがダレンを見て頭を下げて礼を言った。
そんなにオッサンと言わないでくれと、ダレンは心の中で思ったが、敢えて口には出さなかった。
トバリと会って、自分と同い年らしいが、確かにこの男と比べて見れば、老けて見えるのかも知れないと思ったのだ。
だが、それは服装の違いであって、自分もラフな格好にならば同い年に見える筈だとも思った。
「なぁ、トバリさん。もしかして、この火事も狙われてって事、ないか?」
身を近寄らせ、小声で言うアゼルの言葉には、ダレンも同意した。
「恐らく、それは有り得る。それで、君達に頼みたい事がある」
「頼みたいこと? なんだよ、それ」
訝し気な表情で三人とトバリがダレンを見る。
「君達の大切なトバリさんを助けるための作戦だ。協力してくれないか?」
『トバリさんを助けるための作戦』
その言葉に、三人はトバリが止める声も聞かず即座に協力を承諾した。
*
シャワーから出ると、トバリが目を覚ましていた。
「よく眠れましたか?」
「……ええ、すみません。ベッドを使ってしまい……」
「お気になさらず」
どこか居心地悪そうにトバリがベッドの端に腰を掛け、自身の両手を開いたり閉じたりして眺めている。何か聞きたい事があるのだろう。例えば、この部屋のこと、など。
「あの、」
聞こうと決意したのだろう、トバリがダレンの背中に向かって声を掛ける。
「はい」と振り返れば、トバリはやはりどこか落ち着きなく視線を揺らす。ダレンは小さく笑い、話をする。
「こういう場は、来た事は無いのですね」
「こ、このような場所は、初めてです……」
「ここは、私の兄が管理している高級娼館です。会員制で、身分がはっきりとしている貴族以外は入る事は出来ません。だからこそ、その辺の宿屋よりも、どこよりも安全です」
「そういう、こと、ですか……」
「因みに、この部屋は私専用の部屋です。他の者は入れない。ああ、安心して下さい。そのベッドでは、そういった行為は行っておりませんから」
笑いながら言うダレンに、トバリは決まりが悪そうに頬を染め視線を逸らす。
娼館の最上階には、二部屋ある。
そのうちの一部屋。ルシアの衣装や小物等が置いてあるが、ダレン専用の部屋でもあった。
ベッドの他にも見渡せば執務机があり、書棚もある。
この高級娼館は、ディラン名義である。そして、経理全般をダレンが行なっているのだ。その仕事をする為に、この部屋がある。
ルシアがこの部屋へ来る事もあるが、この部屋で情事にふける事はない。そういう行為は隣の部屋でと、二人で取り決めている契約の一つだ。
「あの……あの子達は、本当に大丈夫でしょうか……」
その言葉は、ドアをノックする音で掻き消される。
「はい」と、ドアの前で返事をすれば、男の声がダレンを呼んだ。
ドアを開ければ、この娼館で受付を担っているスチュワートが立っていた。
「ディラン様より電話がありました」
想像していなかった人物の名前に、ダレンは「ディランから?」と眉を寄せ訊く。
「伝言はなんと?」
「はい。『エリックから連絡あり。クロエ嬢が行方不明に』との事です」
スチュワートの言葉に反応したのは、ダレンではなくトバリだった。
「クロエ!? いま、クロエ嬢と言いましたか!?」
突然、足を引き摺りながらドアに駆け寄って来る男にスチュワートは若干身を引いたが、すぐに「はい」と頷くと、「私はこれにて」と言って早々に立ち去った。
「オスカーさん! どういう事ですか!?」
「……どういう事、とは?」
何を言いたいのか分かってはいたが、依頼人がアルバス公爵家であるエドガーとクロエであることは、言えない。その為、ダレンはしらを切る。
「クロエは……その、クロエ嬢というのは、アルバス公爵家のクロエ嬢の事でしょうか!? もし彼女であるなら、彼女が私の恋人なのです!」
必死に叫ぶ声に、ダレンは「落ち着いてください」と静かな声で言う。
「依頼人のことは、話せない」
「だか!!」
見た目より力強い手がダレンの両腕を掴む。ダレンは自身の指先を唇に当てて、静かにとトバリを宥める。
「トバリさん、よく聞いてください。私は、依頼人の名前は明かせない。だが、今から私が話す事をしっかり聞いて。良いですね?」
真っ直ぐに見つめる必死な瞳が、ダレンの瞳の奥を貫く様に見つめる、ゆっくり頷いた。それを見てダレンも一つ頷く。
「今から、私は助手に連絡を取って状況確認を行います。もし、あの店の亭主に動きがあれば、三人が私の家に連絡をしてくる。私の家には、元軍人がおります。彼には何かあれば常々即、警察と連携を取る様にと伝えてあります。それから、彼女の周りには王宮から警備を付ける様に指示してあります。万が一何かあったとしても、彼らはその道での専門家です。必ず彼女を助けます」
「オスカーさん……お願いです。彼女が依頼人なんですよね? 彼女から私に繋がったんですよね? 彼女の危険は、私のせいなのですよね?」
震えが掴まれた腕に伝わって来る。爪が腕に刺さり、その必死さが痛いほど伝わる。
そのトバリの姿に、ダレンは過去の自分自身の姿がフラッシュバックする。
見る見る表情が削げ落ちていくダレンを見て「オスカーさん!?」と呼ぶトバリの声にハッと我に返る。
「とにかく、トバリさんはここに居てください。すぐに迎えをよこします。アーサー・アワーズという男が来たら、彼と一緒にここを出てください。良いですか、絶対、一人で行動はしないでください。どうか約束してください。私は必ず彼女を助けます。その為には、貴方の協力が必要なんです」
「協力とは……私が何もしないで、ここにいる事ですか……? それで彼女は助かるのですか……」
「約束します。お願いです、トバリさん。僕を信じてください」
それまで周りどころか目の前の全てが見えない状態でダレンに迫り、その腕を掴んでいた手が緩んだ。
その顔は、ほんのり綻び「わかりました」と小さく呟く。
「貴方も、必死なのですね……」
それまで、紳士的に振る舞っていたダレンが一瞬見せた隙。その姿に、トバリはダレンを信じようと思った。「え?」と聞き返すダレンに、首を横に振り答える。
「いえ、なんでも。わかりました。どうか、お気を付けて。クロエを、よろしくお願いします」
ダレンの腕から手を離し、深く頭を下げる。
東の国では、礼を尽くす時の姿勢だ。ダレンは、その肩に手を乗せ、軽くポンポンと叩く。
「わかりました。それでは、行ってきます」
「どうか、お気を付けて」
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