第28話 エリックのこと


 カリッサ教会へエリックを送りつつ、昨日借りていた自転車を返却した。

 エリックが乗っていた自転車は、キャロルが見つけて回収し、届けてくれていた。



 院長室。



「オスカー子爵様、子供達を助けてくださり、本当にありがとうございました」


 院長は両手を組んで頭を軽くさげ、心から感謝を述べた。


「いえ、危険には巻き込まないとお約束しながら、彼を巻き込んでしまった事を、心から謝罪致します。本当に、申し訳なかった」


 ダレンの謝罪に、院長は目を丸くして驚いた。貴族が簡単に謝罪をする事は、あり得ないからだ。それをダレンは、ごく自然に、当たり前の様に謝罪をした事に、院長は慌てた。


「し、子爵様! 謝らないでくださいませ! こうして怪我なく戻してくれた、それだけでも感謝しております。それに……」


 院長はテーブル越しにダレンに身を寄せ、小声で「【女神の愛し子】を、守ってくださる事に感謝致します」と伝えた。


 院長には、昨夜の時点でアワーズ伯爵家で養女として迎え入れる事を伝えていた。


 そして……。


「院長、エリックの事ですが」

「エリックが、どうかされましたか?」

「彼の父親が分かりました。ただ、まだ僕の推測の域であり、本人から言質を取った訳では無いのですが……」


 院長は再び驚きの表情を見せる。今日は何度、彼女の笑顔以外を見る事になるだろうかと、ダレンは頭の隅でぼんやり思った。


「エリックは、来年で施設を出ないといけない歳でしたね?」


 この国では、十六歳までは孤児院で過ごせるが、十七歳からは自立して一人で生きていかなくてはいけない。


「エリックの父親であろう人物とも話をするつもりですが、エリックが了承してくれれば、僕が彼の支援者になりたいと考えています。衣食住は保証しますし、礼儀作法も学ばせます。仕事は僕の助手をしてもらい、報酬を与えようと考えております。いかがでしょうか。もちろん、エリックの意思を尊重する事を誓います」

「オスカー子爵様……」


 院長は感動したのか、瞳に涙を浮かべて微笑んだ。


「……ありがとうございます。あの子は本当に優しい、良い子なのです。あの子が幸せに暮らしていける事を、わたくし達は心から願っております。もちろん、あの子の意思が一番です。ですが、エリックはきっと、貴方様の元へ行きたいと言うでしょう……。あの子は、ほんの僅かしか接していない貴方様に、心から信頼を寄せております。初めて、貴方様の家へ向かい帰って来た時のエリックは、それはもう見た事が無い程に瞳を輝かせ、貴方様の事を『凄い』と。何が凄いのかと訊ねましたが、それには答えず。詳しい話は聞いておりませんが、とにかく凄いと、何度も言っておりました」


 その時のエリックを思い出しているのだろう、院長は視線を僅かに下ろして、優しくも寂しげに微笑む。


「……孤児の子供達は、基本的には大人を嫌う所があります……。エリックは生まれすぐに、ここへ預けられました。彼は親の温もりを知らず、愛される事を知りません。もちろん、わたくし達は精一杯の愛情を持って育てて参りました。それでも、です。孤児は、どの子も、常に孤独と戦っているのです。エリックもそうです。普段の彼は、大人を警戒する所が垣間見えました。そんなあの子が、貴方様には最初から警戒をしていなかった。とても不思議でした……。これは、きっと女神様の思召おぼしめしでは無いかと、わたくしは思いました……。そして、今の貴方様からの申し出……。わたくしは、貴方様に託したいと思います。あの子の幸せを、どうか守ってくださると、誓ってくださいませ」


 真っ直ぐに見つめる瞳は、年長者特有の瞳だ。心の奥底を覗き込むように、頭の奥底を覗き込む様に。真っ直ぐ貫く瞳を、ダレンは逸らす事なく「はい」と一言だけ。そして、ゆっくりと顎を引いた。



***



 翌日、ダレンはメモを片手に、とある伯爵家の近くへとやって来ていた。黒い門の向こうの屋敷を見つめ、一つ息を吐く。


「行くか」


 


 サロンに通されたダレンは、出された紅茶の湯気を何も考えずに、ただただ、ぼんやりと見つめていた。

 そこに一人の男がサロンに入って来た。


「オスカー子爵殿、お待たせした」

「レイカー伯爵殿、本日は貴重なお時間を頂戴し、心より感謝致します」


 立ち上がり挨拶をするダレンに、伯爵は片手を軽く上げる。座る様に促され、ソファに腰を下ろす。


「この国に【探偵】が居るとは風の噂で知ってはいたが。私には関係のない事だと思っていた。それがどうだ。私の元に君がやって来た。それも、噂の【探偵】だと言うでは無いか」


 何が愉快なのか、伯爵は声を上げて笑う。


「それで、私に話とは?」

「単刀直入にお尋ねします。レイカー伯爵殿。エリーゼという名の女性に記憶はございますか?」


 ダレンが切り出した名に、伯爵の眉が僅かに動く。


「エリーゼ? 家名は?」

ございませんでした」

「当時は? 今はある、と?」

「ご存知では?」


 伯爵の質問には答えず、問いかける。伯爵は、ダレンから視線を逸らし「さぁ。知らんな」と答えた。忙しなく視線が彷徨う。


 嘘だ。


「では、今から僕が話す事は、とある男女の恋物語とでも思って聞いてください」

「何故、私が恋物語など聞かなければいけない」


 伯爵がダレンに向く。ダレンは、獲物を捉えた様に伯爵の瞳を見つめる。その瞳に、伯爵は何故か逸らせなくなった。ゴクリと唾を飲み込む音が、ダレンにまで届く。


「エリーゼさんは十五年前、ある男性とお付き合いをしていました。身分差のある恋です。彼女は、その男性が家を継ぐ事を放棄して、自分と一緒になると言ってくれた事が、とても嬉しかった……。だが、男がそう伝えた翌月。男は他の令嬢と婚約をしました。エリーゼさんは、とても大きなショックを受け、倒れた。倒れたとき、医者にある事を言われました。貴女は、妊娠している、と」


 伯爵の瞳孔が開く。唇が僅かに震え、信じられないという顔でダレンを見つめる。ダレンは、そのまま無表情に伯爵を見据え、話を続ける。


「エリーゼさんは、家を飛び出しました。子供を産む事を反対されたからです。でも、彼女はどうしても産みたかった。いっときでも、男に愛されていた証を、自分で育てていきたかった。ですが、誰の紹介もない女性の、しかも妊婦を雇ってくれる場所は、当時はありませんでした。暮らす所も無かった。行き場を失った彼女は、お腹の子と共に命を絶つ事を選択しました」


 ビクリと大きく身体を動かした伯爵は、もうどうあっても自分の動揺を隠しきれずに居た。震える瞳は、真っ赤に染まっている。一文字に結ばれた唇は小刻みに震え、両の手は椅子の肘掛けを強く握りしめている。


「彼女が命を断とうとした時、ある娼婦が通り掛かりました。娼婦はすぐに彼女を娼館へ連れて行った。彼女は抵抗する事もなく、着いて行き、そこで掃除婦として働きました。子供は無事に生まれた。赤茶色の髪を持った、元気な男の子でした」


 情け無い表情には、どこかホッとした様にも見える。その瞳が、ダレンに先を促す。


「彼女は、彼に『エリック』と、名付けました。自分の名前を男性名にしただけですが、彼女はそれこそが自分からの子供への愛だと、言っていたそうです」

「……言って、いた?」


 過去形に、伯爵は即反応した。ダレンは、そっと瞳を伏せる。


「彼女は、エリックが生まれてから産後の肥立が悪く、出産の二ヶ月後、亡くなったそうです」


 喉の奥から漏れる声。

 伯爵は両手で自分の頭を抱え、前屈みになり、泣いた……。

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