8-3 死のミサ

 ざわめきのような音がする。うるさいな。そう思って顔をあげると、ソレイユと神父が何かもめていた。ソレイユは哀願するように手を合わせ必死になっている。かわいそうに。大きな目が涙でいっぱいだ。どうして誰も助けてあげないんだろう。僕は不思議でならなかった。あんなに美しい人なのに。


 あれはハンナか。三人で言い争っている。僕は耳を塞いだ。頭が痛かった。でもケタケタケタと笑い声がしたので耳から手を離した。どうしていたって声がする。もめている三人を眺めていると全員必死の顔でおかしかった。


 まるで世界の終わりが来たみたい。僕はこっそり笑った。ハンナも最初は神父と一緒になってソレイユを説得しようとしていた。でも途中から彼女の側に回った。涙を流しながらきっぱりと言った。


「やるべきよ。しましょう」


 それで決まった。僕はドアに寄りかかって座っていた。神父に肩を叩かれ顔をあげると微笑まれた。目は悲しみに沈んでいたけれど。


「墓地の土がひと握り必要なんだ。とってきてくれるかい?」


 こくりとうなずいて僕はのそのそと移動した。体が重かった。空気がまとわりついて膜を張ったようだった。動くたびに粘度が増していくようで、喉の奥が締め付けられ内臓が潰れそうだ。外に出るドアが遠くて一生辿りつけそうになかった。


 暗い。どうしてこんなにも暗いのだろう。なんとかドアに手をかけると体が軋んだような気がした。耳が痛くてじんじんした。重いドアを開けるとぽっかりと暗闇が浮き上がってきて飲み込まれそうだった。


 足を踏み出し外へ出る。寒さは感じなかった。目的の場所まで歩いて、何も考えず墓地の地面に手を置いた。爪を立て、ひと掴みえぐりとる。黒い土は湿っていた。ひんやりとしてきて、ふっと空を見上げた。白い月があった。それから急に月が滲んで見えなくなった。不思議だった。


 礼拝堂に入ると準備が整っていた。壁や中央の祭壇に赤々とした蝋燭の火が灯り、周囲が夕焼け色に染まっていた。祭服を着込んだ神父が祈りを捧げている。僕は迷い込んだ蝙蝠のような気持ちになり、この場から逃げ出したくなった。


 神父が振り向いて僕を見つけた。ゆっくり近づいてくると微笑み、僕の手に視線をやって、重々しくうなずいた。彼は両手で僕の手を包むと、しばらくそうして温めるようにしていた。それから慎重な手つきで土を受けとる。


 彼はありがとうと言ったんだと思う。思い出せない。土で汚れた指に血が滲んでいた。それは憶えている。


 最前列の席に座った。初めて座る場所だった。見上げるとステンドグラスの絵があって、ああ、教会にいる、妙にそう実感した。邪悪。僕はここにいていいんだろうか。視界がゆがんだ。息が出来ない。


 出て行こう。そう考えて腰を上げたとき、奥の扉を開いてハンナとソレイユが入ってきた。ソレイユは黒いヴェールを着ていて顔が見えなかった。颯爽とした足取りで、いつものように振舞おうとしている。でも長い袖からのぞいた手は固く握られ、小刻みに震えていた。


 夢を見ているようだった。きれいな夢を。どこか洞窟にいて、ひっそりとした場所で僕は隠れて見ている。ひとりの若い女性がやってきて、黒幕を背にした祭壇の前に座った。顔を伏せるとヴェールが揺れた。蝋燭の灯りに照らされる姿に僕は魅了された。なんてきれいなんだろう。


 ハンナが僕の隣にやって来て、そっと肩に触れたときに夢が弾けた。

「見届けましょうね」

 僕はうなずいた。声が出ない。


 蝋燭の灯りが揺れる。空間全体に長い影が伸び、ゆらゆらと踊った。大きな万華鏡の中にいるようだ。黒と赤の万華鏡。


静まり返った中で神父の声が響く。


「我が友よ、これ汝がこの世で死せる者たるの印なり、されど最後の審判の日には、神により蘇らせ給え」


 ひと握りの墓場の土がソレイユの頭にかかる。ぱらぱらと落ち、彼女が立ち上がった。儀式は終わった。彼女は死んだ。現世の外で生きるために。

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