14-4 戦争が終わったら
九四一年、敵国にあるカーブル療養所で「カドモス」という化学療法剤が初めて使われ、ドラゴン病に対して効果があると確認される。カドモスは、もともとは結核の治療薬として開発されたものだが、ドラゴン病に対しても有効であると臨床結果から明らかになった。
「中立国を通じて雑誌で情報を入手しただけなんだけどね、王国でも独自にカドモスの合成を開始している医師がいるんだ。まだ実際に使用するまでには時間がいるだろうけど、静脈注射によって投与するらしい」
戦時中じゃなかったら、もっと情報を交換できるんだけどね。
「勝てば、勝てばいいんですよ」
僕は口走った。治療薬が敵国にあるというのはなんと魅力的な情報だろう。戦意を掻き立てるのには十分すぎる。でも、あなたは静かに笑った。
「そう、そうだね。戦争を終わらせることだよ」
わずかな希望。鮮やかな希望。目の前が輝きだす。ソレイユは助かる。
「助かる。ソレイユは助かるんだ」
先生、あなただから打ち明けよう。僕は美しいソレイユを想像していた。あざひとつない彼女を。抜け落ちたもののない、記憶のままの彼女。
「病状の進行を止めることが出来る。投与は早いほどいい」
あなたは含みのある言い方をした。僕にはっきりと言うこともできたはずなのに。それはあなたの優しさだろうか。それとも、僕はそれほど哀れな喜びに満ちていたのか。
治療薬の意味を、あなたの言った言葉の意味を理解したのは、さらに時間が経ってからだった。僕の中に巣食う邪悪さは、愛の中に現れた。
あなたは言いたかったに違いない。単純な喜びの中にいた僕に、容姿の変化について考えているのか。抜けた眉が生えてくるわけではないのだと。損傷した部位が復活するわけではない。それはまた違う治療が必要で、復元技術の問題なのだと。
ソレイユ。君は僕以上に僕という人間の弱さ、残虐さを理解していたに違いない。だから君は僕から離れたのだ。君は言った。自分が出来ないことを僕には頼めないと。それは信用できないということだ。君は僕を信じてくれなかった。
これらは想定でしか語れない。君はいない。また、僕は君の姿を知らない。だから、どのような姿になっていたとしても、愛を貫くことが出来たと証明することも、誓うことも出来ない。それに僕は夢の中で、君を斬っている。もしかしたら、それがすべてを証明しているのかも知れない。
「ぞっとしたり、戸惑うことは悪いことだとは思わないよ」
いつだったか、先生、あなたがそう話してくれたことがあった。僕があまりにひどい損傷を負った兵士にたじろいだときだったろうか。あなたについて手術の助手をしたことがあったが、麻酔も不十分で、ただ切り刻んでいるように見える様相に僕は参ってしまったのだ。
「僕もね、医者だから慣れてるだろうと思うかもしれないけれど、今でも目をそむけたくなることが多いよ。しょっちゅうさ」
僕は自分が情けないと思っていた。流れる血、ちぎれた手足、のぞく内臓。骨が見える。叫ぶ声。悪臭。うじが湧いている。うようよと踊っている。気味が悪かった、と同時に悪夢がよぎった。ソレイユ、君を斬った夢だ。
「重要なのはね、そこで終わらないことだよ。気持ち悪い、ぞっとする。見たくない。そう思ったあと、どうするかが重要だと僕は思っている」
たとえば、僕は治療に集中する。ある部分では患者を人というよりも、肉体として切り離して考えることで冷静さをもって対処している。それを冷酷だと言えば、そうだろう。でも、僕は行動している。それに違いはない。
「君が恐れながらも、恥じたり、悩んだりしていることは大切なことなんじゃないかな。君はもっと自分を誇るべきだよ。ルギウス、君は優しい心根の持ち主なんだ。いつも真剣に相手と向き合おうとしてるじゃないか」
僕は慰められていると感じた。うなずき、かけられた言葉に喜んでみせようと微笑みはしたが、あなたの買い被りすぎだと思っていた。もし、ソレイユが顔も分からないほどの状態で、言葉もままならない有様で、それでも動揺しながらも向き合おうとするのか。そんなことが可能だろうか。
僕がソレイユのことを考えるとき、その姿は美しいままだ。長い髪が風に舞っていたり、はしゃぐ君にあわせて跳ねたりしているんだ。瞳はきらきらしていて、ずっと見ていたいと胸が高鳴る。白い肌、滑らかな柔らかさ、包む温もり。太陽のもと、輝くソレイユは何より素晴らしい。
分からないよ、ソレイユ。君はいないんだもの。だから何も言えないよ。でも恋しいんだ。今でも焦がれている。たとえそれが幻想の中の君だったとしても、僕は苦しくて、辛くて仕方がない。この気持ちはどうしたらいいのだろう。
何も知らなかった僕は、治療薬が与えた希望に胸を膨らませた。生きて帰ろう。そう強く思った。戦争が終わったら、ソレイユに会いに行こう。治療薬。僕はあとどれだけ長くても耐えるのは数年のことだと思っていた。
夢見ていた。君との暮らし。語ってくれた小さな家、刺繍入りのクッション、ツリーハウス、庭には花がいっぱいで、僕らはブランコに乗って、その上を飛ぼう。楽しい生活、嬉しい記憶。戦争はじきに終わる。治療薬も完成する。
こんな風に夢見ていたのが、いつだったのか、君が知ったらさぞ笑うだろう。先生、あなたも僕を笑ってもいいんだ。九四二年のことなんだ。僕はこの年も軽症を繰り返し、前線に向かっては野戦病院に戻ってきていた。
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