13-6 離脱
ムンムが助けてくれたのだ。彼は僕を追ってきていた。その必要もないのに。ムンムはぼさっとしている僕の腕を掴むと、腹の傷に気づき、目をひん剥いた。それから、僕にこれ以上血が出ないように両手で押さえろと身振りで示すと、身を屈めさせ、覆いかぶさるような姿勢を取った。
彼は頬の擦り傷だけのようだった。僕を抱えるようにして引きずりながら、手で傷口を押さえて止血しようとしてくれた。何度か目の前で弾薬が弾けたが、それ以上負傷することはなかった。
「おい、耳は聞こえてんのか」
「ああ……、なんとか」
ややあって、遠くから聞こえるようだったが彼の声が聞き取れた。敵機はしつこく、もう止んでもいい頃合いなのに、いつまでたっても爆撃をやめようとはしなかった。残った爆薬を始末しようと躍起になっているようにさえ感じる。
「血だけみたいだな。よかったな、ソーセージを作る必要はないぜ」
「スープは出来そうだけど」
もとはなんだったか分からない瓦礫の陰に身を寄せることが出来た。ムンムは座るとすぐにシャツを脱ぎ、僕の腹にぐるぐると巻き付けた。
「きっつ」
「緩かったら意味ねぇだろ」
止血法を習っていたはずだが、いざとなると混乱する。ああだ、こうだと言い合いながら滲んでくる血にムンムは動転し始めた。
「おい、しっかりしろよ。軍医呼んでこようか」
「まだ無理だよ。いいって。案外平気だよ。痛くないんだ」
なんでいるんだよ。軽口をたたくと、頭をぽかりと殴られた。
「お前があらぬ方向へ走って行くからだろ。突撃隊か」
「そう、悪かった。逃げたくなくて」
言ってぽろっと涙がこぼれた。バカみたいだ。逃げてる。僕は逃げていた。
「いや、もう分かんないや」
自分がどうしたいのか。何をすればいいのか分からなかった。ソレイユが浮かび、ロンイルでのことが蘇り、あの脱走者の男が言った言葉が耳に聞こえた。ソレイユはどうしているのだろう。怖かった。最後に見た彼女の背中を思い出した。こちらを向いてはくれなかった背を。行ってしまった、消えてしまった、ソレイユ。
先生、あなたはどう思うだろうか。僕はここで帰国して、ソレイユに会いにロンイルに行くべきだったのだろうか。負傷兵として内地に送られることは容易いことだったのかもしれない。ここでそう決めていれば、数か月後にはソレイユに会えていたんじゃないだろうか。
六月だった。九四一年の六月十五日。まだ間に合ったのかもしれない。カチリ、カチリと運命の針が動いているのなら、ここが巻き戻すチャンスだったのか。負傷はその印、チャンスがあるとのメッセージだったのかも。
でも僕はそんな印に気づくことはなかった。ムンムとくだらないことを喋っては気を紛らわせていた。ソレイユ、もし、君が僕を呼んでいてくれたらと思う。声が聞こえたかもしれない。いや、よそう。君のせいにしちゃいけない。全部、僕の愚かさのせいなのだから。
それに、ソレイユは呼んでいてくれたのかもしれない。ただ、僕が気づかなかっただけだ。君の助けを呼ぶ声に、僕は耳を塞いでいたのだ。
僕は本隊と別れて入院した。ムンムとも、さよならだった。彼は担架に乗せられた僕ににやりと笑い、「おう、また前線でな」と言った。僕は痛みが出始めていたから声は出せず、ただ瞬きをして、軽く微笑んだ。
それで伝わったと思う。ムンムはまたにやりと笑い、「いいってことよ」と言って、あの人のいい笑みで見送ってくれた。他にも手を振ってくれた隊員が自分が思っていたよりも多くいて驚いた。
ひとりひとり、今でも顔を思い出せる。名前も、年齢も。家族構成も分かる。あまり話していなかったようで、こうして振り返るとたくさんの時間をいっしょに過ごしていたんだということが遅れてきた実感として思い出される。
過去。いつも僕は過去を振り返っては、そこでやっと自分が恵まれていたんだと知る。だからこそ、いまこの一瞬を大切にしなければならないのかもしれない。先生、僕はあなたにも感謝している。本当だ。あなたの勧めがなかったら、僕はただ記憶を自己の楽しみのためにしか使わなかっただろう。
こうして、あなたに知ってもらえることが嬉しい。ソレイユがいたこと。ムンム、他の戦友。僕が見たもの、感じたもの、出会った人、街、植物や動物。それらが僕に与えてくれたもの、救ってくれたこと、かけがえのない記憶。
そういうすべてをあなたに知ってもらいたい。僕が生きてきた意味があるとするならば、きっと、こういうことをあなたに伝えるためだったんじゃないかと思うんだ。もし、頼めるのなら、このノートをハンナに届けてほしい。彼女にも知ってもらいたいから。
でも、無理にとは言いません。戦況の厳しさは充分、分かっているので。先生、あなたはどうか無事でいて下さい。何より、今はそのことを願っています。
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