第86話 魔力


 歌も佳境に入ったのか、フィーリアの声が大きくなる。それと同時に、屋敷側から気配を感じ、二人は振り返った。

 

「これは……!」

「蔦が、消えていく……!」


 アルバス公爵家の屋敷全体が、フィーリアが纏う乳白色の光に包まれているのだ。

 二人は、今一体、何が起きているのかすら考える事を放棄して、その様子を吃驚しながら眺めた。

 

 蔦に覆われた屋敷は、みるみるうちに元の姿に戻っていく。蔦が消え去ると同時に、フィーリアの歌も終わった。


 バタリと倒れる音に、二人は振り返り駆け寄る。


「フィーリア!」

「フィー!!」


 ダレンがその身を抱き上げれば、フィーリアの身体の熱さに驚いた。


「すごい熱だ! フィーリア! 聞こえるか!?」


 フィーリアの長い睫毛が微かに震え、ゆっくりと開かれる。その瞳の色は、いつもの金緑色に戻っていた。


「フィーリア!」

「フィー! 大丈夫か!?」

「……みんなは……? クロエ様は……?」

「クロエ嬢は、まだ分からない。だが、きっと大丈夫だ。蔦が全て消えた」

「……よかっ……た……」


 ダレンの言葉に、フィーリアは薄っすらと微笑み、気を失った。


「エリック、フィーリアを頼む。僕は屋敷の方へ向かう」

「わかりました」

「裏口へ行って、ウィリスを見つけてフィーリアと一緒に帰ってくれ。それから、キャロルに連絡を頼む」

「はい」


 エリックはフィーリアを抱えて屋敷の裏口と向かい、ダレンはサロンの入り口へ向かったのだった。



♢♢♢



 カリッサ教会付近・森の奥の湖---


 陽が落ちて来てから、だいぶ辺りは冷え始めた。天鵞絨の天井にポツリ、ポツリと小さな光が瞬きはじめた頃。

 

 一人の若い男が、湖の畔で星を眺めていた。

 白銀の髪は細く長く滑らかで、絹糸の様に美しい。憂を帯びたその横顔は、彫刻の様に整っており、血の通った人間とは思えないほどに端正である。濃紺の瞳は、まるでガラス玉のように輝いており、時折、金色の光も見て取れる。

 そして、纏っている白の長いローブは、彼をより品良く魅せていた。


 静かな畔。

 男の顔は無表情だが、どこか静寂を愉しんでいるようにも見える、不思議な雰囲気を醸し出している。一人の束の間を愉しんでいる男の耳に、突然、鳴り響いたに、刮目した。


「キース様」


 その声に振り向けば、背の低い、まだ幼さが残る男が立っている。その男もまた、白銀の髪で一つに結んでいる。そして、その瞳は灰色だ。

 キースと呼ばれた男は、背の低い男を見て、一つ頷く。


「ああ。気が付いた。今の魔力は、フィーリアの物に間違いない」


 キースは美しくも無表情のまま、囁くように言う。その声は落ち着いており、思わず耳を傾けたくなる声だ。


「やはり、この国に居たか……」


 年配の男が、顎髭を撫でながら言う。この男もまた白銀の髪と髭だが、唯一短髪で、瞳の色は、ほんのり黄色みがかっている。


「これだけ膨大な力だ。今なら、まだ魔力の残滓を辿れるだろう。私が向かう。お前達は、神殿へ連絡を」

「お一人で大丈夫ですか?」


 若い男の問いに、キースは頷いた。


「大丈夫だ。行って来る」

「いってらっしゃいませ」

「おう、きぃつけて行けよ、キース」


 二人に向かって表情無くコクリと頷くと、キースはローブの上にマント羽織り翻す。すると、その姿は忽然と消えたのだった。



♦︎♦︎♦︎



 プラナス教会---


 男は教会の内陣へ向かって真っ直ぐ歩く。

 誰もいない教会内。男の靴だけが響く。

 歩くたびに、鮮血がポタリポタリと零れ落ちる。目的の場所に辿り着くと、振り向いて左手をサッと振る。一瞬の閃光が、男の落とした鮮血を綺麗に消した。

 内陣の中にある台の下に屈むと、小さく何かを唱えた。すると、ツバメの絵が光って浮かび上がり、下階へ続く階段が現れた。

 男はゆっくりとその階段を降りていく。階段が終わり、廊下を少し進んだところに、更に階段が下へと続く。

 それを何度か繰り返し、ついに一つの扉の前に辿り着いた。ノックをしようと手を上げると、何処からともなく現れた男が一人。


「待て」


 男はゆっくりと声の主を見る。


「その血塗れの状態で、吾が君に面会など。許されるとでも?」


 そういうと、男の怪我した箇所に包帯を巻く。


「部屋を汚されては困ります」

「……すまない。ありがとう」


 男が礼を言えば、手当てをした男は呆れたように軽く両肩を上げただけで、何も言わなかった。

 

 ノックを三回鳴らせば、中から気だるそうな声が響く。ドアを開けて入ると、地下室とは思えないほど明るく大広間のような空間が広がる。

 玉座とも見えなくもない席に、一人の若い男が、少々だらし無く腰掛けている。

 太陽のように輝く金色の髪で、その瞳は見えない。そして、顔の半分には白い仮面を被っている。


「やぁ、君がここに来たという事は、首尾よく行ったという事かな?」


 男の形の良い唇が弧を描く。


「はい、吾が君」

「アルバス公爵も、残念だったなぁ。だったのに。僕を裏切るなんて……本当、参ったよ。ああ、そうだ。君の傀儡達、みんな捕まってしまったというじゃないか。変態のアゴーに庭師のベン。君の傀儡達は大丈夫かな? 口を割ったりしないよね?」

「……それは大丈夫です。私と【契約】を交わしているので、話す事すら出来ません。もし、【契約】を破ろうとすれば、その命が消えることも」

「……ふぅん……」


 元々姿勢悪く座っていた男は、更に足を組み半分寝そべるようにして男を見る。男の榛色の瞳が金色に近い色に見えて、口角を持ち上げる。


「その瞳……どうやら、ちゃんとオークの木の魔力回収が出来たようだね。どうだい? 元々は君の中にあったものだ。体調が悪くなる事はないだろうけど……。長年、君の家は魔力の無い者しか生まれなかったからね。君が魔力に適応出来る身体で、本当に良かったよ。ねぇ? 。いや、今の名前の方が良いかな? トバリ」

「……吾が君のお気に召すままに……」


 深く礼をするトバリに、男はフンと鼻を鳴らす。


「しかし、良かったよ。僕は心配していたんだ。君がクロエ嬢に本気になっているんじゃ無いかって……。でも、僕を裏切る事なく、君はアルバス公爵家の人間の息の根を止めてくれた……。あのじぃさんも、足抜けするなんて言わなきゃ、アルバス公爵家も長く使えたのになぁ……」


 男は肘掛けに肘をつき、不服そうな顔をしながら頬杖をつく。

 すると男の元に、先程、手当てをした男がやって来て、何かしら耳打ちをする。その言葉に、男の口元が歪む。


「トバリ……。ここに来るからには、アルバス公爵家の人間を亡き者にしてから来いと言ったな?」


 その問いに、トバリは眉間に皺を寄せて困惑顔をして見せる。


「アルバス公爵家の人間は、まだ生きてると報告が入ったぞ。どういう事かな? 僕を騙そうとしたの?」

「そ! そんな筈は!! 私は確かに!!」

「君の得意な蔦魔法。綺麗に消えているそうだよ?」

「なんだと!?」


 トバリが酷く混乱し驚いていると、仮面の男は乾いた笑い声を上げる。


「なんだと、とは僕の台詞だよ。ねぇ、トバリ。どういう事かなぁ?」


 その声は、トバリの背中を冷たく触れるように響いて聞こえた。

 男の口元がニヤリと歪む。


「そんなに震えて……僕が君を殺すと思ってるの? あのプラナスの院長みたいに。殺すわけないだろ? アイツは魔力無しの単なる駒だ。だが、君は違う。大切なイリースライアの子孫だ。そう簡単には、殺さないよ……」

「……」


 長い前髪と半分仮面で隠れている顔は、かろうじて見える整った鼻筋と形の良い唇からでしか、相手の真意は読み取れない。

 トバリは黙って男を見つめていると、男は尚も笑う。


「そんなに僕を見つめて……。魔力が上がったからって、僕の事も操れると思う?」

「そんな事は……」

「ねぇ、トバリ」

「はい、吾が君」

「今回、なんで失敗したのか。心当たりは無い?」


 男の言葉に、トバリは必死に考える。まだオークの木の魔力を、己に取り込んでいなかったとはいえ、蔦魔法は得意な魔法だった。屋敷全体を覆った事で、魔力が分散し失敗したのか。

 そんな事を考えたが、すぐにそれらは関係ないと気が付く。


「吾が君。もしかすると、この国に我々以外の魔力持ちがいます」

「なに……?」

「ダレン・オスカーが連れていた子供です」

「子供?」

「黒髪に金緑の瞳を持った少女が、私の魔法に気が付いていたのです」

「へぇ……。ダレン・オスカーねぇ……」

「吾が君。私にもう一度、機会を与えては頂けませんか」

「……」


 男はふんぞり返っていた姿勢を起き上がらせ、座り直すと「いいよ」と言った。


「だが、君はもう顔が割れてる。だから、君に僕の駒を貸してあげるよ。ソイツを使って、ダレン・オスカーと共に居た子供について調べろ」

「はっ!」


 男は顎の先を触れながら、頭を下げるトバリをぼんやりと眺めた。


「ダレンねぇ……。アイツは本当、僕の邪魔ばかりする……」


 誰にも聞こえない小さな声が、男の口の中で呟かれ消えた。



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