1-4 邪悪なドラゴン退治 

 兄たちの影が揺らぎ、消えるときもあった。それは父が深夜になっても酒を飲み、あげくにすすり泣きを始めるときだ。鼻をすする音の合間に、短いひくつくような呼吸音が聞こえてきたかと思うと、突然ガタガタと椅子やテーブルを動かす音が静かな部屋に響いた。


 そんな雑音の中では、兄たちは部屋の空間に溶けてしまい見ることが出来なくなる。僕は無神経で身勝手な父親にいら立ち、蔑んだ。彼は息子や娘を恋しがり、自分をおいていった妻を平気でなじっては暴れて物を投げ、それが僕に当たっても悪びれることはない。


 ぶつけて当然だという顔すらして涙ぐむ僕を笑った。もう昔の父の面影は消えてしまい、新たに現れた相手に僕は激しい憎悪を感じるようになった。彼のせいでみんな死んだのだ。母親は特に彼のせいで死んだのだと感じて寒気すらした。あいつがいなければ、みんな平和に暮らせたのに。


 僕はベッドから滑り降りると音もなく移動した。手には聖剣を持ち、魔窟に挑む勇者になって部屋を出、廊下をひっそりと進んだ。裸足がふれる床は土やほこりでざらざらしていた。短い廊下の先は暖炉のある家族の憩いの場だ。あそこにいる。僕は聖剣を握る手に力をこめた。テーブルに突っ伏すあいつの背中が見える。


 酒瓶がテーブルにも床にも転がり、萎びたリンゴが折れ重なるミイラのようにカビの生えた籠に積んであった。異臭がし、暖炉の火がまだ赤々と燃えていた。やつは眠りに落ちて間もないのだろう。覗き込んで見た顔では、まぶたがぴくぴくと痙攣し、その下の目玉が左右にゆっくりと動いた。


 だらしなく開かれた口の周りには白が混じる無精ひげが生え、黄ばんで欠けた下の歯が唾液で濡れ、暖炉の火に照らされて薄気味悪く光る。体からは皮脂と酒の混ざった悪臭がし、僕は吐き気をもよおして鼻と口に手をかざした。


 赤黒い首筋には血管が浮き出ていた。僕は慎重に身を乗り出して、その首筋に聖剣の先をそっと突き立てた。すると相手は身動きし、目を閉じたまま手を首筋に当ててさすった。虫にでも刺されたと思ったのだろう。軽く二度掻くと、何事かを呟いてから、また上体をテーブルに投げ出して眠り始めた。


 僕は聖剣を胸に抱えて、しばらく様子を見ていた。呼吸を整え、もう一度首筋に刃先を向けた。今度は皮膚に当たる前に止め、それからゆっくりと下に向けて動かした。首の半分を切断し、それからえぐるように持ち上げ、奥へと刃先を押し込んだ。骨に当たり刃先の向きをやや下に向け、もう一度差し込む。


 僕は血しぶきを浴びるところを想像し、顔がほころんだ。殺せる。何か他の生き物で練習しようなどとは、これっぽっちも思わなかった。これは聖剣で守るために振るうのだ。


 いつでも退治することができると思うと、僕はそれだけで満足した。どんな扱いを受けようと、どれだけ貧しく惨めな思いをさせられようと、僕は自分の剣を持っていて、いつでも相手が殺せる。僕は選ばれた勇者で、相手は邪悪なドラゴンだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る