1-5 シレーナの町 930年3月(9歳)
九歳のとき、父が酒場で殴られて死んだ。頭をカウンターの角にぶつけたらしい。酔っ払い自分から喧嘩を吹っ掛けたと聞いた。何に怒ったのかは知らないが、たぶん家族や自分を侮辱されたのだろう。相次いで死人が出た僕の家は当時呪われた家だと噂されていたのだから。
あっけない父の死によって、僕は孤児院に行くことになった。嫌だった。孤児院には意地悪な子ばかりがいて、院にいる大人たちも暴力を振るうと聞いていた。そんなところに放り込まれるくらいなら、ひとりで暮らしたほうがましだ。
どこかに連れていかれる前にと僕は葬儀が終わった日の深夜に急いで家を飛び出した。リュックには簡単な荷物だけ詰めていたが、絵本とナイフはしっかり持ちだしていた。真っ暗な道を、あてもなくただひたすらに走った。父を失った哀しみはなく、ただ捕まえようとする奴らから逃げることだけを考えていた。
けれど陽が昇る前に、牧場のフェンスに寄りかかって休んでいるところを見つかってしまった。大人たちに囲まれ、くたびれていた僕は抵抗する気力もなかった。足は痛み、喉が渇いて唾液も出ないくらいだった。
ふと馬に乗ればよかったという思いがよぎった。でも、僕はまだひとりで馬に乗ったことがなかった。いつも兄といっしょだったから…… あの時の無力感は子供ながら悔しかった。どうしようもないと認めながら、同時に強烈な孤独が襲いかかってきて、世の中はみんな自分の敵なのだと感じた。
教会に連れていかれ、孤児院に入る準備が整うまでここで暮らすように言われた。僕の地区の神父は青白い顔をした病弱そうな男で教区の人たちの言いなり。いつも両手を組み合わせてはもじもじしているような奴だった。
でも、あるとき僕に叔父がいることを知ると、孤児院に行く日を遅らせてまで人探しをしてくれた。あまり長くはかからなかった。ひと月ほどで見つかり、僕は叔父の家、シレーナの町へ行くことになった。そう、ソレイユのいた町に。
シレーナは都市部に隣接した小さな町で、当時開通したばかりの鉄道が町を囲むようにぐるりと走っていた。中央を抜ける大通りには、小綺麗で感じの良い商店がいくつも並び、奥には町の教会と墓地、その裏にある丘がなだらかに広がっていて美しかった。
自然が多く、森の木々や川などが点在している田舎町といっていい場所だったが、農村部に住んでいた僕には町全体がおもちゃ箱のようで、賑やかでめまいがしそうだった。何もかもが新鮮で、緊張と興奮ではやる心を抑えるのが難しかった。
叔父の家は、住宅地より外れた場所にあった。山のふもとに隠れるように一軒だけぽつりと建っていて、それまで街で通り過ぎながら見てきた家と比べるとみすぼらしい姿だった。それでも手入れは行き届いているようで、崩れかけ死臭が漂ってそうだった僕の家とは比べ物にならないくらい生き生きとして見えた。悪くないな、と思ったのを憶えている。
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