砂の城
9-1 残酷な遊び
隣町についた頃には夜が明け始め、さっきまで星が見えていた空に雲が浮いているのが見えた。あたりはまだ静まり返っていたが、それでもやがて来る街の喧騒を予感させる息遣いが霊魂のように満ちているのが感じられ、僕の心はざわめいた。
僕はなんとかしてこの瞬間を長く保たせたかったけれど、そう考えている間に朝が夜を蹴散らして広がって行く。先ほどまでは暗がりで見えていなかった街の建物が照らし出され、差し込む陽がまぶしくて目を細めた。
まばらに歩く人の姿まで見えるようになったかと思うと、次の瞬間にはがやがやとした人声に飲み込まれた。どんどん時間が過ぎていく。惜しいと思えば思うほど、すくい上げた手からさらさらとこぼれ落ちる砂のように、時間はなんの優しさも見せずに容赦なく消えさって振り返るしかない過去の中に安住してしまった。
どうしてこんなにも時間が経つのが早いのだろう。誰かが時計の針で遊んでいる。ぐるぐる回して僕らが慌てるのを面白がって見ているに違いない。残酷な遊びだ。僕らはどうすることもできないのか。
「専用車両があるはずよ」
駅舎が見えてくるとソレイユが言った。シレーナの町よりも華やかで人も多い隣町にある駅舎はまるで城のように豪華な凝った造りの建物で、そびえるような太い柱が威圧的に僕らを見下ろした。
「専用?」僕はソレイユの腰に手を回して引き寄せた。
細いなと思った。抱き寄せるたびに細く頼りなげになるようだった。そんなことはないのに彼女も時間と共に体が消えてなくなりはしまいかと不安になる。どうしてこんなに細いのだろう。
「そう。病者専用の車両が最後部にあるはずなの」
彼女は頭を僕の肩に当てた。
「そこまででいい。あとはひとりで行くから」
「ダメだ」
「もう十分だから」ソレイユは顔を上げた。
「なん駅が乗って――二時間くらいだったかな。それで、駅から療養所に連絡すれば迎えの車が来るはずなの。そこからまた少しかかるみたいだけど」
「迎えの車って」あの死体を乗せる窓のない――?
「さぁ、どうでしょうね。そうかもしれない。分からない。来てのお楽しみ」
「僕は療養所まで行くよ」
それでね、と僕は彼女の顔を覗き込んだ。頬に手を添える。
「療養所で働けばいいんだよ。いるはずだろ、看護や世話をしている人が。雑用でもなんでもするさ。今までだって教会でずっとそうして過ごしてたんだし」
掃除も得意だし体力もある。療養所には善意で集まったシスターや地元民で採用された人たちが幾人かいて働いていると聞いていた。多くはないが確かにいるはずだ。僕はソレイユと離れる気なんて全くなかった。
「バカね、感染症なのよ。私からだって早く離れたほうがいい」
彼女は頬に触れていた手をぞんざいにはぎ取った。
「もう帰って」
「感染率は低いって自分で言ってたじゃないか」
僕は顔を近づけた。
「それにうつるんなら早くうつしてほしい」
言うと彼女にキスした。ソレイユは嫌がって顔をそむけたが追いかけて眉間やまぶた、鼻や唇。あごから首にもキスした。足を踏まれてやっと離れたけど腕は彼女を捕まえたままでいた。
「やめてよ。バカじゃないの」
ソレイユは目をこすると腕の中から抜け出した。
「ほんとにバカ。最低」
怒っていた。おかしくなるくらい怒っている。かわいいと思った。でも口に出すとさらに怒って肩を殴られた。それからまた足を踏む。それでも、手は握ってくれて僕をひっぱり駅まで歩いた。
「普通車両に乗ればいいよ。何も自分から――」
「病者だってアピールしなくても?」
僕はうなずいた。
「でも決まりだから」
ソレイユの言葉に僕は笑った。
「決まりだからだって? いつもはそんなの無視して生活してたじゃないか。うるさいこと言われるのが嫌なんだろ。君は自由が好きなんだ」
「私はいつも真面目に暮らしてたけど」ソレイユは不機嫌に言った。
「どうしても専用車両に乗るなら、僕もいっしょにそこに座るから」
「あなたは違うでしょ」
「違わない。もうすぐ発病するかもしれない」
「ルギウス」ソレイユは声を荒げると立ち止まった。
「不治の病なのよ。冗談でもよして。あなたは違うったら」
「どうしてさ。僕の方がふさわしいのに。僕がドラゴンだ」
「ドラゴンだ」ともう一度言った。声が周囲に響いてあたりにいた人たちが数人こちらに目をやる。もう続々と人が駅舎には集まり始めていた。
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