12-5 退治したもの

 なぜ手紙が療養所から届いていると知られたのか。内容を読んでも分からないはずだった。何度かロンイル宛てに直接送ったことがあるが、そのときに気づかれたのだろうか。


 ソレイユの送ってくれた手紙は他愛のないものばかりだった。病気を示すものはなく、開かれた行事のこと、毎日楽しんでいること、窓から見える風景、友達とのうわさ話やちょっとした小競り合い。


 恋文ともいえなかった。僕に特別な愛情を向けている言葉もない。あっさりしていて読まれたからといって恥ずかしがることも照れることも、困ることだってなかった。でも燃えてしまった。内容は関係ない。彼らにとっても、そして僕にとっても。


 兵舎に戻っても咎められることはなく、周りからちらちらと視線を向けられたが、それだけだった。明日出発ということもあって面倒はさけたかったのかもしれない。


 ムンムと僕は早めに就寝した。硬いマットレスが背中に当たる。寝返りをうつたびに鉄製のベッドが甲高い金属音をギィギィ鳴らした。ネジが緩んでいるのかも知れない。明日は別の場所で寝る。今夜我慢するだけだ。


 まるでドラゴンの悲鳴のようだなと思いながら、それを子守り歌に僕は眠った。ムンムの屈託のない笑顔が浮かび、ゲラゲラと笑う奴らの声と顔がくるくると回転しながらまぶたの裏に蘇った。


 ソレイユの顔を思い浮かべようとして、どこかでセーブがかかる。眠れない。起き上がって少し歩いてこようかと考えているうちに、雨が降りだす音が聞こえてきた。ここでの雨は激しい。突然、降り始めたかと思うと、あっというまに蛇口をひねったようにどうどうとした滝のような音になる。


 ソレイユ、ソレイユ。僕は記憶を辿った。小さい頃、出会ったばかりの頃。ソレイユ……、大好きなソレイユ……


 花畑にいた。黄色い花、たんぽぽだろうか。他にも一重の花やぽんぽんの形をした花が咲いている。風が吹いて薄紅色の花びらが舞っていった。草花を踏み付けないように、わずかに見える隙見に足を踏み入れて進んだ。ひざ丈ほどの高さで咲いている花々たちに、甘い匂いが空気を満たす。


 遠くに誰かがいた。麦わら帽子が見える。座っているらしい。花々に囲まれて、ひょこひょこと帽子が見え隠れするのは、うさぎが跳ねているようだ。僕は驚かさないように、ひっそりとゆっくり歩を進めた。


 近づくにつれて見慣れた麦わら帽子だと分かった。鼓動が早くなる。踏み分けて慎重に歩いていた足がぞんざいになる。草花をいくつか踏んだ。だんだんと駆け足になると、その子がくるりと振り向いた。


「ソレイユ」


 彼女は微笑んだ。帽子に片手を添え、もう片方に草花の花束を持っている。少し幼いか。そう思った瞬間には頬の丸みが細くなり、体が優雅にしなやかな線を描いて成長した。


「ソレイユ」


 足の力が抜けて、崩れ落ちるように僕は彼女のそばに座った。目の前にいる。僕を見てにこりと微笑む。手を伸ばした。頬に触れたくて。でもさっと風が吹き抜けてソレイユの帽子が飛んだ。それを目で追い、再び彼女に視線を戻して、僕はどきりとした。眉がなかった。


「ソレイユ」


 自分の伸ばした手が震えている。でも、そのまま伸ばして彼女の額に触れようとした。わずかに悲しげな眼差し。触れる……そう思ったときに日が陰った。あたりが薄暗くなる。びゅうびゅうと風が吹いて、咲き誇っていた周囲の花々を容赦なく散らしていく。


 ぐにゃりとソレイユの顔が溶けた。始めは鼻から。唇と顎に目がいったところで、顔全体が消えた。どろりとした液状になり、焦げ茶色の髪がぼとりぼとりと束で抜けていく。僕は手を引っ込めてのけぞった。立ち上がろうとしたが力が入らず、腕だけでわずかに後ろに下がる。


「ル、ギウス……」


 声。ソレイユの声。這い下がろうとしていたが、慌てて前に体を倒す。手を伸ばした。ソレイユ、ソレイユ。ああ、でもダメだ。とけていく。ひとつの大きな泥の塊のようになっていく。口の部分だろうか、一部がぽっかり空いている。そこからシュウシュウと空気が洩れている。


「うぅぎ、うす」


 唸り声のような音。低い、地の底から聞こえるような響き。悪臭がした。吐きけがして口を押える。こちらに手だろうか、どろどろと滴り落ちる液体、悪臭を放つ液体をまき散らしながら、僕を掴むように伸びてきた。


 僕は必死で立ち上がると一度尻もちをつき、それから二度三度と失敗しながらなんとか足を踏ん張って立ち上がると、それを見下ろした。どろどろの塊が上を向いたような気がした。目があるのだろうか。先ほどまで口だと思っていた穴も見えなくなってしまった。


「うぅぎ、う、す」


 気味の悪い声がする。こいつが発しているのだろうか。なんて邪悪な存在だろう。おぞましい。悪臭に目までちかちかと痛んでくる。ここから逃げ出そう。そう思ったとき、右手に重さを感じた。見ると立派な剣を握っていた。


 銀色の刃が凛々しく光る。つるりとした刃の滑らかな輝き。鋭いとがった刃先に勇気が湧いて来る。倒せる。僕は両手で剣を握りなおし、高々と振り上げた。


「うぎ……、う、す」

 忘れないで。

「うぅ……、す」


 ざくりという音で目を覚ました。手ごたえの感触が残っている。全身が湿っていた。汗をかいたらしい。寒気がした。外からは大量の雨が降る濁流のような音がする。まだ夜なのだろうか。あたりは暗い。何も見えない。


 大きく息をつき、それから何を斬ったのか理解した。震える。耳の中で声が聞こえる。あいつの笑い声と混じって。


 ルギウス……、ケタケタケタ。ルギウス。ケタケタケタ……

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