13-2 脱走兵

 初めにその男を知ったのは噂話でだった。「脱走兵がいるぞ」というもので、下級兵士たちの間では一時、その話ばかりでうるさいくらいだった。


 男が脱走兵だといわれたのには、彼の態度が影響していた。右足が不自由なのか、ひょこひょことした歩き方をし、髭を長く伸ばしていたが、それでも現地民とは違う顔立ちは見てとれた。


 食堂では裏方仕事をしていたようだが、込み合ってくると表に出てきて料理を運んでくることがある。そのときの態度がさらに怪しかった。とにかく人目を気にしていた。こそこそと何かを隠しているのが、気にしなくても目につき、上目遣いで人を見てきたかと思えば、目が合うとすぐにそらした。


 彼に興味を覚えた兵士が声をかけても、無視するか、うなづく程度で愛想がない。卑屈で隠れたがっている様子なのだが、それでいてこちらを気にする素振りもする。確かに脱走兵だと疑われてもおかしくない男だった。


 それでも兵士が出入りする食堂で働いている男が脱走兵なわけがなく、除隊した者でそのまま内地に帰らずにいるだけだろうという話で、わずかに盛り上がりを見せた噂は拍子抜けするほど、あっさりと落ち着いた。


 僕も噂の元だという関心くらいだったのだが、わずかに興味は持った。しかし、街での滞在が長引くにつれて、噂自体が終息したのとは反対に、僕の興味は増していった。


 似ているところはない。ただ、それでも僕には嗅ぎ取れたものがあった。男が店の裏側にいるところを見かけたとき、僕は思いきって彼に声をかけた。彼は酒瓶を木箱に詰めていたようだったが、僕の声に驚き、体が大きく跳ねたほどだった。


「どうも」と僕は言った。


 いざ、面と向かうと言葉が出ないものだ。恥じらうようにもじもじとしてしまい、そのうち男の方が僕への関心が薄れたのか、無視して作業に戻り始めた。


「あの、あなたは王国民ですよね。怪我をされたんですか」


 相手はちらともこちらを見なかった。僕はやや近づいて、「足が悪いんですか」と再度、言葉を変えて訊ねた。男は僕よりもうんと年上だと思っていたのだが、間近で見る顔は髭に隠れがちだとはいえ、若々しく、どうやらさほど僕と歳が離れている様子ではなかった。


「僕には叔父がいたんです」


 言葉に対して、だからどうした、というような視線を向けてくる。それでも反応を示してくれたことに勢いがつき、僕はぺらぺらと言葉を並べた。


「何がどうというわけじゃないんですけど。あなたと叔父が似ているような気がして、それで声をかけたくなったんです。叔父とはずっと前に別れたきりなんですが、父親代わりみたいなものでして」


 男はこちらに背を向けていたが、それでも聞き耳は立てている気がした。僕は話を続けた。


「両親がいないんですよ、僕。兄弟もみんな死んでしまって。それで叔父だけが親類なんです」僕はわずかに迷ってから、「叔父は病気だったんですよ。ずっと知らなかったんですけどね。ある時、突然――」とここまで言ったところで、男は勢いよく振り返った。


 その目は鋭く僕をにらみつける。僕は自分の勘が当たったことを確信した。


「あなたも?」とあいまいに問う。男は目を細めた。

「どこかへ突き出そうとか、そう思ってるわけじゃないんです。話がしたくて」


 僕は話がしたかった。気になったのだ。叔父のことを口にしたが、本当はソレイユのことが念頭にあった。


「あの……、もしそうなら、いつからでしょうか。具合はどんな風なんでしょう。麻痺とかが?」


 男は背を向けかけたが、気が変わったのかこちらを向き、それからあたりに視線を飛ばした。僕も目をやったが、誰もいる様子はなかった。念のため、上にも視線を向けたが、土汚れが目立つ屋根と濁ったような灰色の空が見えただけだった。


「叔父はロンイルに行きまして、それからどこかへ移ったそうなんです」

 僕は恐る恐るだったが切り出した。

「ロンイル――ラザレットがある島ですが、ご存知ですか?」


「何が言いたいんだ」


 会話にならないので、もしかしたら現地民で言葉が通じていないのだろうかと懸念していたのだが、その流暢な母国語を耳にして疑念は吹っ飛んだ。


「ええ、その。詳しく病状を知りたいんですよ。ほら、叔父は急にいなくなったもので、それまで病気とは知らなかったんです。手が、右手が悪かったようです。曲がっていたのでしょう」


 ずっと白い手袋をしていたんですよ、と言うと、男は軽くうなずいた。


「あなたは足が悪いのでは? もしかしたら――」

「ああ、ドラゴン病だ。俺は病者だ」


 男が言った。僕を魚を釣り上げたような高揚感を覚えた。


 

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