第四章

戦場

11-1 入営

 ソレイユのいないシレーナの町はすっかり色あせて見えたけれど、人々の暮らしぶりは相変わらずで、ひどく平凡で退屈な日常が続いていた。教会に戻っても、ソレイユのことはあまり話さなかった。ただ無事に到着したとだけ伝え、しばらくしたら彼女の父親が面会に行く予定だと聞かされて終わった。


 ソレイユはすでに街を出たことになっている。だから、ハーゼンズ家の混乱は外に漏れ出ることもなく、誰も何も気づいている様子はない。それがまた僕をいら立たせるのが、だからと言って同情してもらいたいというのとも違った。


 兵営では年末年始に休暇があるのだが、その期間に実家に戻るふりをして逃げ出す兵が多いらしい。僕はその慌ただしさに紛れるようにして軍に入った。ハンナや神父の反対はなかった。


 どうせ入営時期が一年早まるだけだ。役場で〈現役兵証書〉を貰い、在郷軍人に連れられて連隊区の兵営に行った。そこで身体検査を受け、そのまま入営。体格はB級第一になるだろうと思っていたが、結果はA級で、立ち会っていたひげ面の士官にずいぶん喜ばれた。


 背中を叩かれ、気味悪いほどにこやかな顔で褒められたわけだが、まったく誇らしくはなく気が滅入った。それでもソレイユが聞けば、少しは見直してくれるだろうかと思い、どうか分からないにせよ、そう考えると嬉しかった。


 もともと何事もソレイユに絡めて考える性質だったが、離れてからはそれに拍車がかかり、ある部分では冷静だったのだが、残りは狂ったように彼女の事ばかり考えるようになった。たとえばアゲハ蝶を見つければソレイユに頭の中で話しかけ、珍しい花が咲いていれば植物図鑑など引っ張り出して名前を調べたりした。


 ソレイユはいつも僕に微笑んで答えてくれるわけだが、もちろんこちらの都合のいい空想でしかない。分かっていたがやめられず、心の中ではなく実際に口に出して話しかけそうになったり、誰もいないのに手を伸ばして頭を撫でるような仕草をしてしまう。


 もしソレイユを失っていたのなら、それでもよかったのかもしれない。そうやって慰められるというのならいいじゃないか。でも、実際はまだソレイユはロンイルにいて、会いに行こうと思えばすぐにでもできたはずだ。


 僕はそれをしなかった。手紙すら出さなかった。表向きは兵営では出入りする手紙は必要に応じて検閲されるため、療養所に送っているのを知られたくなかったからだったが、ハンナを経由してだって送れたわけだし、そもそもロンイルに出そうが、誰に出そうが気にせずに手紙を出せばよかったのだ。


 それを僕は臆病にも恐れ、また何を書いたらいいのか分からないという言い訳とともに黙殺していた。ただ空想で彼女に話しかけ、都合のいい返事をもらっては気を紛らわせて喜んでいた。


 兵営での暮らしぶりは思っていたほどひどくはなかった。確かに逃げ出す人はいたし、夜には毛布に包まって泣いているやつもいたのだが、僕はそのへんは吹っ切れていたのか、こんなもんだろうと割と平気でいられた。


 僕が入ったのは歩兵第五八連隊で、広い敷地には二階建てか平屋の木造建築が各種の設備に分けられて向かい合うようにして建ち並んでいた。中央には営庭があり、少し離れた場所には煉瓦造りの連隊本部の建物が見える。


 ほとんどの建物が兵舎で曹長や下士官には個室が与えられたが、僕ら初年兵と二年兵は二十人前後で班を作り、一つの部屋で共に寝起きした。ベッドが壁際にずらりと並んでいるのだが、寝返りを打てるようなスペースはなく、まっすぐな姿勢で横になれるだけしかない。


 足元には天井に向かって作り棚が備え付けてあった。そこに衣服や持ち物を全部しまうのだが、その整頓の仕方まで細かく指示された。いちいち点呼や確認、挨拶が必要で面倒でならなかったし、部屋の壁には歩兵銃がずらりと立てかけてあるのには気づまりを覚えた。


 それでいて兵舎に設えた花壇の手入れも使役のうちで、水やりや雑草抜きにも精を出し、敷地内にある雑貨店の店番もしなければならないのには、いったい自分は何をしているのだろうかという気にさせられた。


 洗濯や布団の干し方といったことまで細かく決まりがあり、無駄に思えるルールに縛り付けられながら、教育というよりはただ雑用に追われる毎日で、初年兵と二年兵という枠組みの中で理不尽な目にも遭った。


 同年入隊でも年齢はまちまちで、中には学生だったため徴兵延期を受けていた人もいる。志願して十五、六で入った者と十近く離れているにもかかわらず、先輩後輩という間柄をたてに、言葉遣いがなってないなどと言いがかりをつけられ、あちこちで私的制裁を受けている。


 他にもいじめがひどく、禁止しているにもかかわらず書面の中だけのことで、殴られたり、動物の鳴きまねなどさせられたりで〈学科〉などと呼んで、二年兵の当然の権利となっていた。


 僕もいろいろと訳の分からない目に遭いはしたが、反応が面白くないらしく、ほとんどは放っておかれた。戦時中ということもあり、気弱で病弱そうな子も入営しており、そういった子がいいおもちゃになっていたようだ。

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