7-3 貧民区

 本来の目的――貧民区が見えてきたので、ソレイユに近くの木陰で待っているように伝えた。案の定彼女は文句爆発。


「なんでよ。その籠、私が持っていく。あんたが待ってなさいよ」

「じゃあ、帽子を深くかぶるか何かしてよ」

「私の顔がダメだっていうわけ」


 違うだろと心で突っ込んで説明する。


「貧民区にハーゼンズ家のお嬢さんが膝むき出しで来たなんて知れ渡ったら困るだろ。だいたい、僕といるところを見られるのもよくないし」


 はあん、とソレイユはバカにして、つんと顔を上に向ける。


「あばずれお嬢さまと一緒にいるところを見られたくないってわけね」

「違うだろ」声が出てしまった。ごほんと咳をしてごまかす。

「ソレイユが悪く言われるのが嫌なんだよ」


「私は平気よ」と偉そうな返事。

「大丈夫だって。心配しすぎなのよ、ルギウスは」


 そう言って彼女は僕の腕に手をかけると、ぐいぐい引っ張って行った。籠の中では瓶詰たちがガチャガチャと騒がしい。


「ほら、平気。誰も見てない」


 貧民区には鼻たれ小僧が数人集まって、棒を振り回していた。それを避けようと端によると、狙ったように横道から鶏が激しく羽ばたきながら飛び出してきた。


「なにっ」


 ソレイユはびくっとして僕に抱きついた。硬直。鼻たれ小僧も、鶏を追いかけて来ていた悪ガキも僕らをじっと見る。


「見てるし」


 僕はソレイユを振り切ると籠を抱えて走った。中身が激しく揺れたがかまうものか。目的の家を見つけると、ちょうど出てきた子供に籠を渡す。


「ちょっと走ったからスープがこぼれてるかもしれないけど」


 急なことに言葉を失くしている子供をそのままにして、僕はすぐに取って返した。ソレイユはまださっきの場所にいて、こっこ、こっこと鳴いている鶏に囲まれている。その周りには増えた鼻たれ小僧と悪ガキが陣取る。


「帰るよ」


 僕は声をかけながら陣に突っ込みソレイユの手を掴んだ。そのまま突っ走る。蹴散らされた鶏と小僧どもが、ぎゃあぎゃあ騒いだが無視だ。


「ほらね、待ってればよかったのに」

 木陰がある場所まで来ると僕はつないでいた手を離した。

「べつに。行ってよかったと思う」


 ソレイユはむっとしながら言った。僕はソレイユの足に視線をやった。


「走ったけど、足大丈夫。サンダルだったね」

「べつに。痛くない」


 ソレイユは眉間にしわを寄せたまま黙り込んでしまった。しばらく木陰で休憩することにしたが、暑いし喉が渇いてきた。貧民区に戻ってなにか飲むものでも貰ってこようかと考えていると、長らくだんまりだったソレイユが口を開いた。


「ひまわり見に行きましょう」

「は?」と僕。


 暑さでいかれたのかと思った。僕の耳か、それともソレイユの頭が。ひまわりなんてどこに咲いてるんだろう。植えるなら花より食べ物の時代だ。教会の敷地にもカボチャが茂っているというのに。


「ひまわり。去年、車で隣町まで行ったときに見つけたの。窓から見えて、それで行ってみたいなって。すごいのよ、一面ひまわり畑なんだから」


「トウモロコシじゃなくて?」

「ひまわりだって言ってんでしょ」


 ソレイユは目を細めて僕を見ていたかと思うと、何かぴんときたのかパッと表情を変えて笑い出した。


「ひまわりだって食用になるのよ。油が採れるんだから。知らないのね」

 知らないですね。僕は黙っていた。百姓の息子なのに恥ずかしい。

「そう、なら今年もあるのかな。あるなら見たいけど」


「あると思う。種を集めて学校に持っていってる話を聞いたし」

「そんなことしてんの」


 僕の返事にソレイユは笑う気も失せたようだ。


「あんたって世間を知らないのね。引きこもりが過ぎるんじゃないの。大丈夫なの、それで。来年には兵役が来るはずでしょ」


 嫌なことを思い出させる。今度は僕がだんまりを決め込みそうになった。


「ひまわり見に行こう」

 僕は木陰から出るとソレイユに言った。

「でも、その前になんか飲むもの貰ってくるから待ってて」

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