7-4 帽子
ひまわり畑は遠そうだった。ここからまだ三十分は歩かないと見えてこないらしい。太陽はぎらぎらと地面に照りつけ目が焦げそうなほどだった。
「今日行くの? 今度にしたら」
「行く。ひとりでも行くから」
ソレイユはすたすた歩いて行ってしまった。僕は籠を抱えてあとを追う。再度貧民区に戻った時に籠を返してもらい、水筒に水を入れてもらっていた。その時に周りから何か言いたげな視線をしっかりと浴びたが、誰も何も言わなかった。
これまでにたびたび貧民区に出入りして物資を届けていたから、その効果がこんなところで出たのかもしれない。食べ物はそれだけ大事なのだ。本心では「さっさと戦地に行け」と思われていたとしても。
「ほんと歩ける?」
追いつきながら声をかけるとソレイユはぴたりと足を止めてにらんできた。
「どういう意味よ」
「もうずいぶん歩いてるし」
「あんた、疲れたの?」
「いや、僕は大丈夫だけど」
「じゃあ、何で訊くのよ」ソレイユは言うと、さらに目を細めた。
「だって――」
「女の子だからとか言ったら、蹴り飛ばすからね」
「違うさ」違わなかったがまだ何も言ってない。
「普段そんなに歩かないだろ? 僕はいつもあちこち歩いてるけど」
「そんなことない」とソレイユ。ちょっとだけ目が開かれた。
「ご存じないかも知れませんけど、我が家は広いので。それにママを避けるために逃げ回ってるし。たくさん歩いてます」
「そう。余計なこと言ってごめん」
彼女は大きくうなずくと、背を向けてどんどん歩く。大股で僕ですら早足になる速度だ。それからもっと早足になったかと思うと突然ソレイユは走り出した。
「私、走るの好き」
「ちょっと」
帽子を押さえながらソレイユは僕の制止も無視して走り続けた。木々が生い茂りトンネルのようになった坂を転げるようにして下りて行ったが、途中で足がつまずいた。わっと言った彼女が倒れる前に僕はなんとか追いついて体を支える。おかげで籠は放り投げてしまったけれど。
「元気すぎる……」
抱きとめた腕の中でソレイユがつぶやいた。
「―――――」
「なに?」
体を離して何と言ったか、もう一度訊ねようとすると、彼女は額を僕の胸に押しつけて腕を伸ばした。肩に重さを感じて戸惑う。転がっている籠に妙な愛着をもって見つめていると、ソレイユが顔をあげた。
「休憩おわり」
ふっと息を吐いてソレイユは僕から離れた。いつの間にか落ちていた帽子が足元にあるのに気づく。拾って被せてあげると彼女はにこりと笑った。木漏れ日が彼女の瞳を輝かせ、そこに見つける彼女自慢の小さなひまわりの姿をいつまでも見てしまいそうになり、振り払うようにして目を逸らした。
「さぁ、出発」
ソレイユは元気よく歩き出した。ぴんと伸びた背筋。迷いのない足取り。彼女の背を見つめながら、僕は嬉しさの中に芽生える、じりじりとした痛みの存在にも気づいた。何かもっと言ったり出来たりすればいいのに何も思いつかず何も出来なかった。彼女が何とつぶやいたのかも分からない。
「ソレイユ」
振り向いた彼女にやっぱり僕は何も言えなかった。走って追いつくと、横に並ぶ。ソレイユは僕に顔を向け微笑む。
それを見て安心した。同時に胸が苦しい。やがて覆っていた木々がなくなり雲ひとつない晴天の真っ青な空が視界いっぱいに拡がって、僕ら二人に夏の強い日差しがさんさんと降り注いだ。それでも僕の胸はずっと苦しくて切なかった。まぶしくて目が開けていられない。ソレイユも空も。なにもかも。
「ほら、見えてきた」
僕を見上げる瞳。
「今年も咲いてる。あそこ」
すらりとした腕と細い指が示す。僕らが立っているのは小高い場所のようで、眼下に平野が見下ろせた。まだずっと先の向こう側、緑が広がる中で一か所だけ黄色く染まっている。
「まだ遠いな」
「もう見えたもの。すぐよ」
ふわんと風が吹く中をソレイユは歩く。何の迷いもなく、まっすぐに。
前だけを見て。それから振り向いて手招きする。
「ルギウス」
僕は駆け寄った。笑顔が恋しい。
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