1-6 ソレイユ出会い 930年4-5月

 叔父はいつも右手に白い手袋をはめている人だった。ずっと後になって理由を聞いたときには、短く、「軍にいたときに怪我をした」とだけ言い、それ以上の言葉は拒否し続けた。独身で友人もなく、近所の人たちとの交流も簡単な挨拶すらしないといったつまはじき者で、僕も引き取られるまで会ったことがなかった。


 父よりもずいぶん若く見えた彼は、髪もまだ黒々としていて筋肉質の引きしまった体をしていた。本人は愛想のない笑うことを知らないような男だったが、女たちには好まれたようで、家にはたびたび女の出入りがあった。


 そのために近所からは、特に善良な人たちに毛嫌いされていて、同居している僕も自然と町の嫌われ者になってしまった。意地の悪い子供や大人にまでのけ者扱いされ、道を歩けばひそひそと話のタネにされるばかりで嫌になり、始めこそ通っていた学校もいつしか行かなくなった。


 それでも気分が塞ぐことはなく、むしろ晴れ晴れとした。家族がいた頃から、僕は友達に囲まれているより、ひとりで絵本を読んでは空想することが好きな子だった。気を遣わず、自由に遊べる。そのことのほうが嬉しかった。


 森から長い枝を拾ってくると、誰も見ていない場所で古木をドラゴン、控えめに咲く野花を王女に見立て、彼女のために戦って枝を振り回して遊んだ。


 絵本の文字が読みたいがために読み書きを覚え、大人が読むような本も読めるようになっていた僕だったが、心はいつもあの絵本に帰っていき、黒と白で表現された世界にどっぷりと浸った。血も汗もそこでは色を失い、ただ黒く、月日が流れるにしたがって濃さを増していった。鮮やかな木々の緑も、差し込む太陽のまぶしさも、当時の僕には意味をなさなかった。


 あの日も僕はひとりで森の中に入り、そこで見つけた小川で遊んでいた。さらさらと流れる水は太陽のきらめきを反射してまぶしいほどだった。僕はそれをドラゴンの棲む湖だと思い、川中の丸い石の上を滑りそうになりながらもバランスをとって進んでいた。


 落ちたら死ぬんだ。僕はつま先が水に触れそうになるたびにドキドキした。この水は生き物を溶かすんだ。向こう端までたどり着けば、そこに勇者の剣があり、それを手にした僕は無敵になる。


 ぴしゃんと跳ねる音がして、驚いた僕はバランスを崩した。左足が水につかり、靴の中まで濡れる。やけになって残っていた右足も川の中に突っ込んだ。すると軽やかな笑い声がして、僕の心臓は絞りあげられたように痛くなった。


「あなた、ひとり?」


 見上げると目指していた向こう岸に女の子がいた。麦わら帽子を被り、白いワンピースが風にふわりと膨らむ。彼女は焦げ茶色の目を輝かせて僕に言った。


「いっしょに遊ばない? わたし、ソレイユよ」


 僕が太陽を見つけた瞬間だった。


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