15-3 太陽

 灰色。世界は灰色になってしまった。撤退が決まり、とにかく歩いている。運河を渡れば、食糧と安全が待っているという。そこまで進むしかない。


 あたりは日中でも薄暗い熱帯のジャングルだ。これだけ草木が茂っていても、口にできるものはなにもない。前を歩く男は、軍服のほとんどを失って裸同然だ。血と泥で汚れた身体、欠けた部位、這いながら進む者、木に寄りかかり銃口を口に突っ込んでいる者、歌いだし、踊りながら、どこかへ消えていく者。


 前線にたどり着く前に撤退の知らせを受けた。前線の兵団を指揮していた中将の独断だった。撤退理由は食糧不足による兵の衰弱だったが、本部によると飢えは根性で克服できるらしい。司令部は、怒りを表し、中将の更迭を決めた。


 まずは前線にいた兵から後退した。負傷兵は補給部隊が野戦病院に運ぶようにとの指示。担架で運び、肩を貸して歩いていた者が、今度は運ばれる立場になる。その繰り返しで、兵の数は減っていった。


 やっと到着した病院で解散の知らせを受ける。自力で歩けるもの以外は処分とのこと。ここまで負傷者を運ぶのに、多くの兵が体力を消耗していた。それでも将校たちは担架でどこまでも運ばれていく。他の兵がばたばたと倒れていく中でも。


 どこへ向かっているのか、もう、そんなことを考える余裕もなくなる。ただ進むしかないと、足や手を動かして、前へ前へと進む。背後からは銃声が響く。退却中に歩けなくなると、後尾収容班が自決強要をしてくるのだ。断ると、射殺。


 助けてくれ。まだ、歩ける。パーン。死。


 あの銃声は自決だろうか。それとも処分されたのか。手首を切り取って持ち帰る。遺骨の代わりに。戦病死と記録される。たとえ仲間に殺されていても。


 だから僕らは歩く。這う。進む。捕虜になるな。死ね、死ね、死ね。そうやって迫ってくる銃声から逃げるように、急いで進む。速度があがるほど、脱落者が増える事実に気づかないで。


 道々に死体が折り重なって集まっている場所を見つける。集団で二十人ほどの塊で、ある者は白骨化し、ある者は先ほど息絶えたばかりのようだ。最後の時、人はたとえ死体であっても、誰かのそばで死にたいのかも知れない。あるいは、彼らが呼ぶのだろうか。熱帯は肉が腐るのも早い。すぐに骨になるだろう。


 なんて邪悪な世界なんだ。戦場では悪人ほど生き残る。人望のあった兵士が上官をかばって爆撃を受けた。温和で優しい兵ほど気が狂いだす。責任感のある兵士ばかりが死んでいく。残るのは残虐で強かで、平気で人を騙し、踏み越えていく奴らばかりだ。


 こんな奴らが作り出す世の中は、どれほど邪悪に満ちるのだろう。僕には、邪悪の棲み処が見える。そこらじゅうにある。僕の中にも、それはあるんだ。 


 僕らは邪悪な生き物なんだ。差別する心も、戦争を欲する心も、嫉妬し、妬む心も、すべては僕らの中にある。混乱の世の中で、それらは増殖する。止めるには理性による治癒しかないのだけれど、それはまるで幻のように脆い。


 ソレイユ。僕は君に会いたい。ただ会いたい。

 僕は探している。ずっと。ずっと、ずっと。


 世界は黒と白で表現されている。血も汗も、ここでは黒一色だ。太陽はどこへ行ったのだ。光はどこへ。探すんだ、太陽を探せ。


 ひたすら歩いた。誰かが待っている気がして、その気持ちだけで歩いた。記憶も消えた。自分が誰であるかも忘れた。どうしてこんな場所にいるのか分からない。誰を探しているのかも分からない。でも、僕は歩いた。


 ふわり、と風が吹いた。


 木々が揺れ、開けた眼前に太陽を反射してきらめく川面が見えた。静まり返った森の中で、川の流れる音だけが響いている。嬉しくなって、急いで川へと走った。透き通る水に手を浸し、顔を洗う。冷たいが気持ちのいい刺激に感謝した。


 ぴちゃんと跳ねる音がして顔をあげると、向こう岸に誰かいた。


「あなた、ひとり?」


 麦わら帽子。白いワンピースが風に膨らむ。微笑む彼女の瞳がきらめいた。


「いっしょに遊ばない? わたし、ソレイユよ」


 見つけた。僕の太陽ソレイユ――


                              

                               


                              (了)





 

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ソレイユの涙 竹神チエ @chokorabonbon

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