8-2 お前を離さない

―― ルギウス


 深夜窓を叩く音で目が覚めた。底冷えする頭が痛くなるような寒さだった。体は起こしたものの、まだ思考はまどろんでいて、窓の外に立つ姿を目にしてもすぐには反応できなかった。ぼんやりとしたまま目を瞬いた。


「ソレイユ?」


 窓に手をかけると開いた隙間から彼女の腕が滑り込んできた。僕の首にしがみつきガタガタと震える。


「ルギウス……ルギウス……」 


 抱えて窓から部屋へ引きずりあげた。髪に雪がついている。いつから外にいたんだろう。彼女が体に巻き付けていた毛布も固まったように冷たい。僕は急いで自分のベッドから毛布をとってくると彼女を包みぎゅっと抱きしめては体をさすった。


「なんで、どうして」


 訳が分からなかった。ソレイユは泣き始めてしまって話すことが出来なかった。僕にしがみつきながらずっと震えている。


「熱いお茶を入れてこようか? 食堂に行けば暖炉があるけど」

「……いい。ここにいて。このままで……」


 彼女はいつまでも冷たくて震えている。どうしたらいい。どうしたらいいんだ。分からなくて顔中にキスした。頬をさすって息をかけて抱きしめた。薄暗い部屋で月は雲に隠れていた。


「耐えられない……」

「え?」


 ソレイユは涙を拭って首を振った。それから前髪をかきあげると僕を見上げてじっと目を合わせた。風が吹いたのだろうか。雲が流れて月光が部屋に差し込んだ。淡く照らされた彼女の顔に僕は印を見つけた。


「私……、ドラゴン病なの」


 片方の眉がなかった。抜けてしまったのだ。首には広がった斑紋がある。でもそれだけだ。他は美しいソレイユのままだ。


「ずっと家にいたの。地下に」

 ソレイユの表情が崩れて、ぼろぼろと涙があふれる。

「ママに閉じ込められてたの。世間に知られたらお終いだって。ずっと隠れてたの。ずっと、ずっと」


 うそだ。僕は世界が反転したように感じた。


「でも、もう限界。陽の下に出たい。おかしくなる」


 逃げてきたの。彼女は絞り出すようにして言うと僕にしがみついて、それからしばらく泣きじゃくった。僕は涙もでなかった。何も考えられなかった。何も。何が起こっているのか分からなかった。ソレイユが泣いている。ソレイユが。


「私、療養所に行く。ロンイルのラザレットに入ったほうがましだもの。パパやママには悪いけど、もう限界なの。黙って行くつもり。だから、あなたにもお別れを言いに来たの」


「ルギウス」と呼ばれてはっとした。

「最後にミサをしてほしいの」

「ミサ?」


 ぼんやりと聞き返した。遠くから声が聞こえるような気がした。まるで湖の中に突き落とされて、そこから天の声を聞いているような。


「死のミサ」

 ソレイユは笑った。涙でいっぱいの顔で。

「神父さんとハンナを起こしても大丈夫かな。二人なら許してくれるよね」 


 僕に何が言えたろう。もう思考は停止していた。彼女に言われるまま二人を起こしに行った。二人とも僕がおかしくなったと思ったに違いない。夢遊病者のように歩き、ただ同じ言葉を繰り返した。


「来てほしいんだ。ソレイユが呼んでるから」


 二人は僕の部屋に来て、やっと事情を理解した。ハンナがソレイユを抱きしめると、彼女は声をあげて泣いた。神父もよろめいて戸口の壁に手をかけた。振り向いた僕と目が合うと言った。「すまない」


 なぜ彼が謝ったのか今でも分からない。僕の聞き違いだったのかもしれない。もう何も考えられなかったから。耳元で誰かが笑っていた。ケタケタケタ。その声が脳内で響いて僕を愛撫していた。誰だ、誰だろう。声がする。声が……


――邪悪、邪悪、邪悪。お前を離さないぞ。ケタケタケタ……


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