9-2 ホーム

「ルギウス」ソレイユは声を押さえながらも鋭く言った。

「やめて。何されるか分からないのよ。病者だと勘違いされたらどうするの」

 僕は息を吸い込んだ。

「ルギウス。困らせないで」


「勘違いだったらいいのに」

 僕はつぶやいた。

「ソレイユ……、間違いじゃないのか。君がなんて信じられない」


「もうその話はやめてよ」

 ソレイユはぴしゃりと言うと、背を向けて歩き始めた。

「主治医に診てもらった。もう何回も。嘘じゃないの」

 唐突に足を止めると振り返り、僕をにらみつける。

「言ったでしょ。受け入れられないんなら帰って」


「でも……」


 まだ混乱状態の僕にソレイユはため息をつく。いらいらとした顔で歯をくいしばり、それから僕を突き飛ばした。


「あなたがまだ信じられないのは分かる。だって昨日知ったばかりなんだもの。でも私はずっと考えてきた。何が起こったのか。現実はどうなってるのか。この数か月、地下にこもってそればかり考えてた。真っ暗で息苦しい中、ずっと」


 ソレイユは肩で大きく息をすると、キッとなって周囲に目をやった。面白がって歩みを遅らせていた人たちが、予定を思い出したというように足早に立ち去る。


「分かる?」とソレイユ。僕は黙っていた。

「私はもう覚悟が出来てるの。ちゃんと現実をみて対処しようとしてる。でもあなたは邪魔ばかりする。それがどれだけ酷いことか分からないの?」


 だから信じられないなら帰ってよ。声を落としながらも叫ぶような必死な声音。ソレイユは涙をこらえていた。好奇心に満ちた視線が時折僕らに向けられるが、忙しない足取りと共に流れては何事もなかったように通り過ぎる。


「私はもう今までのソレイユではないの。あなたが好きだった私はいないの、死んだのよ。理解できないんなら私のことは忘れて、違う人を愛してよ。辛いのが分からないの。いいかげんにしてよ」


「僕は……」


 なんて言える。ソレイユはソレイユだ。僕がずっと愛してきた女の子だ。小さい頃からずっと彼女だけを追いかけてきた。認めてもらいたくて。ずっとそばにいたくて。ひとりになりたくなかった。ソレイユさえいてくれれば幸せだった。


 どうしてだろう。僕の周りにいる人はみんな不幸になる。どうして……、ああそうか、と苦笑した。僕がドラゴンだからだった。邪悪なドラゴン。


 ケタケタケタ。


 笑い声が聞こえる。そう、お前がいたんだったな。

 忘れるわけない。安心しろ。


「ソレイユ、嫌わないで……」

 ごめんね、ソレイユ。僕のせいで君が不幸になる。全部僕のせいなんだ。

「ルギウス……」


 嫌いなわけないでしょ。そう言ってソレイユは僕を抱きしめてくれた。そっと軽く。僕らは手をつないでホームまで歩いた。まるで幼子の手を引くようにソレイユは僕の手を引いて前を歩く。滑稽な姿だったかもしれない。どちらも涙ぐみ、うつむきながら足早に進んだ。


 線路前には人がごった返していたが汽車の姿はまだなかった。ソレイユは奥へとさらに進もうとしたが、僕は中央あたりで足を止め、振り返る彼女を抱き寄せた。ちらっと数人こちらを見、顔をしかめたり、にやついたりする。


「離してよ、分かったから。一般車両に乗るから……」


 ソレイユが囁くと僕は腕の力を緩めた。ソレイユは少しだけ体を離したが、触れ合ったままだった。僕の上着の背を掴み、顔を隠すように胸に寄り添った。


 しばらく待っていると汽笛をあげて列車がホームに入ってきた。黒々とした車体は轟音を立てて止まると白い煙を噴き上げた。ぞっとした。脳裏にドラゴンが浮かんだ。あの絵本のドラゴン。久しぶりに白黒の絵を思い出した。大好きだったお気に入りの絵。ずっと見ては胸を高鳴らせていた。


 そうか、あの頃から邪悪だったんだな。ケタケタケタ。ああ、お前はいたんだな。知らなかったよ。ケタケタケタ。


 人が飲み込まれる。僕らも同じように流れに身を任せた。次々と食べていく邪悪なドラゴンはやがて満足げなため息をつくと体を揺らし、ゆっくりと歩き始めた。次の獲物を見つけに行くのだろう。ガタガタと振動が伝わってくる。


 僕らはぐちゃぐちゃに混ぜられ押されながらも席を見つけて座った。ソレイユはフードを深く被り、僕は彼女を抱きしめ、頭に手を置いて守った。文句を言いたげな視線を感じたが足元を見てやり過ごした。どうだっていい。ソレイユ以外は。 

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