2-3 夢を語るソレイユ 932年5月(11歳)
ソレイユには夢があった。その日僕らは秘密基地にいて、草の上に敷いた絨毯に座ってくつろいでいた。僕は十一歳、ソレイユはもうすぐ十二歳を迎える初夏の頃だった。周囲には草花が楽しげに咲き、木の絡まって上空まで伸びるテイカカズラ――星を散りばめたようなたくさんの小さな花たちが満開を迎え、降るように僕らを見下ろしていた。
ソレイユも僕と同じで町の学校には通ってはいなかった。ただ彼女は家庭教師が二人もいて、歴史や数学、音楽や美術も習っていた。成績は優秀らしく、僕が聞いてもチンプンカンプンなことを平気で喋ったりして話がかみ合わないことがしょっちゅうあった。
それでも、ソレイユは勉強は好きではないと言っていた。優秀だからというのは好きになる理由にはならないようだ。授業は苦痛で、何も楽しくない、つまらないと愚痴ってばかりいた。
「私って、教えてもらうのが好きじゃないの」
ソレイユは寝ころぶと半分だけ目を閉じて言った。僕も横に腰を下ろしていたけれど、寝ころぶのは躊躇した。かわりに視線を上げ、雨風に汚れて黄色くなったテーブルクロスに浮かぶ複雑な模様を目でなぞった。
この頃も、僕らは秘密基地で毎日のように会っていたけれど、ソレイユがお屋敷を抜け出せるのはいつもまばらな時間で、僕は朝からずっと彼女を待って過ごしていた。一日待って、暗くなってやっと家に戻ることもあったが、叔父はそんな僕に対して、何の関心も示さなかった。
僕と叔父は同じ家には住んでいたけれど、別の次元に存在しているようなものだった。食事をいっしょにとることもまれで、おやすみやおはようのあいさつを交わすこともほとんどない。気配は感じながらも姿は見えない、そんな暮らし方で、気楽ではあったけれど、いつまでたっても変な緊張感が抜けず、家にいると落ち着かなかった。
ソレイユの両親も彼女に対して無関心だった。父親は仕事に忙しく、顔を合わすことは少ないと言っていた。母親も旅行ばかりしていて家には寄りつかず、使用人や家庭教師がいたけれど、親しげな会話をすることはなく、精神的にはいつもソレイユはひとりだった。
「自分でやりたいことを見つけて、それで勉強するの。与えられるんじゃなくて」
ソレイユがつぶやいた。僕は「ふうん」と何の気なしに答えた。
「私、都会に出てみたいな。こんな辺鄙な田舎じゃなくて」
僕はテーブルクロスから自分の爪に興味を移した。
ささくれが出来ていて、爪にはいつのまにか土が詰まっていた。
「私ね、洋服のデザインがしたいの」
「え?」
ソレイユはがばりと体を起こすと僕をにらみつけた。
「ちょっと、ちゃんと聞いて」
「うん、聞いてるよ、もちろん」
僕は両手を尻の下に押し込んだ。ソレイユは口の端を噛んで動かすと、短く不満げな息をつき、またごろんと寝そべった。今度は僕も横に同じように寝ころぶと彼女の顔があるのとは反対に顔を向けた。
ひらひらと黒いアゲハ蝶が泳ぐように草木の間を漂っていくのが見えた。体が重たそうで、頼りない儚げな動きに、僕は同情のような寂しい気持ちになった。アゲハは一匹だけで、周りには他に飛んでいる蝶もいなければ、トンボや蜂も見当たらなかった。
「あなたには夢がある?」
ぽつりと発せられた言葉に顔を向けると、ソレイユは目を閉じていて、眠っているように見えた。長いまつ毛が白い肌に影を作っている。
「な……、いよ」
「なに?」
「夢はない」
そのとき頭に浮かんでいたことを、ソレイユに話せるはずもなかった。相変わらず僕の願いは勇敢な騎士になることで、まだあの絵本の世界に囚われていた。
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