第29話 過去の恋物語
どのくらい、泣き止むのを待っただろうか。ダレンは、静かに伯爵が顔を上げるのを待った。
「……エリーゼと出会ったのは、私がまだ文官として王宮で働いている頃だった……」
伯爵は頭を下げたまま、ボソボソと話し出した。声が籠って聞き取りにくいが、ダレンはその声に耳を傾ける。
「休日に出掛けたマーケットで、彼女と知り合った。お互い、身分は隠していたが、何故かとても惹かれてね……。意気投合し、私達は頻繁に会う様になったよ。エリーゼは王都でも一番の商人の家の娘だった。私が次期伯爵であると知ると、離れようとしたが、私が離さなかった。エリーゼと一緒になると、彼女に伝えた気持ちは本物だった……」
ゆっくり顔を上げた伯爵の顔は、涙や鼻水でぐしゃぐしゃだ。フッと自嘲するかの様に笑うとハンカチを取り出して、自身の顔を雑に拭う。
「エリーゼは、私に『伯爵になれ』と説得し続けた。だが、私は父に『爵位は継がない、一緒になりたい人が居る』と、伝えたんだ……。だが、それを伝えた事は、間違いだった。翌月、私の知らぬうちに婚約者が決められていた。私はすぐに父に破棄して欲しいと伝えた。だが、そう簡単に破棄出来る物ではない。それは、君も分かるだろ?」
憑き物が取れたのか、穏やかな表情でダレンを見つめる。ダレンは、小さく「ええ」と声を出し頷き返す。
「私は家に軟禁されてね。それでも、エリーゼと話さなくてはと、どうにか家を抜け出して彼女の元へ行ったんだ……。だが、彼女の両親に門前払いをされて、彼女に会う事は叶わなかった……。ある時、彼女からたった一度、手紙が来た。『好きな人が出来たから、もう二度と自分の前に現れないでくれ』そう書いてあった。だが、今思えば、それは彼女が書いた物では無かったのだろうな……君の話を聞くと、そう感じるよ……」
伯爵は冷めてしまった紅茶を一口飲むと、独白を続ける。
「エリーゼに拒否された事は、私には大きな傷となった。色々な事に自棄になり、エリーゼと共に生きられ無いのなら、全てはどうでも良いとすら思っていた。妻を愛する事はない、そう思いながらも、エリーゼを忘れなくてはと思った……。愛のない結婚をし、その後、やはりエリーゼを忘れられずに、彼女を探し続けた。ある情報から、エリーゼが高級娼館に居ると知り、私はすぐに向かったよ。だが、そこにはもう、エリーゼは居なかった。それから、彼女の消息は途絶えたんだ……。亡くなっていたのなら、当然だな……」
再び、涙が溢れ落ちる。
「エリーゼの残した子供は?」
伯爵の言葉に、ダレンはエリックの顔を思い出す。きっと、エリックはエリーゼ似だろう。目の前の男とは、髪の色と癖しか似ていない。
「エリックは最初、娼館で育てようとされていました。ですが、もしエリックが上流階級の人間との子であった場合、その人物が噂を聞きつけ、いつか探すかも知れない。その時、娼館で娼婦達に育てられたというより、孤児として教会で育てられた方が外聞も良いだろうと、娼婦達が言い出したそうです。彼は、生まれてすぐ、今もカリッサ教会で生活をしています」
伯爵は何度も力無く頷き「そうか、そうか」と独りごちた。
「エリックは、来年には教会を出て行かなくてはいけません。そこで、これは私からの提案ですが」
ダレンは姿勢を正し、切り出した。
「エリックを、私に預けさせて頂きたい」
突然の申し出に、伯爵は目を見開く。
「ただし、そうするにはエリックを認知して頂きたいのです」
「……それは……私としては、もちろん認知したいと思う。しかし……」
「正妻様との間にいらっしゃるお子様の事は、承知しております。認知して頂きたいのは、彼に権利を、という事では無いのです。私の仕事上、貴族出である事の方が動きやすいのです。ただ、彼に名を与えて欲しいのです。それ以外は、全て僕の方で彼を支えて行きます」
ダレンの申し出に、伯爵は落ち着きなくソファに座り直す。
「いや……それは……」
「一週間、考えてみてください。それまで待ちましょう」
「もし! もし……認知して、私の評価が著しく悪くなってしまったら……」
結局、そこか。と、ダレンは内心、溜息を吐く。
「その辺につきましては、私が上手くやりますよ。そうですね、例えば、世間が心ときめく美しい悲恋として奥様との事も含めて、誰も傷付かない夢物語を広めましょう」
「どうやって……」
「私も一応、貴族の端くれですから。実家は侯爵家だ。その辺は上手くやりますよ」
「そ……そうか……。妻と、相談をさせてくれ」
「もちろん。返答は、一週間後に」
「……わかった……。息子には、会わせてもらえるのだろうか?」
「それはもちろん、当然です」
「……ありがとう、すまない……」
「いえ」
話は済んだと思ったダレンは席を立った。ふと、思い出した様に身を屈めて、真正面から伯爵の顔を覗き込む。
「あ、そうそう。この話の真実はもちろん、僕が【探偵】だって事は、どうぞご内密に……」
ダレンが人差し指を唇に当ててニヤリと笑えば、その美しい悪魔の様な笑みに、伯爵は瞠目させ、ほんのり顔を赤らめたのだった。
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