8-5 奇跡
「ロンイルって島だっけ」
深夜の誰もいない路地を歩きながら僕は言った。ソレイユはうなずいた。
「そうよ。でも本土からそう遠くないの。三十メートルしか離れてないんだから」
「船で行くのよ」とソレイユは言うと僕に笑いかけた。
「あなた、乗ったことある?」
「ない」
「桟橋まで一緒に行けるはずよ。そこでバイバイね」
「うそだね」僕は笑った。
「一般面会人宿泊所があるはずだ」
ソレイユは驚いた顔をした。それからはっとして、「叔父さんから聞いたのね」と言った。僕は「そうじゃない……というか、そうとも言えるけど」と言いよどんだ。彼女は肩で僕をこづいた。
「なんなのよ」
むっとした顔。尖った唇。いつものソレイユ。
「ハンナが手紙のやり取りをしてたんだよ。最近はなかったみたいだけど」
本当はハンナは僕に手紙を書いてもらいたがっていたけど、嫌がって拒否していた。叔父のことは忘れたかった。思い出すたびに僕の細胞の中でドラゴン病が目覚めていくような恐怖を覚えたのだ。
「話は聞いてたから。まぁ、ハンナが聞きたくもないのにぺちゃくちゃ喋るから耳に入っただけだけど」
「じゃあ、私よりも詳しいのかな。あんまり知らないのよ。パパは『それなりにいいところらしい』としか教えてくれなかったから。まさか娘が入ることになるなんて思ってなかったでしょうね」
それからソレイユはうつむいて、「パパはね、自分のせいで私が病気になったんだって言い出すのよ。ほら、伝染病でしょ。パパを介して私がって」
「なら僕のせいかもしれない」
立ち止まると体を引き寄せた。
「僕からうつったのかもしれない。そうだろ?」
「どっちのせいでもないと思う」
ソレイユは小さく笑った。
「伝染病って言っても感染率は低いのよ。だから遺伝だって言ってる人もいまだに多いじゃない。それにね、ジュダって場所にはドラゴン病者が集まって暮らす部落があるらしいんだけど、そこでは昔から病者じゃない健康な人との交流が普通にあるの。同じ学校に通ったり、食事を一緒にしたり……、それでも平気で健康に暮らせてたりするのよ」
「なら、そこに行こう」
僕は言った。
「ジュダに。ロンイルはやめだ」
ソレイユは困った顔をした。
「そういうわけにはいかないって。法律で決まってるもの」
歩きながら僕らは言いあった。
「法律がなんだ。隔離施設なんかやめて、自由な場所に行こう」
「自由ってわけじゃない。それにもう解散してなくなってるかもしれない」
「行ってなくなってたらロンイルに行くことにすればいい」
「ダメだったら」
「どうしてさ」
ソレイユは怒った顔で黙ってしまった。
「話すんじゃなかったって思ってる?」
僕が聞くと大きくうなずく。苦笑。
「ごめん。だって離れたくないから」
ソレイユが立ち止まる。つないでいた手を振りほどくと顔を覆い、大きく息をついた。それから思い切るように勢いよく顔をあげると僕の目をじっと見た。
「私は離れたいの」
涙がひとすじ流れる。
「だって病気だもの。治らないのよ」
「治るよ」僕は言った。声が上ずっていた。
「治るよ。治る人もいるって。ソレイユは治る」
「ほら」とソレイユは涙を浮かべながら得意げに笑った。
「受け入れられないでしょ。治らないのよ、ルギウス。不治の病なんだから」
「違う。君は違うって。治るさ」
やめろと頭の中で声がした。でも口走っていた。
「君がドラゴンなわけないだろ。邪悪なドラゴンは僕だ」
ソレイユが微笑みながら首を振った。僕の頬を両手で包むとこつんと額をぶつける。僕は彼女の手に自分の手を重ねた。伝わる温もりが痛い。
「あなたがドラゴンなわけないじゃない」
泣かないでと囁かれて、初めて泣いていることに気づいた。
「嫌だよ……、ソレイユ」
僕は泣いた。恥ずかしげもなく彼女の前で泣いて泣いて、彼女も泣いて。涙がどちらのものなのか、分からなくなりながら流れては頬を濡らしていった。
僕らは震えていた。寒さからなのか恐怖や不安からなのか分からない。抱きしめても抱きしめても何も役に立たなかった。それでもこの時は奇跡を信じていた。ソレイユなら起こせると僕は信じていた。
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