10-6 微かな希望

「希望を託すとしたら、治療薬の開発でしょうね。長年、それも人類史と同じくしてこの病は存在してきた。業病だの呪いだの、穢れの証だのと罵られ、迫害されてきた。原因は不明で、こんなにも忌み嫌われた病は他にないと思うわ」

 

 それでも、と僕に言葉が沁み込んでいくことを期待するように身を乗り出すと、ゆっくりと言葉を続けた。


「医療は進歩している。ただの呪いだなんて言って見放したりはしてない。研究を重ねて、細菌による感染症だと分かった。これは大きな一歩なのよ。これからより一層研究していけば、必ず治療薬も発見できるはず」


「いつですか」

 僕の声は上ずっていた。女医は手で制すような仕草をする。

「時間はかかる。でも努力は続けてる。あなたは戦争をどう思って?」


 話題の変化に戸惑う。そのまま言葉を出せずにいると、相手は微笑した。


「私が言いたいのはね、戦争は医療に関していうと必ずしも貢献してくれないということよ。ドラゴン病は世界的に蔓延っている病で、どの国にも研究者がいる、もちろん患者もいる。患者数は他の感染症に比べると少ないけれど、制圧したかと思えば発症することを長らく繰り返してきた」


 感染経路は詳しくは分かっていない。発病の条件も。


「各国が情報を共有して、研究に力を注げば、やがていい結果が生み出せるかもしれない。でも戦時下だと情報が満足に届かないでしょう。分かるかしら?」


「つまり戦争が終わればいいんですね」


 相手は目をぱちりとしただけで何も言わなかった。僕はソレイユのことを考え、それから医者の言ったことを考えた。


「僕ひとりで何が出来るとも思えないけど」


 それでも嘆いているよりはいいのかもしれない。町に帰ってどうする。ソレイユはいない。ここにもいられない。彼女は望んでいないし、連れだすことも出来ない。でも何かしたい。しなくちゃいけない。


「お騒がせしました。また来ます」


 僕は言うと立ち上がり、医者と握手した。がさついた手で少し驚いてしまった。忙しく働いているのだろう。目じりの皺に親しみを覚えた。


 裏口から出ると職員用の桟橋に下りる坂が目の前に伸びていた。広めでちゃんと舗装されており、大きな荷物も運び入れるのにも不自由がなさそうだった。右奥に何か別の建物が視界に入ったが、それがなんなのかは見た目では分からなかった。周りを高く伸びた生垣に囲まれていたのでよくは見えなかったが、新しそうな建物で窓には鉄格子がはまっているように見えた。


 そこが精神病棟だと知るのはずっと先だ。ここでは気が狂う患者が多い。病のためか、それとも別の要因か。もともと不安定な患者が島に来ることも多いようだったが、それだけが理由ではないだろう。


 日が暮れ始めていて薄暗くなる前に船に乗り込めてよかった。来る時よりもしっかりとした造りの船だったが、それでも速度が変わるわけでもなく、遠ざかる島を見るのが辛くて目を伏せていた。


 どこかでソレイユが手を振ってるんじゃないかと思えて、何度か振り返った。茂る緑の山と、中央にそびえる煙突があるだけ。黒い煙が昇り、空に溶けていく。気味の悪い光景だ。泳いででも引き返したくなり、木枠を掴んで我慢した。ソレイユは大丈夫なはずだと言い聞かせる。


 手紙を出そう。また会いに来よう。そう遠くない間をおいてまた会えると思っていた。ソレイユと離れることを惜しみながら、島自体を出られたことにはほっと息をついてもいた。


 一度大きく船が揺れ、水面が迫るほど斜めに傾いた。ぐらりと転がるように元に戻り、いっしょに乗っていた男が悪態をつく。彼は地元民らしく、週に何度か療養所の仕事をしているらしい。


「もとは食堂をやってたんだがね」男は僕に親しげに言った。

「でもね、こんな場所だろう。向かいにあんなもんがあっちゃ、誰も飯なんて食いに来ないわけだ。病気がうつるってね。いやんなるよ、俺までドラゴン扱いだもんな。俺はずっとここに住んでるってのによ」


 地元民だと聞いたときに、ふと島近くで働けるかもしれないと思ったのだが、どうやら無理なようだ。雇用がなく、この男も仕方なく生活のため療養所に出入りしているらしい。


 まあ、いいさ。僕は無理やりだったが気持ちを前向きにしようと奮い立たせた。軍に入るつもりだった。努力しだいで今よりはまともな地位が得られるかもしれない。なんでもいい、居候暮らしよりはマシだろう。


 この頃はまだ戦況も悪くなかった。あと数年で戦争も終わり、こちらが勝つと思っていた。立派に何かをやり遂げれば、ソレイユが喜んでくれる。なぜかそう考えて、彼女を迎えに行く日を楽しみにしていた。そんな日がこないなどとは、これっぽっちも思わずに。また会える。僕は信じて疑わなかった。

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