14-1 先生

 近場の野戦病院に送られたあとも、転院を何度かして戦闘とは遠ざかっていった。僕の怪我は思ったほどひどくなかったのだが、体力の低下で熱病にかかってしまい、数か月は意識が朦朧としていたので記憶が定かではない。


 回復して部隊のあとを追うことになったが、これもまた途中で怪我をして病院に後戻り。再復帰して移動するが、作戦変更などでスンダランドを北へ南へと転々とした。その間にも、また熱病や怪我を繰り返す。


 それでも僕は健康……というと違うのかもしれないが、丈夫な性質で、どの部位も欠損することなく、また熱病による障害が出ることもなく、体力はそのたびに落ちてはいくものの、兵として十分に機能するだけの体躯は維持していた。


 先生、あなたに会ったのもこの頃だった。あなたは従軍医師としてフミネッカの第三十一師団第二野戦病院にいた。僕が警備地区の道路で敵の不意打ちにあい、右の太ももにぱっくりと開いた傷を負っていたときだ。


 あなたは僕が第三中隊所属だと知り、ムンムの名を口にした。僕はすでに彼と別れて久しく、中隊は国境付近で補給部隊として活動していたのだが、僕はと言えばそこにたどり着く前に病院を行ったり来たりしていた。


「ムンムのお兄さんなんですか」


 僕の驚きはあなたにはおかしかったのかもしれない。でも、誰もがそう驚いたはずだ。ムンムとあなたは似ていない。失礼を承知で言うが、弟のムンムは年齢よりも幼く見える。無邪気で屈託のない笑顔で、真面目さについては、あまり普段は感じられない。もちろん誠実な友であることには違いないのだが。


 ところがあなたは、すらりとした体型で、いかにも知的な人だ。年齢差が十あるそうだが、もっと開いているように思える。貫禄というのだろうか、威圧的ではないが、匂いたつような優秀さをあなたは身にまとっているのだ。


 兄弟だとは気づかない、教えられたとしても疑ってしまうほどだったのだが、あなたの笑い声を聞いたときに、ハッとするほどの衝撃で、あなたとムンムが兄弟であることを理解した。


 とてもよく似た笑い声だった。ちょっとした冗談を笑ったときの、あの軽く短い笑い声。それがとてもよく似ていた。一点だけの共通点だが、とたんに僕はあなたに親しみを持つようになった。


 ああいう風にして、兄弟というものは似てくるものなのだろうか。僕にも兄弟があったが、そのような他人から見て、ハッとさせられるほどの共通点があっただろうか。今ではそれを誰かに確かめることもできない。それをひどく寂しく思ったのは、あなたたち兄弟の絆を、意外な形で見つけたからかもしれない。


 あなたは僕によくしてくれた。弟の友人だからというひいき目からであったかもしれないが、それでも親身に接してくれたことで、ささくれ立っていた気持ちがなだめられた。


 半月、ベッドで寝たきりなことが続き、すっかり体力を失ってしまった。特に足腰の筋力が衰えた。僕は立つこともままならず、歩くことから練習をしなければならなくなった。


 前線復帰は遠のき、僕はいら立ちを覚えていたのだが、あなたは衛生兵の数が不足しているからと、まずは病院で自分の助手として働くようにと言ってくれた。その間に、体力も回復させ、万全の状態で隊と合流すべきなのだと。


 振り返ってみると、病院にいた期間は三か月ほどだろうか。もっとあったかもしれない。とにかく濃い時間を過ごしたと言っていい。あなたは様々なことを話して聞かせてくれた。それはムンムとの思い出話から医学のことまで、広範囲に及んだ。あなたはそれらをすべて同じ調子で話してくれ、難しいことが理解出来なかった僕だったが、なんとなくではあったにせよ、知的な気分を味わせてくれた。


 また鮮やかな希望を見せてくれたのもあなただ。それは一瞬であり、そう、今思えば空虚な希望でもあったわけだが、あの一瞬の目もくらむような爽快さは忘れられない。もちろん、その希望が放った本質は絶えてはいない。そのことは理解している。ただ、僕にとっての――あなたの慈愛に満ちたものとは違う、ひどく個人的な希望は潰えてしまった。


 遅かったのだ。あの話をしたのは……先生、あれは九四二年の三月頃だっただろうか。それもと八月だったか。あなたの助手だった期間は三か月ほどだったが、僕は相変わらず病院を出たり入ったりしてたものだから、いつの会話だったか忘れてしまった。


 それに、どちらにせよ、遅いには違いないのだ。その話を聞いたときにはもう、すべて終わってしまっていたのだから。

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