7-5 向日葵
ここからの記憶は幸福と絶望がちょうど混じりあい、いっきに転落していった僕の人生を象徴している。掴みかけた幸せは、いつも手にしたと確信した瞬間にすり抜けていった。あれは僕が最初に見つけたに違いない。彼女の反応はそれを示していた。僕は自ら幸福に終止符を打ってしまったのだ。僕はそういうやつだ。
ひまわり畑は素晴らしかった。そう、これは間違いない幸せの記憶。僕らの背丈よりも大きく育ったひまわりが一面に拡がっていた。ひまわりしかこの世に存在しないかのように、それは僕らの周囲を隙間なく満たした。
顔よりも大きな花はたっぷりと陽を吸い込んだように濃い鮮やかな黄色の花びらをしていた。中心の深い茶色はソレイユの髪に似ている。ひまわりに囲まれているとぴったりと合いすぎて、そのまま花の中に溶けてしまいそうで怖かった。僕はわずかでも彼女が視界から消えると幼い迷子のように不安になって、手が触れる距離にずっといようとした。
「あんまり奥には行かないでよ」
僕の情けないセリフにソレイユが笑う。
「ついて来てよ、ルギウス。ほら、ちゃんとついて来て」
手を引かれながら進む。周りが鮮やかな色彩すぎて、目が痛くなる。空が青い。どうしてこんなに青いのか不思議なくらいはっきりとした青。
「きれい。ほんとに素敵」
振り向いて笑った。
「来てよかったでしょ。帰ったらクタクタだろうけどね」
おぶって帰ってあげようか。と言葉が浮かんで飲み込んだ。
「今が一番きれいなときね。去年、窓から見た時よりも鮮やかだもの」
「うん、きれいだ」
「ほぉら、来てよかったでしょ。あなた嬉しそうだもん」
僕は笑った。もうずっと笑っていたけど、さらに笑った。嬉しかった。
「今日にしてよかった」
言えたのはこれだけ。ソレイユが得意げに笑い、それを見て幸せだった。
でも、ふとよぎった考えに、つい言ってしまった。
「僕じゃないほうが、よかったんじゃない」
首を傾げるソレイユ。笑顔が薄れる。
「他の奴と来たほうが楽しかったんじゃないかな。車で来たりとか。持ってる奴いるだろ、友達に。そうしたら帰りも楽だったのに」
笑顔が消えてしまった。そうなってやっと僕ははっとする。
「ごめん。変なこと言った。忘れて」
「どうして急にがっかりすること言い出すの。昔からだけど」
彼女の視線が痛くて、僕は顔をそむけた。
「君の半分も価値がない人間だからだと思うよ。半分どころか、影すらもないね」
「私が好きでも?」
声に顔を向けると、目が合った。肩をひとつドンとこぶしで叩かれる。
「私があなたのことを好きでも、そういうこと言うの?」
何も言えない。ソレイユは近づいてきて僕の目を覗き込んだ。
「好きでも、そんなこと言うの?」
「言う」僕はのけぞって後ろによろめく。
「ちょっと、その反応はどうなのよ」
「どうと言われても」
吐きそうだった。なんかもう、いろいろと吐きそうな気分。
それか体が爆発する。頭が飛ぶ。
「もういい。あっち行って」
僕はくるっと背を向けて三歩ほど歩いて、また向きを変えた。
ソレイユがにらんでいた。
「ごめん」と言って腕を広げたら、ソレイユが飛び込んできた。
「あなたって、どうしてそんなにバカなの」
ここで記憶が止まればいいのに。辛い。ここで終わりならいいのに。
「バカじゃないさ」
抱きしめたら腕の中にすっぽり納まった。ソレイユが逃げも嫌がったりもしないので、少しだけ腕に力を入れた。彼女も抱き返してくれた。彼女は細くてあまり強く抱きしめると消えてなくなってしまいそうだった。どうしたらいいんだろう。怖かった。たまらなく、怖い。するとソレイユが顔をあげる。
「バカよ。だって――」と口が塞がれて、「キスしないんだもの」
僕は顔を見られたくなくて、彼女の肩に顔を埋めた。くすくすと笑うソレイユの体が小刻みに震えている。「ばーか」とまた言われた。耳がくすぐったい。いや、全身がくすぐったい。それでいて……
だから顔をあげて今度は僕からやってみた。
ソレイユはこつんと額をぶつけて、「遅いよ」
ここで記憶が終わればいいのに。苦しい。なぜだろう、僕が見つけてしまった。あの印を。僕は……、最低だ。
体を離したら彼女はするりと腕の中で逃げるように動いて背を向けた。悪いことをしてしまったかと、どきりとしていたらソレイユは顔を両手で覆ってくぐもった声で言った。
「まずい、私のほうが恥ずかしくなってきた。離してちょうだい」
ぎゅっと抱きしめたら、じたばたされた。
「もう、あんたって最低」
笑いながら離したとき、ふと目に入った。僕は何の気なしにそれを触った。
「ハート型してる」
肩に、ほとんど首のあたりにそれはあった。
「なに?」
ソレイユは自分で見ようとして、それが出来なくて首をすくめたり曲げたりしていた。僕は指であざをつついて、また言った。
「ハート型。少し赤いね」
バカだ。僕は最低だ。
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