第9話 報酬の前払い
翌日。
ダレンのアパート---
ダレンはキッチンで料理を作っていた。
間も無く訪れる小さな客人の為に。メインは野菜と鶏肉をたっぷり入れたスープと、チーズと厚切りベーコンを挟んで焼いたホットサンドだ。因みに、パンはダレンの手作りである。
昨日、帰り際に少し話しをした際、遣いの報酬は何が良いかと訊ねると、身体をダレンに近寄らせ、周りに聞こえない様に小声で「ご飯が良い」と答えたのだ。
なんとも可愛らしい報酬請求に、ダレンは思わず笑いそうにもなったが、この少年を気に入るには十分な答えだった。
ダレンは料理をするのは、嫌いでは無い。
一人暮らしをする前までは、一度も作った事は無かった。一人暮らしを始めてからも、外食で済ませていたが、ある時、レストランへ向かう途中で土砂降りに遭い、ふと、自炊する事を考えた。いざ始めてみると、存外、自分の
凝った料理は作れはしないが、簡単な物であれば、自分で作る。何より、料理をする過程は、思考回路を正常化させるのには丁度良いのだ。
しかし、人に振る舞うのは今回が初めての経験だ。どのくらいの量を作れば良いのか分からず、大量に作ってしまった鍋の中を見つめる。
「やり過ぎただろうか……。まぁ、残ったら持たせればいいか……」
独りごちると、ダレンはサラダの用意を始めた。
昨日の段階で、エリックには洋服一式を贈っている。このアパートへ来るには、ある程度、身綺麗でないと不審な目で見られてしまうだろうからだ。
エリックの服は、プラナス教会で話を聞いた後に、キャロルがセンター街で見繕い、伯爵家へ帰る前に教会へ戻って渡して来たのだ。
帰りが遅くなり、アーサーに説教はされたものの、車の便利さをしみじみと感じてしまった瞬間でもある。
馬車であったら一日に何度も往復するなど、難しかっただろう。乗り心地が良いかと問われれば、何とも言えない所ではあったが、探偵を生業とするダレンにとって、時間短縮は素晴らしいとしか言いようが無かった。
そして何より、服を渡した時のエリックときたら、本当なら飛び跳ねて喜びたい気持ちなのだろう。どこか落ち着かない仕草を必死で抑えつつ、紳士的に振る舞おうとする姿は、見る者の気持ちを暖かくさせた。その姿に、金を出したダレンも満更でも無い気分になった。
「キャロルが教会へ寄付したり、バザーに参加したりしたくなる気持ちが、ちょっとだけ分かった気がするよ」と言うと、キャロルはジロリと睨み付けて来た。
「たった半日で、何がわかるっていうのよ。こういう事はね、続けてこそ意義があるのよ」と、伯爵家へ向かう道すがら説教をされた。
そこでも、ダレンは車の便利さを実感した。キャロルの説教を、半分の時間で済ませる事が出来たからだ。
そんな事を考えていると、ドアベルの音がダレンの部屋に響いた。
ダレンは心無しか嬉しそうに火を止め、共同玄関へと向かった。
***
ドアを開けると、真新しい服に身を包んだエリックが、緊張気味に立っていた。手には少々
ダレンが子供の頃に使っていた鞄だ。どうやら今朝、実家に暮らす兄に頼んでいた遣いが間に合ったようだと分かり、ダレンはホッとした。
教会から綺麗な格好で来ると、下手に目立ってしまう。教会から少し離れた森の中で着替えをし、ここへ来る様に伝えていた。
それに着替えが入っているのだろう。
「やぁ、エリック。いらっしゃい」
「こ、こんにちは! オスカー様!」
「ああ、こんにちは。その服、よく似合っているね」
ダレンが笑顔でそう言うと、エリックは顔を真っ赤に染めて「ありがとうございます」と、はにかんだ。
「さぁ、入りなさい。丁度、食事の支度が整った所だよ」
ダレンがドアを大きく開け放ち、エリックを迎え入れる。
「二階へ行ってくれ」
「はい」
二階のダレンの部屋のドアを開ける。
中に入ると、すぐにリビングだ。部屋の真ん中に小さなテーブルと椅子が二脚。暖炉の近くにリクライニングチェアが一脚ある。壁側にある本棚には、びっしりと本が入っており、棚に入りきれない本が乱雑に詰め込まれている。その横に小さな執務机があり、書類が散乱している。
玄関のドアの隣りには、更にドアが一つあり、そこはダレンの寝室だ。
緊張よりも増した好奇心が、エリックの薄茶色の瞳を輝かせる。興味深そうな、不思議な物を見るような、色々な気持ちが入り混じった表情で部屋を見回している。
ダレンはエリックの素直な反応が面白く、小さく笑った。
「さぁ、料理を運ぶのを手伝ってくれ」
リビングの奥にキッチンがあり、その更に奥にドアがある。エリックが不思議そうに見ているので、そこはトイレと風呂があるのだと教えた。
ダレンがスープ皿にスープをよそい、オーブンに入れたパンを取り出した。
チーズが程よく溶けて、パンも狐色に焼けている。
我ながら良い出来だと思っていると、エリックが興奮気味に「とても旨そうです!」と瞳を輝かせた。
二人でリビングのテーブルに着き、早速、料理を食べ始める。
サラダ、スープ、ホットサンド、果物と並んだテーブルは、いつになく賑やかだ。
ダレンは黙ってエリックの食べる姿を見ていた。さすがに所作は出来ていないが、丁寧に食べようと心掛けているのが分かる。とても食べにくそうだ、とダレンは思った。
せっかく作った料理だ。どうせならいつも通りに食べ、食事を楽しんで味わって欲しいと思った。
「エリック。無理して綺麗な姿勢で食べる必要は無いよ。ここは僕たちだけだ。いつもの様に食べたらいい」
ダレンの言葉に、エリックはハッとし、顔を赤くさせ少し俯くと、すぐに顔を上げた。
「ありがとうございます。今日は……今日だけは、普段通りに食べさせて頂きます。でも、オレ……オスカー様に恥をかかせない為に……。オレ、これから色んなことに努力します。オスカー様が、オレと一緒にいても恥じない様に」
思いがけない一言に、ダレンは少々驚いたが、すぐに相好を崩し「ああ」と、頷いた。
「僕が君といることに、恥じる事は何もない。だが、作法を学ぶ事は今後の君の人生にとって大きな武器になるだろう。僕が教えるから、ゆっくり学んで行けばいい。ひとまず、今日は僕の作った料理を思う存分、楽しんでくれ。それから、僕のことは、オスカーではなく、ダレンと呼んでくれると嬉しい」
その言葉にエリックは一瞬、顔をクシャリと歪め泣きそうな表情をしたが、口元はすぐに笑みを浮かべ「はい! ありがとうございます!」と元気よく返事をした。そしてすぐに片手でホットサンドを持ち、もう片手でスプーンを持ち、交互に食べ始めた。合間に「うまいっ!」「すっげぇ」など言いつつ、凄まじい勢いで食べる。
ダレンがスープを一皿食べ終わる頃には、エリックは三杯目を食べ始めており、ホットサンドも二セット目を食べた。
何度も美味しいと伝えられて、これだけ食べて貰えると、ダレンも悪い気はしない。むしろ清々しいほど、楽しい気持ちになる。
探偵業で真相に辿り着く時の爽快感にも似た気持ちに、ダレンは仕事以外でこんな気持ちになる事に新鮮さを感じたのだった。
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