1-3 ナイフ

 長兄の死後、彼が自作したナイフをこっそり形見にもらった。ダグ――短剣で笹の葉のような細い刃は銀色の冷たい光を放ち、ハンドル材にはカリンが使われていた。庭にあった木から枝をとったもので、赤みのある明るい材質はやすりで丹念に磨かれ艶のある丸みが手にしっくりとなじんだ。


 僕は柄に自分の名前を刻んだ。すっかり自分のものにして満足していた。ナイフは宝物だった。自分の名前を柄に刻みこんだ瞬間から、それがいびつな文字であったとしても特別な意味を持ち、僕にとっては聖者の剣にも等しい力を放ち始めた。


 これは僕の聖剣だ。肌身離さず身に付けるようになり、革のカバーをはめたナイフを腰巻に挟み込むか、ブーツの中に差し込んで歩いた。誰かに見つけられるのを――特に父に取りあげられはしまいかと恐れ、昼間は決してナイフを取り出さなかった。


 父と二人で暮らすようになると、僕は毎晩ベッドに座り、長い時間そのナイフを眺めるようになった。月明かりの下で見るナイフはより特別に見えて、心臓は早鐘を打ち、血管が脈打つ中、呼吸する音さえも雑音だと息をひそめ銀色に光る刃に指先を這わせてはうっとりした。


 人差し指に刃の先を突き立てる。浮き出てくる赤い玉は宝石のように光り、僕の細く白い指の先で誘うように微笑んでいた。舐めると血はすぐに止まったが、それから毎晩、僕は指を一本ずつナイフで刺していった。人差し指のあとは親指、それから中指へと。


 手が終わると足もやってみた。足先は舐めるのが難しくてシーツに血がついてしまったけれど、だからといって怒る人はない。いるのはぼそぼそと話すか酒を飲んでいる父だけで、僕はそんな彼が大嫌いだった。


 父は子供たちを愛していたし、妻のことも愛していた。ただ、残りものの僕のことは記憶から抜け落ちたように焦点の定まらない目で見るようになっていた。


 いつかの夜、父は酒を飲む手を止めて僕に言った。その声は、かすれていて聞き逃していてもおかしくはなかった。父も聞こえていないと思ったのだろう。でも、嫌らしいヘビのように言葉は僕の耳にぬるりと滑り込んでひどくはっきりと囁いた。


「お前が残るなんてな」


 悲しくはなかった。ただ、頭にナイフのことが浮かんで、それからしばらく耳にこびりついて離れなくなった。

 

 兄弟たちが次々と死んでいった後も部屋が片付けられることはなかった。再び兄たちの手に取られるのを待っているように物はちらばってそのままの状態で、次兄のベッドにはさっき起きたばかりのようにしわくちゃになったシーツが敷いてあった。毎夜、横になると僕はそれに見るともなく目を向け、ぼんやりして時間を過ごした。そのうち視界が霞んでいき、やがて眠りに落ちていく。


 そうしていると窓から月明かりといっしょに滑り込んでくる兄たちの姿がいつしか見えるようになった。ベッドに寝そべる姿や床に座り、本やがらくたに手を伸ばす姿。彼らは互いに笑い合うが、僕の方を見ることはなかった。


 生きていたときと変わらない。僕は部屋の隅にいて、そんな彼らを眺めているだけ。いくらナイフが怪しく光ろうと、持ち主であった長兄が近くに居ても、彼らには僕は見えず、ナイフも長兄の元から僕の元へと持ち主を移動していた。僕にはナイフ自身が僕を選んだのだと感じられ、胸の奥がちりっと小さく燃えた。

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